高鍋海水浴場、蚊口浜サーフスポット (サーフィン場) (ソテツの木、ところどころに隙間 (すきま)のある防波堤、海の家 (休憩所 (きゅうけいしょ))、カキ料理・磯料理・カキ販売の「秋山商店」、宮田川の河口、蚊口海浜公園、蚊口海浜公園キャンプ村)  (宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦)







<標高、位置>  小丸川の河口は
標高 0 m
 北緯32度07分41秒  東経131度32分13秒

<標高、位置>  鵜戸神社 (うどじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度07分33秒  東経131度32分03秒

<標高、位置>  JR 高鍋駅は
標高 数 m
 北緯32度07分20秒  東経131度32分02秒

<標高、位置>  高鍋海水浴場は
標高 数 m
 北緯32度07分11秒  東経131度32分07秒

<標高、位置>  蚊口海浜公園キャンプ村 (キャンプ場)は
標高 数 m
 北緯32度07分09秒  東経131度32分03秒

<標高、位置>  蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)は
標高 数 m
 北緯32度06分56秒  東経131度31分58秒

<標高、位置>  宮田川の河口は
標高 0 m
 北緯32度06分52秒  東経131度31分57秒


 「高鍋海水浴場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にあります。
遠浅 (とおあさ)の日向灘と海の中に切れ目のある防波堤がある海水浴場です。 南北に約600 m の浜が海水浴場です。
高鍋海水浴場付近は天然の牡蠣 (かき)の漁場です。 この海岸一帯はアカウミガメの産卵地です。 近くに蚊口海浜公園キャンプ村や蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)があります。 2006年 (平成18年)に環境省選定の「快水浴場100選」に選ばれました。 潮干狩り (しおひがり、貝拾 (ひろ)い。)も行われます。

 「蚊口海浜公園キャンプ村」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
近くの高鍋海水浴場で泳ぐことの出来るキャンプ場です。

 「蚊口浜サーフスポット (サーフポイント、サーフィン場)」は高鍋海水浴場の南の 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
切れ目のある防波堤を備 (そな)える高鍋海水浴場のすぐ南にある良い波のサーフィン場です。 日向灘 (太平洋)の波が良好で初心者から上級者までサーフィンを楽しめます。 1年中、全国からサーファーが集まってきています。 トイレやシャワーも完備しています。

 「蚊口浜 (かぐちはま)」は宮田川の川口近く(北側)にあります。
 長禄元年 (1457年)に財部(高鍋)土持景綱が伊東祐尭 (すけたか)に立ち向かいましたが、小浪川の戦い (高鍋町の宮田川の上流と思われます。)で滅亡し、日知屋、塩見、門川、新名、野別府、山陰、田代、神門、新納院高城は伊東の領地になりました。
 明治10年の西南戦争のときに官軍は蚊口浜に1部の軍を上陸させて西郷軍 (薩摩軍 (さつまぐん))を攻 (せ)めました。
 蚊口浜 (かぐちはま)には伝説があります。
 宮崎県 美郷町 南郷区 神門 にある「神門神社 (みかどじんじゃ)」に次の石碑 (せきひ)があります。
 「百済王守護 益見太郎 並に七人衆之碑」の石碑 (せきひ)と説明石碑から、
<説明石碑>
「天平勝宝8年 (756年、今から1230年前)内乱により祖国を追われた百済王禎嘉帝が大和国 厳島 (いつくしま)に逃れ2年後に反乱軍の追撃をさけ海路 九州の大宰府へと脱出の途中激しい暴風雨で難航し王は日向市 金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郡に住んだ。 王子と妃 (きさき)の舟は高鍋町 蚊口浦へ流れ着き木城町の比木に安住した。 更 (さら)に王は追撃を受け東郷町 下三ヶ中水流の伊佐賀峠にて応戦したが苦戦し、王子 福智王が比木より援助し撃滅した。 当時王に随身した神門郷の7人衆有之、又王が神門に宮居を定めるに当たり豪族 益見太郎は土地を提供し宮居造営にも援助し食糧も補給したと云 (い)う。 7人衆は神門神社 宮司 原田八郎 氏の口伝えに依 (よ)れば当時 中邑、海野、小路、宮脇、村田、菊池、若杉の諸家にて鬼神野より中戸、下田家、中渡川の桑原家も加わって協力したと伝えられる。 神門郷の各々の後継者が舞楽を継承し伶人(れいじん、音楽を奏する人。)として奉仕現在に至って居る。
昭和60年12月 七人衆後継者一同建立」
 この碑文 (ひぶん)の「756年に祖国を追われた百済王」の756年は百済滅亡 (660年)の96年後、朝鮮半島の白村江の戦い (663年)の93年後、倭朝廷の内乱である壬申の乱 (じんしんのらん、672年)の84年後になります。

 「JR 高鍋駅」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6211 にあります。
高鍋駅はJR九州 日豊本線の駅です。 地上駅でホームは島式ホームで1面2線です。 跨線橋 (こせんきょう)があります。 以前は近くの宝酒造株式会社への引き込み線がありました。 1920年 (大正9年)9月11日に開業しました。 隣 (とな)りの駅は川南 (上り)、日向新富 (下り)です。 JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅でみどりの窓口もあります。 駅から西へ県道311号線が伸びています。 北の近くにあるJRの小丸川橋梁 (おまるがわきょうりょう)は撮影スポットとして知られています。 1945年 (昭和20年)7月16日 第2次世界大戦中に空襲で駅本屋・構内が全焼し、小丸川橋梁 (りょう)が壊 (こわ)れましたが、7月27日に橋梁が復旧しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。

 「小丸川の河口」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 字蚊口上と高鍋町 大字持田 字鴫野 (しぎの)にあります。
小丸川の左岸 (下流を見て左。)には小丸河畔運動公園 (おまるかはんうんどうこうえん)があります。 そこには野球場と多目的広場があります。 小丸川河口近くに港 (高鍋港)もあります。 スズキ、イシモチ、クロダイ、ヒラメ、ハゼ、シロギスなどが釣 (つ)れます。
 「小丸川 (おまるがわ)」は宮崎県の中部を流れて太平洋 (日向灘)に注 (そそ)ぎます。 小丸川水系の本流です。 九州山地にある椎葉村の三方岳 (標高 1476 m )の北の麓 (ふもと)から発して東に流れます。 椎葉村、美郷町南郷区、日向市東郷町、木城町を流れ、高鍋町で日向灘に注 (そそ)いでいます。 種別は1級河川、水系は1級水系 小丸川、延長は73 km、流域面積は 474 平方キロメートル、平均水量は 30.35 立方メートル毎秒 (2000年に高城観測所で。)です。


写真A: JR日豊本線の高鍋駅です。 高鍋駅の南南東 約500 m のところに蚊口浜にある高鍋海水浴場があります。 高鍋海水浴場の少し南に蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)、少し西に蚊口海浜公園キャンプ村があります。
「JR 高鍋駅」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6211 にあります。



写真B: 西を見たものです。 ここは三叉路 (さんさろ)になっています。 手前 (東)に進んで高鍋海水浴場、蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)、蚊口海浜公園キャンプ村に行きます。



写真C: 「おがわクリニック」があります。 南西を見たものです。



写真D: 南を見たものです。



写真E: 日豊本線の踏切 (ふみきり)が見えます。 先に進むと蚊口浜の海岸に行きます。 東を見たものです。



写真F: 東を見たものです。 日豊本線の踏切 (ふみきり)があります。



写真G: 踏切 (ふみきり)の手前に「高鍋海水浴場・キャンプ村」と書いてある看板 (かんばん)が見えます。 踏切を渡ります。 東を見たものです。



写真H: 「蚊口浜→、海水浴場、海水浴場キャンプ村、海浜公園多目的広場、サーフスポット」と書いてある看板 (かんばん)、「カキ料理・磯料理・カキ販売 秋山商店→」、「天然かき・磯料理 たかしま」、「磯亭」、「るりや」などの看板もあります。 近くに墓場があります。 東を見たものです。



写真I: 「蚊口浜→、海水浴場、海水浴場キャンプ村、海浜公園多目的広場、サーフスポット」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真J: ここは三叉路 (さんさろ)になっています。 多くの標識があります。 これから左先に進みます。



写真K: 「海浜公園 多目的広場 0.6 km →」、「海水浴場 0.2 km ←」、「蚊口サーフスポット 0.7 km →」、「海水浴場 キャンプ村 0.4 km →」の標識があります。



写真L: 海岸に着きました。 北を見たものです。 左に「高鍋海水浴場 第1駐車場」と書いてある看板  (かんばん)があります。



写真M: 西を見たものです。



写真N: 建物があります。 南西を見たものです。



写真O: 南を見たものです。 ここが高鍋海水浴場です。 左に砂浜と海の中に所々(ところどころ)隙間 (すきま)のある波除け (なみよけ、防波堤)が見えます。 ソテツの木もあります。



写真P: 南東を見たものです。 海の中に所々(ところどころ)隙間 (すきま)のある波除け (なみよけ、防波堤)があります。 手前は砂浜です。 高鍋海水浴場です。



写真Q: 東を見たものです。 左に白波も見えます。



写真R: 北東を見たものです。 蚊口浜です。
明治10年の西南戦争のときに官軍は蚊口浜に1部の軍を上陸させて西郷軍 (薩摩軍 (さつまぐん))を攻 (せ)めました。



写真S: 北を見たものです。



写真T: 手前は海水浴シーズン中の海の家 (休憩所 (きゅうけいしょ))を造っているところです。 左にベンチもあります。 南西を見たものです。



写真U: 奥は高鍋海水浴場にある「カキ料理・磯料理・カキ販売の秋山商店」です。 暖簾 (のれん)、「営業中」と書いてある幟 (のぼり)もあります。 奥に黒松林があります。 防潮林です。 南西を見たものです。



写真V: 高鍋海水浴場です。 右に砂浜に降 (お)りる階段があります。 手前にハマユウの花が咲いていました。 南東を見たものです。
「高鍋海水浴場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にあります。
遠浅 (とおあさ)の日向灘と海の中に切れ目のある防波堤がある海水浴場です。 南北に約600 m の浜が海水浴場です。
高鍋海水浴場付近は天然の牡蠣 (かき)の漁場です。 この海岸一帯はアカウミガメの産卵地です。 近くに蚊口海浜公園キャンプ村や蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)があります。 2006年 (平成18年)に環境省選定の「快水浴場100選」に選ばれました。 潮干狩り (しおひがり、貝拾 (ひろ)い。)も行われます。 明治10年の西南戦争のときは、官軍の1部が蚊口浜から上陸して、薩摩軍 (さつまぐん)を攻 (せ)めました。



写真W: ソテツの木が数本見えます。 右にいくつかのスピーカーが付いた高いポールがあります。 右に組立中の海の家 (休憩所)が見えます。 南を見たものです。



写真X: 船の形をした建物があります。 スピーカーの付いた高いポールもあります。 高鍋海水浴場です。



写真Y: 「高鍋海水浴場の利用上の注意、高鍋町」の説明板があります。 右はソテツの木です。



写真Z: 「高鍋海水浴場の利用上の注意、高鍋町」の説明板です。



写真AA: ソテツの木と船の形の建物です。 南西を見たものです。



写真AB: 中央左に石碑 (せきひ)があります。 ハマユウの花、ソテツの木、奥にも建物があります。 南を見たものです。



写真AC: 砂浜に自動車が来ていました。 高台と砂浜の間にコンクリートの階段があります。 高鍋海水浴場。 南を見たものです。



写真AD: 砂浜が広がる高鍋海水浴場です。 海の中に切れ目のある防波堤があります。 南東を見たものです。



写真AE: 東を見たものです。 砂浜と切れ目のある防波堤の間が海水浴場です。 水平線も見えています。



写真AF: 北東を見たものです。 防波堤の北端が見えます。 その先は白波が見えます。 奥には小丸川の河口があります。 防波堤のない所の海岸には波消しブロックを積 (つ)み重 (かさ)ねてあります。 蚊口浜です。



写真AG: 左は海水浴シーズン中にできる海の家 (休憩所 (きゅうけいしょ))の工事現場です。 ソテツの木、ハマユウ、海岸のコンクリートの壁 (かべ)、波消しブロックなどがあります。 北を見たものです。



写真AH: 組立中の海の家 (休憩所)と「カキ料理・磯料理・カキ販売の秋山商店」です。 左は説明板の裏です。 西を見たものです。



写真AI: 高鍋海水浴場にある船の形をした建物、ソテツの木、説明板の裏です。 南西を見たものです。



写真AJ: 高鍋海水浴場に咲いていた「ハマユウの花」です。



写真AK: 高鍋海水浴場にある船の形をした建物です。 手前が船首です。 窓、カーテンもあります。 西を見たものです。 右はカキ料理の秋山商店です。 黒松林が見えます。 奥に蚊口海浜公園キャンプ村があります。 西を見たものです。



写真AL: 船の形をした建物の上部です。 船のマストのようなものがあります。 2階には手すりが見えます。 西を見たものです。



写真AM: 「高鍋海水浴場、宮日新観光地百景」の石碑 (せきひ)があります。 東を見たものです。
「高鍋海水浴場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にあります。
遠浅 (とおあさ)の日向灘と海の中に切れ目のある防波堤がある海水浴場です。 南北に約600 m の浜が海水浴場です。
高鍋海水浴場付近は天然の牡蠣 (かき)の漁場です。 この海岸一帯はアカウミガメの産卵地です。 近くに蚊口海浜公園キャンプ村や蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)があります。 2006年 (平成18年)に環境省選定の「快水浴場100選」に選ばれました。 潮干狩り (しおひがり、貝拾 (ひろ)い。)も行われます。 明治10年の西南戦争のときは、官軍の1部が蚊口浜から上陸して、薩摩軍 (さつまぐん)を攻 (せ)めました。



写真AN: 「高鍋海水浴場、宮日新観光地百景、昭和52年7月 主催 宮崎日日新聞社 宮崎県 宮崎県観光協会 高鍋町観光協会」の石碑 (せきひ)です。



写真AO: 「高鍋海水浴場、宮日新観光地百景」の石碑 (せきひ)の側面です。



写真AP: 「昭和52年7月 主催 宮崎日日新聞社 宮崎県 宮崎県観光協会 高鍋町観光協会」と書いてあります。



写真AQ: 左奥に蚊口海浜公園キャンプ村の「キャンプ村管理棟」が見えます。 そのあたりが蚊口海浜公園キャンプ村です。 西を見たものです。



写真AR: 南西を見たものです。 蚊口海浜公園キャンプ村の松林が見えます。 右奥にキャンプ村管理棟が見えます。 手前は高鍋海水浴場です。



写真AS: 南を見たものです。 ソテツの木、その左にハマユウの花、組立中の海の家 (休憩所 (きゅうけいしょ))も見えます。 高鍋海水浴場。



写真AT: 南東を見たものです。 砂浜に自動車が来ています。 切れ目のある防波堤の南端が見えます。 その少し先に蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)があります。 手前は高鍋海水浴場です。



写真AU: 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にある「高鍋海水浴場」です。 遠浅 (とおあさ)の海と海の中に切れ目のある防波堤があります。 近くに蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)、蚊口海浜公園キャンプ村があります。 キャンプ村は海水浴ができるキャンプ場として有名です。



写真AV: 幅の広いコンクリートの階段があります。 泳ぐ時の休憩 (きゅうけい)に座 (すわ)る場所にもなると思います。 南を見たものです。



写真AW: 幅の広いコンクリートの階段です。 砂が上に載 (の)っています。 北を見たものです。



写真AX: ソテツの木が目立 (めだ)ちます。 白波が見えます。 北を見たものです。



写真AY: 南東を見たものです。 海の中の切れ目のある防波堤の南端が見えます。 高鍋海水浴場。



写真AZ: 東を見たものです。 日向灘 (太平洋)の水平線が見えます。 高鍋海水浴場です。
「高鍋海水浴場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にあります。
遠浅 (とおあさ)の日向灘と海の中に切れ目のある防波堤がある海水浴場です。 南北に約600 m の浜が海水浴場です。



写真BA: 北東を見たものです。 海の中の切れ目のある防波堤の北端が見えます。 その先には白波が打ち寄せています。



写真BB: 北を見たものです。 蚊口浜です。 奥 (北)には小丸川の河口があります。



写真BC: ソテツの木、斜面、組立中の海の家 (休憩所 (きゅうけいしょ))、幅の広いコンクリートの階段、砂浜などが見えます。



写真BD: 南を見たものです。 小舟が2艘 (そう)陸にあります。 ハマユウの花も咲いていました。 軽トラックもとまっています。 軽トラックの右先への道を進むと蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)があります。



写真BE: 「ヒオウギズイセンの花」が咲いていました。



写真BF: 高鍋海水浴場から少し南に進むとすぐに蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)があります。 南を見たものです。



写真BG: 南東を見たものです。 左に海の中の防波堤が見えます。 それより南はサーフィン場です。 サーフィンに適した日向灘の波を楽しめます。



写真BH: 中央左寄りの白波のところに小さく黒いサーフィンをしている人 (サーファー)が見えています。 蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)です。
「蚊口浜サーフスポット (サーフポイント、サーフィン場)」は高鍋海水浴場の南の 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
切れ目のある防波堤を備 (そな)える高鍋海水浴場のすぐ南にある良い波のサーフィン場です。 日向灘 (太平洋)の波が良好で初心者から上級者までサーフィンを楽しめます。 1年中、全国からサーファーが集まってきています。 トイレやシャワーも完備しています。



写真BI: 白波の少し奥に黒いサーフィンをしている人 (サーファー)が見えます。 東を見たものです。 蚊口浜サーフスポットです。



写真BJ: 海の中の防波堤の南端が見えます。 ここから左は高鍋海水浴場で、右は蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)です。



写真BK: 北東を見たものです。 高鍋海水浴場が見えます。



写真BL: 高鍋海水浴場は南北にかなり長いところです。
南北に約600 m の浜が海水浴場です。



写真BM: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 道は舗装 (ほそう)されていません。 北を見たものです。



写真BN: 蚊口浜サーフスポットの浜に降りる坂道です。 南東を見たものです。
「蚊口浜サーフスポット (サーフポイント、サーフィン場)」は高鍋海水浴場の南の 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
切れ目のある防波堤を備 (そな)える高鍋海水浴場のすぐ南にある良い波のサーフィン場です。 日向灘 (太平洋)の波が良好で初心者から上級者までサーフィンを楽しめます。 1年中、全国からサーファーが集まってきています。 トイレやシャワーも完備しています。



写真BO: 西を見たものです。 建物があります。 「←高鍋駅 750 m 先、高鍋町」の看板 (かんばん)があります。



写真BP: 「ハマゴウの花」が咲いていました。
ハマゴウはクマツヅラ科の落葉低木です。 暖地の海辺砂地に群生します。 幹(みき)は砂上を横走し、葉は楕円形(だえんけい)で夏に深い紫色の唇形花を短い穂状に付け、球形果を結びます。 果実は生薬の「まんけいし」で、強壮、清涼剤です。 ハマホウ、ハマボウとも呼ばれます。



写真BQ: 高鍋町にある蚊口浜サーフスポットの陸のコンクリートの堤防です。 波消しブロックも左に見えます。 奥に駐車場の自動車、トイレなどが見えます。 カメラマンが立っているのが見えます。 南を見たものです。



写真BR: 波消しブロックを積 (つ)んであります。 右遠くに宮田川の河口が小さく見えます。 その近くに黒く見える自動車が浜にとまっています。 南東を見たものです。
「蚊口浜 (かぐちはま)」は宮田川の川口近く(北側)にあります。
 長禄元年 (1457年)に財部(高鍋)土持景綱が伊東祐尭 (すけたか)に立ち向かいましたが、小浪川の戦い (高鍋町の宮田川の上流と思われます。)で滅亡し、日知屋、塩見、門川、新名、野別府、山陰、田代、神門、新納院高城は伊東の領地になりました。



写真BS: 東を見たものです。 右の波がサーフィンに適しています。



写真BT: 蚊口浜サーフスポットから高鍋海水浴場を見たものです。 北東を見たものです。



写真BU: 北を見たものです。 海岸はこの様 (よう)にコンクリートの幅の広い階段になっています。



写真BV: 奥に宮田川の河口が見えます。 その近くの浜に黒く自動車と2人の人が見えます。 南東を見たものです。



写真BW: 蚊口浜サーフスポットにカメラと一脚 (いっきゃっく)を構 (かま)えた人が見えます。 今サーフィンをしている人を撮影 (さつえい)しているのでしょう。 その左にコンクリートの階段、波消しブロックもあります。 駐車場に自動車がとまっています。 ここは宮田川の河口の少し北です。 南を見たものです。



写真BX: 東を見たものです。 サーフィンをしている人が黒く小さく見えます。 白波もあります。 蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)です。 このあたりも砂浜です。
「蚊口浜サーフスポット (サーフポイント、サーフィン場)」は高鍋海水浴場の南の 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
切れ目のある防波堤を備 (そな)える高鍋海水浴場のすぐ南にある良い波のサーフィン場です。 日向灘 (太平洋)の波が良好で初心者から上級者までサーフィンを楽しめます。 1年中、全国からサーファーが集まってきています。 トイレやシャワーも完備しています。



写真BY: 蚊口浜サーフスポットの浜に降りる所です。 階段が両側に見えます。 手すりもあります。 南東を見たものです。



写真BZ: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 車が見えます。 北を見たものです。



写真CA: 西を見たものです。 階段とビロウ樹、ポール、松林、ソテツの木などが見えます。



写真CB: 西を見たものです。 蚊口浜サーフスポットのそばです。



写真CC: 南西を見たものです。 建物はシャワー室、トイレと思われます。 駐車場に自動車がとまっています。



写真CD: 近くに宮田川の河口があります。 その近くの浜に小さく黒く見える自動車が来ていました。 波消しブロックを並 (なら)べてあります。 蚊口浜サーフスポットから南を見たものです。
蚊口浜 (かぐちはま)には伝説があります。
 宮崎県 美郷町 南郷区 神門 にある「神門神社 (みかどじんじゃ)」に次の石碑 (せきひ)があります。
 「百済王守護 益見太郎 並に七人衆之碑」の石碑 (せきひ)と説明石碑から、
<説明石碑>
「天平勝宝8年 (756年、今から1230年前)内乱により祖国を追われた百済王禎嘉帝が大和国 厳島 (いつくしま)に逃れ2年後に反乱軍の追撃をさけ海路 九州の大宰府へと脱出の途中激しい暴風雨で難航し王は日向市 金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郡に住んだ。 王子と妃 (きさき)の舟は高鍋町 蚊口浦へ流れ着き木城町の比木に安住した。 更 (さら)に王は追撃を受け東郷町 下三ヶ中水流の伊佐賀峠にて応戦したが苦戦し、王子 福智王が比木より援助し撃滅した。 当時王に随身した神門郷の7人衆有之、又王が神門に宮居を定めるに当たり豪族 益見太郎は土地を提供し宮居造営にも援助し食糧も補給したと云 (い)う。 7人衆は神門神社 宮司 原田八郎 氏の口伝えに依 (よ)れば当時 中邑、海野、小路、宮脇、村田、菊池、若杉の諸家にて鬼神野より中戸、下田家、中渡川の桑原家も加わって協力したと伝えられる。 神門郷の各々の後継者が舞楽を継承し伶人(れいじん、音楽を奏する人。)として奉仕現在に至って居る。
昭和60年12月 七人衆後継者一同建立」
 この碑文 (ひぶん)の「756年に祖国を追われた百済王」の756年は百済滅亡 (660年)の96年後、朝鮮半島の白村江の戦い (663年)の93年後、倭朝廷の内乱である壬申の乱 (じんしんのらん、672年)の84年後になります。



写真CE: 高鍋町にある蚊口浜サーフスポットの波が見えます。 日向灘 (太平洋)です。



写真CF: 蚊口浜サーフスポットの浜に降りる場所です。 階段、手すりもあります。



写真CG: 北を見たものです。 コンクリートの壁 (かべ)、波消しブロックもあります。 奥は高鍋海水浴場です。



写真CH: 北を見たものです。



写真CI: 北西を見たものです。



写真CJ: 奥に広場があります。 ビロウ樹、東屋 (あずまや)も見えます。 西を見たものです。 蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)です。



写真CK: 南を見たものです。 高鍋町にある蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)です。



写真CL: 「ゴミ捨て禁止、アキカンやゴミは必ずお持ち帰りください。 中部港湾事務所」と書いてある看板 (かんばん)があります。 蚊口浜サーフスポットです。



写真CM: 南を見たものです。



写真CN: 宮田川の河口が見えます。 蚊口浜サーフスポットから南を見たものです。



写真CO: 建物があります。 北西を見たものです。



写真CP: 北を見たものです。 高鍋海水浴場に戻 (もど)って来ました。



写真CQ: 小舟も見えます。 高鍋海水浴場。



写真CR: ハマユウの花が咲いていました。 東を見たものです。



写真CS: 高鍋海水浴場。



写真CT: 南を見たものです。 この道を進んで蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)に行ってきました。



写真CU: 西に行く細道にロープを張ってあります。



写真CV: 高鍋海水浴場の少し西に蚊口海浜公園キャンプ村があります。 左はそのキャンプ村管理棟 (かんりとう)です。 看板 (かんばん)も見えます。 西を見たものです。



写真CW: 左端は蚊口海浜公園キャンプ村の管理棟 (かんりとう)です。 西を見たものです。
「蚊口海浜公園 全体案内図、管理者: 高鍋町役場建設管理課」の説明板があります。



写真CX: 「蚊口海浜公園 全体案内図、管理者: 高鍋町役場建設管理課」の説明板です。



写真CY: 「蚊口海浜公園 全体案内図、管理者: 高鍋町役場建設管理課」の説明板。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)