測量船「明洋」、帆船「みらいへ」、宮崎みなとまつり 2016、宮崎港(海上保安庁イメージキャラクター「うみまる」と「うーみん」、海上保安庁の測量船「明洋」の一般公開、一般人の乗れる唯一の帆船「みらいへ」、一般社団法人グローバル人材育成推進機構の帆船「みらいへ」)  (宮崎県 宮崎市 港)







<標高、位置>  宮崎港 フェリー発着所  (宮崎港フェリーターミナル)は
標高 数 m
 北緯31度54分39秒  東経131度27分27秒

<標高、位置>  宮崎港 漁港は
標高 数 m
 北緯31度53分55秒  東経131度27分22秒

<標高、位置>  宮崎港 南防波堤の根元は
標高 数 m
 北緯31度54分46秒  東経131度28分08秒

<標高、位置>  宮崎港 内防波堤は
標高 数 m
 北緯31度55分22秒  東経131度28分20秒

<標高、位置>  新別府川(しんびゅうがわ)の河口は
標高 0 m
 北緯31度54分56秒  東経131度27分34秒


 「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。

 「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。

 「明洋」は海上保安庁の測量船です。 海底地質構造や海底地形の調査および海流・潮流などの調査活動をするための中型の多目的測量船です。 海洋観測、海洋測量、沿岸調査を任務としています。 全長は60.0 m 、深さは5.0 m 、幅は10.5 m 、吃水 (きっすい)は3.1 m 、総トン数は550 トン、航海速度は15 ノット、航続距離は5000 海里、乗組員は24名、その他は14名、合計38名、主機関は1100 ps x 2 基、竣工 (しゅんこう)は平成2年10月です。

 「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。

 「新別府川(しんびゅうがわ)」は全長約13 kmで河口近くの地名、新別府町(しんべっぷちょう)から名付けられました。 新別府川 (しんびゅうがわ)の源流は池内の古賀病院の北の方です。 新別府川は宮崎港の北側で太平洋に注(そそ)ぎます。 別府はもともと「べっぷ、びゅう、べふ」と発音し、平安時代末期から戦国時代に出来た土地制度です。 新別府川は昔は大島川、前川、南川、竹下溝などと呼ばれていました。 「新別府川をめぐる百姓一揆(いっき)」が明治26年(1893年)に起こりました。 宮崎でもその夏は約60日間雨が降りませんでした。 大島村(現 宮崎市 大島町)の農民は新別府川に井堰(いせき)を造り田畑に水を引きました。 そのため下流の吉村村(現 宮崎市 吉村町)は川の水が不足しました。 吉村村の数100人の農民が大島村の井堰を破壊して吉村村に水を流しました。 大島と吉村は大争い(水争い)をしました。 結局、両村の長老が話し合いました。 その結果、西田川が新別府川に合流する地点より下流には井堰を造らない事になりました。 吉村村には西田川の水が来ることになったのです。 これで新別府川をめぐる百姓一揆 (水争い)は終結したそうです。

 「阿波岐原森林公園」は宮崎県 宮崎市 新別府町 上和田 1336-1 にあります。 広いので新別府町、山崎町、阿波岐原町にまたがっています。 昭和32年(1956年)2月4日に阿波岐原森林公園を広域公園に決定し、開設は昭和61年4月1日です。 都市計画公園区域 390.9 ha 。 主な施設(周辺施設を含む)はみやざき臨海公園(サンマリーナ宮崎、サンビーチ一ツ葉)、宮崎市フェニックス自然動物園、国際海浜エントランス、、フローランテ宮崎、市民の森、シーガイア、新別府公園、フェニックス カントリー クラブなどです。


写真A: 「宮崎みなとまつり 2016」が開かれ、スーパーレスキューと書いてある消防車が宮崎港に来ていました。



写真B: 宮崎港で開かれた「宮崎みなとまつり 2016」の会場です。 宮崎港の北部分の岸壁 (がんぺき)に海上保安庁の測量船「明洋」と社団法人 グローバル人材育成推進機構の一般人が乗れる唯一の帆船「みらいへ」が停泊 (ていはく)しています。 北を見たものです。



写真C: 南を見たものです。 カーフェリーの「みやざきエキスプレス」が宮崎港に停泊 (ていはく)しています。
「みやざきエキスプレス」はカーフェリーです。 総トン数は11931 トン、航海速力は25 ノット、全長は170 m 、全幅は27 m 、最大出力は19800 ps x 2基、就航年月日は平成8年12月2日です。



写真D: 南東を見たものです。 対岸 (東)の大きな円筒形の石油タンクが多く見えます。 右端は「みやざきエキスプレス」です。



写真E: 東を見たものです。 左は宮崎港の防波堤です。
防波堤は宮崎港南防波堤と宮崎港内防波堤があります。



写真F: 北東を見たものです。 左端には測量船「明洋」とその奥の帆船 (はんせん)「みらいへ」が見えます。 右は宮崎港の防波堤です。



写真G: 北を見たものです。 宮崎みなとまつり2016が開催されています。 テント、幟 (のぼり)もあります。



写真H: 手前が測量船「明洋」とその奥の帆船 (はんせん)「みらいへ」です。 手前に船のロープを繋 (つな)ぐ鉄製のボラードがあります。



写真I: 宮崎港の岸壁 (がんぺき)です。



写真J: 「宮崎みなとまつり 2016」でミニテニスが行われていました。 そのネットも左にあります。 北西を見たものです。



写真K: 西を見たものです。 スーパーレスキューの赤い消防車、白い救急車も見えます。 外灯と左に携帯電話の基地局アンテナがあります。 右端はミニテニスのネットです。



写真L: 南西を見たものです。 左端はカーフェリーの「みやざきエキスプレス」、その乗客が乗り降りする通路、その右に宮崎港フェリーターミナルが見えます。 高いワシントン椰子 (やし)が遠くに見えます。 携帯電話の基地局アンテナがあります。



写真M: 手前に船のロープを繋 (つな)ぐボラードがあります。 南を見たものです。



写真N: 南東を見たものです。 対岸 (東)の大きな円筒形石油タンクがいくつか見えます。 手前に船のロープを繋 (つな)ぐボラードが見えます。



写真O: 東を見たものです。 左端は測量船「明洋」です。 宮崎港の防波堤も遠くに見えます。



写真P: 手前の「明洋」は海上保安庁の測量船です。 海底地質構造や海底地形の調査および海流・潮流などの調査活動をするための中型の多目的測量船です。 海洋観測、海洋測量、沿岸調査を任務としています。 全長は60.0 m 、深さは5.0 m 、幅は10.5 m 、吃水 (きっすい)は3.1 m 、総トン数は550 トン、航海速度は15 ノット、航続距離は5000 海里、乗組員は24名、その他は14名、合計38名、主機関は1100 ps x 2 基、竣工 (しゅんこう)は平成2年10月です。



写真Q: 測量船「明洋」の錆 (さ)びた錨 (いかり)が見えます。 船体に「明洋」、「HL03」と書いてあります。



写真R: 測量船「明洋」の船首の様子 (ようす)が分かります。



写真S: 測量船「明洋」です。



写真T: 橙色 (だいだいいろ)の救命浮輪 (うきわ)が2つ見えます。 いろいろなアンテナも上に見えます。 左に「明洋」と書いてあるタラップが見えます。



写真U: 奥に帆船「みらいへ」の帆 (ほ)が見えています。



写真V: 測量船「明洋」の船橋 (せんきょう、船舶の甲板上の高い位置にあって、航海中に操船や通信を行う場所で、ブリッジとも呼 (よ)ばれます。)のところの様子 (ようす)が分かります。



写真W: 風向風速計、レーダーのアンテナ、通信のアンテナなどがあります。



写真X: 海上保安庁イメージキャラクター「うみまる」と「うーみん」の絵があります。 敬礼をしている絵です。



写真Y: 潜水服のぬいぐるみの「海上保安庁 UMIMARU (うみまる)」君です。 水中メガネ、シュノーケルも見えます。 奥のテントで海上保安庁のグッズを販売していました。 写真などの展示もあります。



写真Z: 測量船「明洋」の船尾です。 国旗が見えます。



写真AA: 乗船するときのタラップに「HL03 明洋」と書いてあります。 奥の方のタラップに人が見えます。 煙突 (えんとつ)も見えます。 多くのアンテナがあります。



写真AB: 南を見たものです。 奥にカーフェリーの「みやざきエキスプレス」が見えます。



写真AC: 「明洋」は海上保安庁の測量船です。 海底地質構造や海底地形の調査および海流・潮流などの調査活動をするための中型の多目的測量船です。 海洋観測、海洋測量、沿岸調査を任務としています。 全長は60.0 m 、深さは5.0 m 、幅は10.5 m 、吃水 (きっすい)は3.1 m 、総トン数は550 トン、航海速度は15 ノット、航続距離は5000 海里、乗組員は24名、その他は14名、合計38名、主機関は1100 ps x 2 基、竣工 (しゅんこう)は平成2年10月です。



写真AD: 測量船「明洋」の上部です。 煙突 (えんとつ)と多くのアンテナがあります。



写真AE: 宮崎みなとまつりに宮崎市消防局の「地震体験車」が来ていました。 荷台の中が揺 (ゆ)れていろいろな強度の地震を体験できます。



写真AF: 地震体験車から客が降りています。



写真AG: すべての帆 (ほ)が張 (は)られています。
「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真AH: 北を見たものです。 テントもあります。



写真AI: 帆 (ほ)は三角形のものと四角のものがあります。
「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真AJ: 船の先端部に帆 (ほ)を固定してあります。 左に女性像があります。 船の先頭部分にある金色の船首像です。 帆船にはよくある船首像です。



写真AK: 船体に「みらいへ MIRAIE」と書いてあります。 すべての帆 (ほ)が張 (は)られています。
3本の帆柱 (マスト)があります。



写真AL: 南を見たものです。 地震体験車、測量船「明洋」、その奥にカーフェリーのみやざきエキスプレスが見えます。 右に黒松林、外灯、テントもあります。



写真AM: 帆船のロープがボラードに固定してあります。



写真AN: マスト (帆柱)のところに梯子 (はしご)、ロープなどが見えます。 中央の青色の機械は錨 (いかり)の巻き上げ機と思われます。



写真AO: 帆船 (はんせん)はロープが多いのが特徴です。
帆船「みらいへ」の船橋 (せんきょう、船舶の甲板上の高い位置にあって、航海中に操船や通信を行う場所で、ブリッジとも呼 (よ)ばれます。)の様子 (ようす)が分かります。 橙色 (だいだいいろ)の救命浮輪 (うきわ)も2つ見えます。
船橋の前に1本、後ろに2本の帆柱 (マスト)があります。



写真AP: 後部の帆柱が2本見えます。 帆柱には梯子 (はしご)があります。 北を見たものです。



写真AQ: 3本の帆柱 (マスト)と張 (は)られた帆 (ほ)です。 帆柱にはいくつかの梯子 (はしご)があります。 ロープと滑車 (かっしゃ)が見えます。 帆柱の途中 (とちゅう)には人が立てる踊り場 (おどりば)があります。



写真AR: 見上 (あ)げた3本の帆柱です。 四角の帆は帆柱から水平に伸びた棒 (ぼう)に取り付けてあります。



写真AS: 船首の棒 (ぼう)に4枚の三角形の帆 (ほ)を取り付けてあります。



写真AT: 乗船するときのタラップの奥に鐘 (かね)が見えます。 その右上に「みらいへ 神戸」と書いてあります。



写真AU: 甲板 (かんぱん)の上に救命ボートが見えます。 手前に丸い救命浮輪 (うきわ)もあります。 帆柱の下部の様子 (ようす)が分かります。



写真AV: ロープで地面に錨 (いかり)の絵や文字を書いてあります。
船尾近くの様子 (ようす)が分かります。 最後尾のマスト (帆柱)が見えます。 奥は新別府川の河口です。 新別府川は宮崎港の入江 (いりえ)に注 (そそ)いでいます。



写真AW: 「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真AX: 帆 (ほ)の下部です。 下部にも帆柱から水平に伸びた棒があります。



写真AY: 帆に「TFJ、Travel Factory Japan」と書いてあります。



写真AZ: 船首に近い部分の帆 (ほ)です。



写真BA: 見上 (あ)げた帆(ほ)です。



写真BB: 三角形の帆と四角の帆が見えます。



写真BC: 北を見たものです。 奥は新別府川の河口です。 新別府川は宮崎港の入江 (いりえ)に注 (そそ)いでいます。 その奥は阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)です。



写真BD: 西を見たものです。 このあたりの宮崎港への出入り口が奥にあります。 宮崎みなとまつりの出店のテントもあります。 外灯が見えます。



写真BE: 右は海上保安庁 測量船「明洋」のマグカップです。 左は帆船「みらいへ」の帽子 (ぼうし)です。 それぞれテントのグッズ店で買ったものです。



写真BF: 海上保安庁 測量船「明洋」のマグカップです。



写真BG: 「宮崎みなとまつり」の看板 (かんばん)があります。
海上保安庁測量船「明洋」 一般見学入口、ピンヒールのお客様はご遠慮ください。 船内での安全確保の為ベビーカー及び車いすでの乗船はご遠慮下さい。
と書いてあります。



写真BH: 測量船「明洋」を見学するための行列です。 多くの人達が並 (なら)んでいます。



写真BI: 潜水服のぬいぐるみの「海上保安庁 UMIMARU (うみまる)」君とお客さんです。



写真BJ: 潜水服のぬいぐるみの背中に「海上保安庁 UMIMARU (うみまる)」と書いてあります。 「一日船長」のタスキをかけたイメージガールも隣 (とな)りにいらっしゃいます。



写真BK: 海上保安庁の旗が見えます。 測量船「明洋」。



写真BL: 風向風速計、アンテナ、レーダーアンテナ、旗などが見えます。



写真BM: 測量船「明洋」です。



写真BN: 甲板 (かんぱん)はこのようになっています。



写真BO: 左下にハンドルがあります。



写真BP: 測量船「明洋」から東を見たものです。 宮崎港の入江 (いりえ)です。



写真BQ: 宮崎港の防波堤が見えます。 ボートも小さく見えます。



写真BR: 北を見たものです。 手前は測量船「明洋」で、奥は帆船「みらいへ」です。



写真BS: アンテナもあります。



写真BT: 甲板 (かんぱん)から見た測量船「明洋」のアンテナなどです。



写真BU: 甲板 (かんぱん)の上です。



写真BV: 甲板 (かんぱん)にはいろいろな装置もあります。



写真BW: 測量船「明洋」の甲板 (かんぱん)です。



写真BX: 甲板 (かんぱん)から見たものです。



写真BY: 測量船「明洋」の甲板 (かんぱん)から見た宮崎みなとまつりの会場です。 北西を見たものです。



写真BZ: 測量船「明洋」の甲板から見た宮崎みなとまつりの会場。 多くのテント、舞台 (ぶたい)、人達が見えます。 西を見たものです。



写真CA: 南西を見たものです。 左端は測量船「明洋」の見学者です。 舞台 (ぶたい)、テント、外灯、人が見えます。



写真CB: 帽子 (ぼうし)を被 (かぶ)った船員さんも見えます。 南を見たものです。



写真CC: 測量船「明洋」の甲板 (かんぱん)です。



写真CD: 見上げた旗、風向風速計、アンテナなどです。



写真CE: 太陽も見えています。



写真CF: 「磁気コンパス」と書いてあります。 雨風を防ぐためにガラス窓のある蓋 (ふた)があります。 測量船「明洋」。



写真CG: 測量船「明洋」から見た宮崎みなとまつりの会場です。 南西を見たものです。 左に宮崎港フェリーターミナルが見えます。



写真CH: 南を見たものです。 手前は測量船「明洋」の船首です。 錨 (いかり)のロープと巻き上げ機が見えます。 カーフェリーのみやざきエキスプレスが見えます。



写真CI: 南東を見たものです。 大きな円筒形の石油タンクが並 (なら)んでいます。



写真CJ: 宮崎港の水面が光っています。



写真CK: 東を見たものです。 遠くに宮崎港の防波堤があります。



写真CL: 左に一ツ葉入江 (ひとつばいりえ)の細長い砂州 (さす)が見えます。 この砂州はほとんど対岸まで届いています。 北東を見たものです。



写真CM: 左端は新別府川の河口です。 新別府川は宮崎港の入江 (いりえ)に注 (そそ)いでいます。



写真CN: 旗、甲板 (かんぱん)、アンテナなどが見えます。 北を見たものです。



写真CO: 大きなスピーカーがあります。



写真CP: レーダーのアンテナが2つ見えます。



写真CQ: 風向風速計、アンテナもあります。



写真CR: 丸い大きな窓があります。 外の景色が写っています。 測量船「明洋」。



写真CS: 手前は磁気コンパス、その奥にスピーカーがあります。



写真CT: 右にも大きなスピーカーがあります。 測量船「明洋」。



写真CU: 北を見たものです。



写真CV: 西を見たものです。 中央奥に舞台 (ぶたい)があります。



写真CW: 測量船「明洋」から見た会場の舞台 (ぶたい)です。 村角町の高屋神社の神楽 (かぐら)が演じられていました。



写真CX: 測量船「明洋」と会場に並 (なら)んでいる人達です。



写真CY: 船橋の中です。
「明洋」は海上保安庁の測量船です。 海底地質構造や海底地形の調査および海流・潮流などの調査活動をするための中型の多目的測量船です。 海洋観測、海洋測量、沿岸調査を任務としています。 全長は60.0 m 、深さは5.0 m 、幅は10.5 m 、吃水 (きっすい)は3.1 m 、総トン数は550 トン、航海速度は15 ノット、航続距離は5000 海里、乗組員は24名、その他は14名、合計38名、主機関は1100 ps x 2 基、竣工 (しゅんこう)は平成2年10月です。



写真CZ: 船橋の中です。 いろいろな計器が上に並 (なら)んでいます。 測量船「明洋」。



写真DA: いろいろな測定器などが並 (なら)んでいます。
「明洋」は海上保安庁の測量船です。 海底地質構造や海底地形の調査および海流・潮流などの調査活動をするための中型の多目的測量船です。 海洋観測、海洋測量、沿岸調査を任務としています。 全長は60.0 m 、深さは5.0 m 、幅は10.5 m 、吃水 (きっすい)は3.1 m 、総トン数は550 トン、航海速度は15 ノット、航続距離は5000 海里、乗組員は24名、その他は14名、合計38名、主機関は1100 ps x 2 基、竣工 (しゅんこう)は平成2年10月です。



写真DB: 窓から東を見たものです。 宮崎港の防波堤も見えます。



写真DC: 測量船「明洋」の甲板 (かんぱん)です。



写真DD: 「ようこそ 測量船「明洋」へ!! 平成28年5月4日」と白板に書いてあります。



写真DE: 測定器の液晶画面も見えます。
「明洋」は海上保安庁の測量船です。 海底地質構造や海底地形の調査および海流・潮流などの調査活動をするための中型の多目的測量船です。 海洋観測、海洋測量、沿岸調査を任務としています。 全長は60.0 m 、深さは5.0 m 、幅は10.5 m 、吃水 (きっすい)は3.1 m 、総トン数は550 トン、航海速度は15 ノット、航続距離は5000 海里、乗組員は24名、その他は14名、合計38名、主機関は1100 ps x 2 基、竣工 (しゅんこう)は平成2年10月です。



写真DF: 「賞」と書いてあります。



写真DG: 測定器 (海底基準局)を置いてあります。 海底基準局は、水深1000 m 以上の海底に設置しています。



写真DH: 「海底基準局」の説明板があります。



写真DI: 「海底の圧力」の説明板です。
 海底基準局は、水深1000 m 以上の海底に設置しています。 水の中では、水深 100 m で約10気圧、水深 1000 m で約100気圧の圧力がかかります。 そんな海底にステンレス製マグカップを沈めると、その水の圧力によって、変形してしまいます。 人の手でもつぶせないマグカップをいとも簡単にこんな複雑な形に変形させてしまう海底は、とても厳 (きび)しい環境です。 このマグカップは四国沖海底 2700 m に沈めたものです。 不思議な形でしょ。
と書いてあります。



写真DJ: 最後尾の国旗が見えます。 北を見たものです。



写真DK: タラップに見学者たちが上 (あが)がっています。



写真DL: ロープを甲板 (かんぱん)に巻いてあります。



写真DM: タラップです。 西を見たものです。



写真DN: 東を見たものです。 タラップを使って上陸しました。



写真DO:  「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真DP:  帆船「みらいへ」の上部です。



写真DQ: 西を見たものです。 奥はこのあたりの宮崎港の出入り口になっています。



写真DR: テント、テーブル、椅子 (いす)が並 (なら)んでいます。



写真DS: 外灯です。



写真DT: 南を見たものです。 多くの人が会場に来ていました。



写真DU: 飲食店のテントなどが多くあります。



写真DV: 「ソフトクリーム」の幟 (のぼり)が見えます。 東を見たものです。



写真DW: 奥に帆船「みらいへ」の大きな帆 (ほ)が見えます。



写真DX: 北を見たものです。 出店が多く見えます。



写真DY: 多くの人や出店が見えます。



写真DZ: 左にフェニックスロベレニーの木が見えます。 北西を見たものです。



写真EA: 西を見たものです。 フェニックスロベレニーの木が見えます。



写真EB: ソフトクリームを買って食べました。



写真EC: ソフトクリーム販売の自動車です。



写真ED: 「金魚すくい」の店もありました。



写真EE: 帆船「みらいへ」の後部です。 水面をボートが走っていました。 手前に船のロープを繋 (つな)ぐ金属製のボラードがあります。



写真EF: 南を見たものです。 手前から帆船「みらいへ」、測量船「明洋」、カーフェリーの「みやざきエキスプレス」が見えています。



写真EG: 帆 (ほ)を畳 (たた)んである帆船「みらいへ」です。 このように帆を畳んであります。



写真EH: 手前は宮崎港の北端です。 この左は新別府川の河口になっています。



写真EI: 新別府川の河口です。 手前は宮崎港の北端です。 対岸は阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)になっています。 右遠くは宮崎港の防波堤です。 北東を見たものです。
 「新別府川(しんびゅうがわ)」は全長約13 kmで河口近くの地名、新別府町(しんべっぷちょう)から名付けられました。 新別府川 (しんびゅうがわ)の源流は池内の古賀病院の北の方です。 新別府川は宮崎港の北側で太平洋に注(そそ)ぎます。 別府はもともと「べっぷ、びゅう、べふ」と発音し、平安時代末期から戦国時代に出来た土地制度です。 新別府川は昔は大島川、前川、南川、竹下溝などと呼ばれていました。 「新別府川をめぐる百姓一揆(いっき)」が明治26年(1893年)に起こりました。 宮崎でもその夏は約60日間雨が降りませんでした。 大島村(現 宮崎市 大島町)の農民は新別府川に井堰(いせき)を造り田畑に水を引きました。 そのため下流の吉村村(現 宮崎市 吉村町)は川の水が不足しました。 吉村村の数100人の農民が大島村の井堰を破壊して吉村村に水を流しました。 大島と吉村は大争い(水争い)をしました。 結局、両村の長老が話し合いました。 その結果、西田川が新別府川に合流する地点より下流には井堰を造らない事になりました。 吉村村には西田川の水が来ることになったのです。 これで新別府川をめぐる百姓一揆 (水争い)は終結したそうです。

 「阿波岐原森林公園」は宮崎県 宮崎市 新別府町 上和田 1336-1 にあります。 広いので新別府町、山崎町、阿波岐原町にまたがっています。 昭和32年(1956年)2月4日に阿波岐原森林公園を広域公園に決定し、開設は昭和61年4月1日です。 都市計画公園区域 390.9 ha 。 主な施設(周辺施設を含む)はみやざき臨海公園(サンマリーナ宮崎、サンビーチ一ツ葉)、宮崎市フェニックス自然動物園、国際海浜エントランス、、フローランテ宮崎、市民の森、シーガイア、新別府公園、フェニックス カントリー クラブなどです。



写真EJ: 対岸 (北)は阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)、手前は宮崎港の北端です。



写真EK: 新別府川です。 一ツ葉橋が見えています。 その奥に江田川が新別府川に合流する地点にある水門の建物が見えます。 対岸は阿波岐原森林公園です。 手前は宮崎港の北端です。 北西を見たものです。



写真EL: 西を見たものです。 右は新別府川です。



写真EM: 宮崎県警のボートが宮崎港を走っていました。



写真EN: 左は帆船「みらいへ」の見学者の行列です。



写真EO: 帆船「みらいへ」のマスト、梯子 (はしご)なども見えます。



写真EP: タラップです。



写真EQ: 奥に救命ボートがあります。



写真ER: 帆船「みらいへ」です。



写真ES: 帆 (ほ)を畳 (たた)んであります。



写真ET: 見上 (あ)げた帆柱です。 帆柱からの横棒の様子 (ようす)がよく分かります。



写真EU: タラップを通って船内に行きます。



写真EV: 「みらいへ」のタイムベル (時鐘 (じしょう))です。
タイムベルを鳴らすことで時間を船内に知らせます。 30分毎に1回ずつベルを鳴らす回数が増えていきます。 船員は当直を4時間で交代するので8度ベルが鳴ると当直交代の合図になります。



写真EW: 甲板 (かんぱん)は木製と思われます。



写真EX: 「タイムベル (時鐘 (じしょう))」の説明があります。
タイムベルを鳴らすことで時間を船内に知らせます。 30分毎に1回ずつベルを鳴らす回数が増えていきます。 船員は当直を4時間で交代するので8度ベルが鳴ると当直交代の合図になります。
と書いてあります。



写真EY: 岸壁 (がんぺき)にある船を止める装置です。 手前は帆船「みらいへ」です。



写真EZ: 「バウデッキ」の説明があります。



写真FA: 帆船なので特にロープが多くあります。



写真FB: 茶色の帆柱も見えます。



写真FC: 甲板 (かんぱん)にはいろいろな物があります。



写真FD: 下に滑車 (かっしゃ)があります。



写真FE: 帆柱と左の船橋です。



写真FF: 見上 (あ)げた帆柱です。 梯子 (はしご)もあります。



写真FG: 真下 (ました)から見上げた帆柱です。
「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真FH: 帆船「みらいへ」の先頭部分です。
「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真FI: 青いものは錨 (いかり)のロープの巻き上げ機です。



写真FJ: 近くから見た帆柱 (マスト)です。



写真FK: 船首の様子 (ようす)が分かります。



写真FL: フェリーの「みやざきエキスプレス」が離岸しました。 「みらいへ」から見たものです。



写真FM: 左上は船橋です。



写真FN: 帆柱と船橋です。



写真FO: 先ほど出港したカーフェリーの「みやざきエキスプレス」が遠くに見えます。 東を見たものです。



写真FP: 船橋の中です。
「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真FQ: 船橋の中。 上に計器が並 (なら)んでいます。



写真FR: 階段を下 (くだ)ります。



写真FS: 階段には手すりがあります。



写真FT: 2段ベッドです。



写真FU: きれいなロープで作ったもの、笹 (ささ)、ぬいぐるみを飾ってあります。



写真FV: 船内の丸い窓から見た宮崎港です。 左は防波堤です。 東を見たものです。



写真FW: 丸い窓から見た宮崎港の防波堤です。



写真FX: 帆船「みらいへ」の厨房 (ちゅうぼう)です。



写真FY: 帆船「みらいへ」の厨房 (ちゅうぼう)。



写真FZ: 階段を上がります。



写真GA: 「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真GB: 「がんばろう!熊本・九州」と書いてあります。 熊本地震の応援と思われます。



写真GC: 「がんばろう!熊本・九州」と書いてあります。 熊本地震の応援です。



写真GD: 帆柱、ロープなどです。



写真GE: 帆柱の中部です。



写真GF: 帆柱の上部です。
「帆船「みらいへ」」は一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運航者です。 帆船みらいへ事業部神戸事務所があります。 日本でただ1つの一般の人たちが乗ることができる帆船です。 海事・海洋教育やクルーズ、国際交流など多様な視点で海や自然と親 (した)しみ、未知の世界を体験し学ぶ場を提供しています。 用途は旅客船 (練習帆船)、総トン数は230 トン(国内)・362 トン(国際)、全長は52.16 m 、幅は8.60 m 、旅客定員は38名(宿泊の場合)、主機関は320 ps x 1機、帆装は3本マスト・総帆数は13枚です。



写真GG: 右に救命ボートが見えます。



写真GH: 甲板 (かんぱん)の様子 (ようす)です。



写真GI: 帆柱の下です。



写真GJ: タラップが見えます。



写真GK: 帆柱と横棒です。



写真GL: 帆 (ほ)をこのように畳 (たた)んであります。



写真GM: 見学客が多く乗船しています。



写真GN: ロープを巻いてあります。



写真GO: 壁に「NTTファシリティー」と書いてあります。



写真GP: 帆柱に付いている滑車 (かっしゃ)があります。



写真GQ: 帆 (ほ)の畳 (たた)み方がよく分かります。



写真GR: 救命ボートに「みらいへ」と書いてあります。



写真GS: タラップを渡って港に行きます。



写真GT: 陸から見たタラップです。



写真GU: 会場です。



写真GV: 「国土交通省九州地方整備局 宮崎港湾・空港整備事務所」と書いてあります。 テントの中です。



写真GW: 「国土交通省九州運輸局宮崎運輸支局」と書いてあります。 テントの中です。



写真GX: 宮崎みなとまつりの会場です。 北東を見たものです。



写真GY: ミニテニスが行われていました。 宮崎みなとまつりです。



写真GZ: フェリーに乗客が乗り降りする通路が見えます。



写真HA: 南を見たものです。 奥に宮崎港フェリーターミナルが見えます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)