宮崎市田野総合支所、田野町の町並み (田野総合支所、田野町の町並み (まちなみ)、商店街、JR 田野駅、田野郵便局、田野小学校、田野天建神社、さくらが丘保育園、宮崎銀行 田野支店)  (宮崎県 宮崎市 田野町 甲、乙)







<標高、位置>  田野総合支所は
標高 約130 m
 北緯31度50分20秒  東経131度18分04秒

<標高、位置>  JR 田野駅は
標高 約140 m
 北緯31度50分18秒  東経131度18分15秒

<標高、位置>  田野郵便局は
標高 約130 m
 北緯31度50分18秒  東経131度18分12秒

<標高、位置>  田野天建神社 (たのてんけんじんじゃ)は
標高 約130 m
 北緯31度50分19秒  東経131度18分08秒


 「田野総合支所」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2818 にあります。
田野町は現在は宮崎市になっています。 1889年5月1日に田野村が成立しました。 1950年5月3日に田野町になりました。 2006年1月1日に宮崎市に編入合併 (がっぺい)されました。 JR九州 日豊本線の田野駅があります。 宮崎自動車道の田野IC (インターチェンジ)があります。 一般国道は国道269号です。 道の駅田野があります。 山は上にテレビやFM放送アンテナがある鰐塚山 (わにつかやま、標高 1118 m )があります。

 「JR 田野駅」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 にあります。
 田野駅はJR九州の日豊本線の駅です。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線があります。 跨線橋 (こせんきょう)がある地上駅です。 無人駅ですが、自動発券機があります。 IC乗車カードのSUGOCAを利用できる駅です。 簡易SUGOCA改札機がありますが、SUGOCAの販売やチャージはこの駅ではやっていません。 1916年 (大正5年)10月25日に鉄道院が田野駅を開設しました。 1971年 (昭和46年)2月1日に貨物取扱いを廃止しました。 1978年 (昭和53年)9月18日に自動信号化が行われました。 1979年 (昭和54年)10月1日に業務委託化されました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承 (けいしょう)しました。 2015年 (平成27年)11月14日にICカードSUGOCAが利用できるようになりました。 隣 (とな)りの駅などは日向沓掛 (くつかけ)駅−田野駅−(門石信号場)−青井岳駅となっています。
田野駅にある「日豊線田野駅開通100周年」の掲示から、
明治5年東京新橋と横浜間に鉄道が開通してからおよそ、20年を経 (へ)て、明治25年日向鉄道協会が設立され、宮崎線の敷設 (ふせつ)が企画された。 それから16年を経 (へ)て明治41年6月に帝国鉄道庁が吉松・小林・高岡・宮崎に至 (いた)る路線を踏査 (とうさ)し、ようやく、鉄道敷設の曙光を見ることができた。 当時日豊線は日向縦貫鉄道と称 (しょう)していた。 しかし、当初の路線計画の地主たちが、「鉄道が通ると大切な田んぼがつぶされる。 汽車が通ると田んぼが地割れして稲が育たない。 よそからの悪い者が流れ込 (こ)んで来る。」 などと言って反対し、その声は計画沿線 (えんせん)に広がり、結局、沿線住民の希望によって、明治44年3月小林から都城に遠回りして、山之口・田野を経 (へ)て、宮崎に至 (いた)る路線が確定した。 大正3年12月田野工事事務所が現在の田野駅舎の場所に開設された。 都城・青井岳間は大正5年4月10日開通。 その間 青井岳〜大久保間は駅馬車が1日に往復3回通っていた。 大正5年10月25日国鉄日豊線が開通し、田野駅が営業を開始した。 昭和54年10月1日から日豊線の電化に伴 (ともな)って営業の近代化により、田野駅は委託駅・・・無人駅となって現在に至 (いた)っている。

 「田野郵便局」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2787-5 にあります。
田野郵便局は郵便窓口、貯金窓口、保険窓口、ATMの業務を行っています。 駐車場は10台です。

 「宮崎市立田野小学校」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2856 にあります。
田野小学校の合言葉は田野小ファミリーです。 教育目標は豊かな感性をもち、自ら考え正しく判断し、たくましく生きる子供の育成です。

 「田野天建神社 (たのてんけんじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 田野町 字宮ノ原 甲 2793 にあります。
明治11年11月3日に田野小学校の前身の簡易中原小学校の校舎を田野天建神社の敷地内に新築しました。 これが田野小学校の創立記念日です。 明治33年4月1日に田野小学校は現在地に移転しました。
「田野天建神社」の(別の)説明板から、
 上桜地区にあるこの神社には、旧 田野神社の大己貴命、旧 田野大宮大明神の百済王 (くだらおう)、天建神社の天児屋根命の3神が合祀 (ごうし)されている。 旧 田野神社の勧請 (かんじょう)年月は天正6年 (1578年)以前の記述が史書にあるが、明白でない。 明治4年 (1871年)11月、田野村村社・田野神社となった経歴もある。 百済王 (くだらおう)を祭った旧 田野大宮大明神縁起 (えんぎ)由来の祠 (ほこら)は初め持田にあり、後に仏堂園 元倉に建てられたが、明治4年に田野神社に合祀 (ごうし)された。 天建神社の祭神は伊東家の祖神 天児屋根命で、寛文元年 (1661年)、宮田家の祖先、武田六右衛門が第4代藩主 祐由の怒りに触 (ふ)れ田野に左遷された際、楠原に社 (やしろ)を建てたものである。 大正2年に田野神社に合祀 (ごうし)され、大正3年 (1914年)から田野天建神社と呼 (よ)ぶようになった。 宮田家が代々の祠官 (しかん、神社に仕 (つか)える神職。)として現在に至 (いた)る。 例祭は以前は7月20日だったが、現在は、「ふるさと祭り」の日に神社の御神幸のみが参加している。
 「田野天建神社御由緒 (ゆいしょ)」の説明板から、
歴史
元徳2年 (1330年)伊東祐持日向国下向時、兵道宮田荒ニ郎義立に命じ、天児屋根命 (あまのこやねのみこと)を勧請 (かんじょう)、天建神社として武運長久を祈 (いの)る。
天正16年 (1588年)3月、伊東祐兵封を飫肥 (おび)に受け、天建神社を楠原に建立 (こんりゅう)。
寛文元年 (1661年)社殿名字名をも併 (あわ)せて田野村に奉還。 宮田氏を祠官 (しかん、神社に仕える神職。)とさせ、伊東家の武運を祈り、神札を納 (おさ)める毎 (ごと)に謝状を下付した。
明治4年 (1871年)田野神社 (御祭神・大国主尊)に田野大宮大明神 (御祭神・百済国王 (くだらこくおう))が合祀 (ごうし)される。
大正2年 (1913年)天建神社が田野神社に合祀 (ごうし)される。
大正3年 (1914年)田野天建神社と称 (しょう)し奉 (たてまつ)る。
天児屋根尊 (あまのこやねのみこと)
 中臣氏、後の藤原氏の祖神である。 「古事記」、「日本書紀」に見る神話では、天照大神のお隠れになった天の岩戸を開こうとされる際、この神が面白い節回しで祝詞 (のりと)を唱 (とな)えて天宇受売尊が踊 (おど)ったとあり、天児屋根尊が宮廷の祭祀 (さいし)をつとめる神であることがわかる。
 天児屋根尊を祭神とする神社の総本社は大阪府の牧岡神社である。 かつて、奈良の都に藤原氏一門の氏神 (うじがみ)である春日神社が創建された際、この神も同社の第3殿に勧請されたのであった。 飫肥藩主伊東氏の祖は、藤原系、工藤祐経とされている。 その伊東氏の日向国下向に際し、そのような例に倣 (なら)ってこの神が勧請され、天建神社が創建されたものと思われる。
大国主尊 (おおくにぬしのみこと)
 八俣大蛇 (やまたのおろち)退治で知られる須佐之男尊の子孫である。 葦原中津国 (国土)に君臨し、その開発と経営にあたった。 水利を通じ、田畝を開墾 (かいこん)し、山林を開発した外 (ほか)、畜産を興 (おこ)し、医療の法を教え獣や害虫等の災 (わざわ)いを祓 (はら)うなどの数々の事績を「古事記」、「日本書紀」の神話の中に見ることができる。 その様 (よう)にして、苦心して造りあげた国土を天照大神に捧 (ささ)げた国譲 (ゆず)りの神話は特に有名である。 又、因幡 (いなば)の白兎 (しろうさぎ)の神話に見られる様にも、大変親しみ易 (やす)く、人々に富をもたらしてくれる福の神、大黒様 (だいこくさま)として古くより広く民衆からの信仰を集めてきた。
御祭神 百済国王 (くだらこくおう)
 昔、百済国王の船が日向の油津に漂着された。 王は我が住処は何処 (どこ)にしたものかと見回した時、遥 (はる)か北の方の山に五色の雲が舞い下がった。 王は彼処が我が住地だとつぶやいて小姓 (こしょう)1人を従 (したが)えてわけ入った。 峻しき路に疲れて、小姓は魂 (たましい)が抜 (ぬ)けたようになった。 王は谷川の水を掬 (すく)って彼の口にそそいだ。 小姓は忽 (たちま)ちその水で正気を取り戻 (もど)した。 かくしてこの坂は後に「小姓」坂と呼 (よ)ばれた。 それからなお進んで、一宿した処 (ところ)を後に宿野 (しゅくの)といった。 折 (おり)から田野の男達8人がその前を通って王を見つけ、その怪異の姿に敬意を起こし恭 (うやうや)しく話かけたが王は何も言わない。 そこで彼らは、持っていた蔦葛 (つたかずら)をうち振り身ぶりおかしく舞を舞った。 王はその時微笑した。 後永くシャグリ舞いと言ってこの時の舞いの様子 (ようす)を伝えたと云 (い)う。 彼らは、それから王を導いて田野に帰り、そこに仮殿を建てて仕 (つか)えた。 不思議にも王の手飼いの鶴 (つる)が王を慕 (した)って飛び来り、その仮殿を守護した。 王は月毛 (馬の毛色で、葦 (あし)毛のやや赤みのあるもの。)の駒 (こま)を愛し、それに跨 (またが)ってあちこちと遊覧してまわられた。 ある時、王の馬は何かに驚いたのか急に躍 (おど)り上がって、王を乗せたまま井戸の中にとびこんでしまった。 そのため、王の冥福 (めいふく)を祈り、村内の井戸を全 (すべ)て埋 (う)め、またそれ以来、田野では月毛 (馬の毛色で、葦 (あし)毛のやや赤みのあるもの。)の馬を忌(い)むと云 (い)う。 王は、かくて薄命の身の終わりを告げたが、村人は厚く王を葬 (ほおむ)り、神として祀 (まつ)ったと云 (い)う。

 「さくらが丘保育園」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2793番地4 にあります。
さくらが丘保育園は緑豊かな神社の境内 (けいだい)にあり、恵まれた環境の中で子供たちの主体性に主眼をおいた保育が行われています。 社会福祉法人さくらが丘福祉会が経営しています。

 「宮崎銀行田野支店」は宮崎県 宮崎市 田野町 乙 9416-17 にあります。


写真A: JR 田野駅です。
「JR 田野駅」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 にあります。



写真B: 駅のそばの車道です。 奥に進むと宮崎市 田野総合支所、田野天建神社、さくらが丘保育園、田野郵便局、田野小学校などがあります。



写真C: 奥に進むと国道269号が左右に通っています。 田野駅前です。 南西を見たものです。



写真D: 駅のそばです。



写真E: 駅のそばから、上にテレビやFM放送アンテナが見える鰐塚山 (わにつかやま、標高 1119 m)が見えます。 南西を見たものです。



写真F: 右に田野駅の駐輪場が見えます。 左の車道を進んで宮崎市 田野総合支所に行きます。



写真G: この道を進みます。 田野町の町並み (まちなみ)です。



写真H: 「旅館 櫻屋」と書いてある看板 (かんばん)があります。 その奥に橙色 (だいだいいろ)の郵便局の看板 (かんばん)が見えます。



写真I: 田野小学校 体育館が見えます。
「宮崎市立田野小学校」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2856 にあります。



写真J: 右に田野郵便局があります。 西を見たものです。
「田野郵便局」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2787-5 にあります。
田野郵便局は郵便窓口、貯金窓口、保険窓口、ATMの業務を行っています。 駐車場は10台です。



写真K: 田野郵便局です。



写真L: 田野郵便局です。



写真M: 「〒 JP NETWORK 郵便局 田野郵便局 P→」と書いてある大きな看板 (かんばん)があります。 右に「銀行ATM ゆうちょ銀行」と書いてある看板もあります。



写真N: 西を見たものです。 田野天建神社の大きな杉の木が見えます。



写真O: 西を見たものです。 田野町の町並み (まちなみ)です。 右は田野天建神社です。



写真P: 右は田野天建神社。



写真Q: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 東を見たものです。



写真R: 田野小学校 体育館が見えます。 南東を見たものです。



写真S: 田野天建神社です。 石の柵 (さく)があります。



写真T: 「総鎮守神 田野天建神社 祈願承 (うけたまわ)ります。」と書いてあります。



写真U: 田野天建神社 (たのてんけんじんじゃ)の鳥居 (とりい)です。



写真V: 田野天建神社です。 左奥にさくらが丘保育園が見えます。



写真W: 「田野天建神社 (たのてんけんじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 田野町 字宮ノ原 甲 2793 にあります。 北を見たものです。



写真X: 西を見たものです。 さくらが丘保育園です。



写真Y: 西を見たものです。 田野町の商店街です。



写真Z: 薬局もあります。 田野町の町並み (まちなみ)です。 西を見たものです。



写真AA: 宮崎市田野総合支所です。 北を見たものです。
「田野総合支所」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2818 にあります。



写真AB: 「自衛官 陸海空 募集」の掲示板 (けいじばん)があります。



写真AC: 北を見たものです。



写真AD: アリゾナ糸杉 (いとすぎ)の木が見えます。



写真AE: 西を見たものです。



写真AF: 田野総合支所の前の道です。 西を見たものです。



写真AG: 田野総合支所のそばです。



写真AH: 宮畑薬局があります。 南を見たものです。



写真AI: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。



写真AJ: 東を見たものです。 「田野町 上桜地区です。」と書いてあります。



写真AK: 看板 (かんばん)がいくつかあります。



写真AL: 田野総合支所の前にNTTの公衆電話ボックスがあります。 その奥にバス停が見えます。 「宮崎銀行」と書いてある看板 (かんばん)もあります。 西を見たものです。



写真AM: バス停「田野総合支所前 宮崎交通」があります。 右は公衆電話ボックスです。 東を見たものです。



写真AN: バス停「田野総合支所前 宮崎交通」の時刻表です。



写真AO: 「地震災害避難場所」の地図があります。



写真AP: 宮崎市田野総合支所です。 3階建ての建物の上に日の丸の旗 (はた)(日章旗)、宮崎市の旗などがあります。 「声かけよ みんなの声が悪をつむ。」、「非核平和宣言の町 田野町」と書いてある看板 (かんばん)があります。 北を見たものです。
「田野総合支所」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2818 にあります。



写真AQ: 門から建物に向かう道です。



写真AR: 剪定 (せんてい)してあるアリゾナ糸杉 (いとすぎ)が多くあります。 田野総合支所です。



写真AS: 東を見たものです。



写真AT: 北東を見たものです。 田野総合支所の入り口です。



写真AU: アリゾナ糸杉と高いワシントン椰子 (やし)があります。



写真AV: 北西を見たものです。 アリゾナ糸杉があります。



写真AW: 西を見たものです。 公衆電話ボックスがあります。 田野総合支所の入り口です。



写真AX: 田野総合支所の前の様子 (ようす)です。



写真AY: 「町の木追加設定記念樹 追加設定木 桜」と書いてある標柱があります。 そばの木は桜です。



写真AZ: 町の木の桜です。



写真BA: 町の木の桜の中部です。



写真BB: 「顕彰碑 (けんしょうひ)」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。



写真BC: 顕彰碑の下部です。 石段もあります。 西を見たものです。



写真BD: 中央に2つの石碑 (せきひ)があります。



写真BE: 顕彰碑の上部です。 左右はアリゾナ糸杉で奥はイヌマキの木と思われます。



写真BF: 「顕彰碑の事績 田野町」の石碑 (せきひ)です。



写真BG: 「顕彰碑の事績 田野町」の石碑 (せきひ)。



写真BH: 顕彰碑の碑文 (ひぶん)が裏にあります。
田の町制施行50周年を記念してこの顕彰碑が建立 (こんりゅう)されました。 2000年 平成12年5月3日吉祥 (めでたいきざしの意味です。)と書いてあります。



写真BI: 田野町顕彰会推薦委員会と書いてあります。 顕彰碑の裏です。



写真BJ: 「町の木追加設定記念樹 追加設定木 桜」と書いてある標柱と桜の木です。



写真BK: 丸い時計、外灯があります。 ソテツの木があります。 左に赤い郵便ポストが見えます。
「田野総合支所」は宮崎県 宮崎市 田野町 甲 2818 にあります。
田野町は現在は宮崎市になっています。 1889年5月1日に田野村が成立しました。 1950年5月3日に田野町になりました。 2006年1月1日に宮崎市に編入合併 (がっぺい)されました。 JR九州 日豊本線の田野駅があります。 宮崎自動車道の田野IC (インターチェンジ)があります。 一般国道は国道269号です。 道の駅田野があります。 山は上にテレビやFM放送アンテナがある鰐塚山 (わにつかやま、標高 1118 m )があります。



写真BL: 田野総合支所です。 左はアリゾナ糸杉です。



写真BM: 高いワシントン椰子 (やし)があります。



写真BN: 宮崎市 田野総合支所です。



写真BO: こちらにも外灯があります。



写真BP: 「宮崎市田野総合支所」と書いてあります。 玄関 (げんかん)です。



写真BQ: 高いワシントン椰子 (やし)です。



写真BR: 面白 (おもしろ)い形をしています。 ワシントン椰子 (やし)の根元 (ねもと)です。



写真BS: 田野総合支所の玄関 (げんかん)です。 赤い郵便ポストがあります。



写真BT: 「宮崎市田野地区地域包括支援センター」と書いてあります。



写真BU: 玄関 (げんかん)です。



写真BV: 北西を見たものです。



写真BW: 駐車場があります。 道の奥に宮崎銀行があります。 西を見たものです。



写真BX: 南西を見たものです。



写真BY: 駐車場です。 西を見たものです。



写真BZ: 南を見たものです。 ソテツの木、丸い時計、外灯、左にアリゾナ糸杉、右上に高いワシントン椰子 (やし)があります。



写真CA: 「記念碑 (ひ)」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。 東を見たものです。



写真CB: 石碑 (せきひ)の下部です。



写真CC: 南を見たものです。 駐車場があります。 右にアリゾナ糸杉が多くあります。



写真CD: 南西を見たものです。 田野総合支所です。



写真CE: 西を見たものです。 玄関 (げんかん)も見えます。



写真CF: 植物が上に登っています。



写真CG: 上に登った植物です。



写真CH: 北を見たものです。 建物の側面です。 左端は記念碑 (ひ)です。



写真CI: 側面の上部です。



写真CJ: 左に沈丁花 (ジンチョウゲ)があります。



写真CK: ジンチョウゲを植えてあります。



写真CL: 郵便ポストがあります。



写真CM: 田野総合支所の建物の側面も見えます。 北を見たものです。



写真CN: 側面の下部です。



写真CO: 北を見たものです。 右は田野総合支所です。
この道が住所の田野町 甲と田野町 乙の境界になっているようです。 右が甲で左が乙です。



写真CP: 西を見たものです。



写真CQ: 宮崎銀行田野支店です。 右に第2駐車場と書いてあります。



写真CR: 右は宮崎銀行田野支店です。 左は宮崎市田野総合支所です。 南を見たものです。



写真CS: 総合支所の駐車場です。 南東を見たものです。



写真CT: 東を見たものです。 総合支所の玄関 (げんかん)、右にアリゾナ糸杉、高いワシントン椰子 (やし)、駐車場などがあります。



写真CU: 総合支所の建物です。



写真CV: 宮崎市田野総合支所の中です。 1階です。



写真CW: 北西を見たものです。 宮崎銀行田野支店です。
「宮崎銀行田野支店」は宮崎県 宮崎市 田野町 乙 9416-17 にあります。



写真CX: 西を見たものです。 「宮崎銀行」と書いてあります。



写真CY: 西を見たものです。 十字路があります。 田野町の町並み (まちなみ)です。



写真CZ: 北を見たものです。



写真DA: 十字路から南を見たものです。 田野町の町並み (まちなみ)です。



写真DB: 南を見たものです。 遠くの山が見えます。 国道269号の交差点の道路標識が見えます。



写真DC: 東を見たものです。 来た道を戻 (もど)ります。 「宮崎銀行」と書いてあります。 田野天建神社の杉の木も見えます。 田野町の町並み (まちなみ)です。



写真DD: 「総鎮守神 田野天建神社 祈願承 (うけたまわ)ります。」と書いてあります。



写真DE: 田野天建神社の鳥居 (とりい)です。



写真DF: 「あいさつは ひとのこころをひらかせる。」という標語を書いてあります。 西を見たものです。



写真DG: 南を見たものです。 「駐車場」と書いてあります。



写真DH: 道端 (みちばた)に花が咲いていました。



写真DI: 「パンジーの花」が咲いていました。 田野町の町並み (まちなみ)。



写真DJ: 奥の左はJR 田野駅です。



写真DK: 田野駅の駅舎、跨線橋 (こせんきょう)などが見えます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)