古代駅 去飛 (こひ)、建て替え中のJR 都農駅 (古代駅 去飛跡、古代の道 (官道、今の国道。)、去飛 (こひ)の駅井戸、場所が正確に特定されている古代駅です。当時の井戸が残っています。福原尾公民館、駅前の風景、駅前通)  (宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾)







<標高、位置>  古代駅 「去飛 (こひ)」は
標高 約10 m
 北緯32度14分59秒  東経131度34分12秒

<標高、位置>  JR都農駅(つのえき)は
標高 約16 m
 北緯32度15分04秒  東経131度34分06秒

<標高、位置>  福原尾公民館は
標高 約20 m
 北緯32度14分59秒  東経131度34分10秒

<標高、位置>  県立 都農高等学校は
標高 約30 m
 北緯32度15分07秒  東経131度33分38秒

<標高、位置>  都農役場(つのやくば)は
標高 約25 m
 北緯32度15分24秒  東経131度33分35秒

<標高、位置>  もと本陣だった「赤木家住宅」は
標高 約20 m
 北緯32度15分30秒  東経131度33分30秒

<標高、位置>  都農神社(つのじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度15分47秒  東経131度33分31秒

<標高、位置>  都農川の都農橋は
標高 約20 m
 北緯32度15分40秒  東経131度33分37秒


 古代駅の「去飛 (こひ)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾 にあります。
古代駅の場所が正確に特定されているのは珍 (めずら)しいと思います。 当時の井戸が残っているのはすばらしいことです。
「去飛 (こひ)の駅井戸の由来 (ゆらい)」の説明板から、
 この井戸は千余年前、日向16駅の1つとしてこの地に去飛 (こひ)の駅が設 (もう)けられた際、往来する人馬の用に供せられたものであると伝えられている。 以来、この地区の人々の生活用水として敬 (うやま)い親しまれてきたものである。
 また「去飛 (こひ)」の駅名は「都農」という文字の草書体を誤って「去飛 (こひ)」と読まれたことによるものである。
 この駅に駅馬 (えきば、律令制で、駅に用意しておいて官用に供した馬のことです。 山陽道の各駅に20匹、東海道・東山道では10匹、他の諸道では5匹でした。)・伝馬 (でんま、逓送用の馬で、律令制では、駅馬とは別に、各郡に5匹ずつ飼 (か)わせ、公用旅行の官人に使わせました。)それぞれ5頭を置き交通・運輸の便をはかった往時 (おうじ)をしのび、名残 (なごり)の井戸を整備して永く後世に伝えるものである。
 駅使 (えきし)は天皇から駅鈴をもらって行き来しました。 駅鈴はいろいろな国にも置かれました。 大切な情報をすばやく中央と地方との間に伝えるために、駅路は直線的なものが多くありました。 集落などとは無関係に造られ、道幅も 6 m を超えていました。 駅には駅舎があり、駅長がいて、給食、宿泊、馬の中継などを行いました。 駅長の下に駅子がいて駅馬をひきました。 駅の維持のため駅田 (えきでん)が大路4町、中路3町、小路2町与えられました。 駅戸がその駅田を耕 (たがや)しました。 駅子は120人から130人ほどでした。
 古代の律令時代 (りつりょうじだい)の頃、中央と地方を結び、物資および手紙の運搬をするために、官道 (今の国道。)が作られました。 そして、約30里 (当時の1里は約550 m)ごとに、駅が作られ、駅には、駅馬が置かれました。 日向国では、16の駅が作られました。
日向16駅は、豊後 (ぶんご、大分県)より、長井、川辺、刈田、美禰 (みね)、去飛 (都農神社)、児湯、国府 (西都市、都萬神社)、当磨、江田、救麻、救仁、水俣、島津 (都城市)、大隅路へ。 それと、国府 (西都市、都萬神社)から分岐 (ぶんき)して、亜榔、野後、夷守 (霧島岑神社 (きりしまみねじんじゃ))、真 (まさき、えびの市)、肥後路へ、という官道 (今の国道。)がありました。
「日向国の駅」は、(豊後路より) 臼杵郡 長井駅 ながい 延岡市北川町長井、臼杵郡 川辺駅 かわのべ 延岡市大貫川辺 (西階児公園)、臼杵郡 刈田駅 かった 門川町刈田(かりでん)(門川中学校)、臼杵郡 美禰駅 みね 日向市美々津町、児湯郡 去飛駅 こひ 都農町福原尾 (都農駅東南)、児湯郡 児湯駅 こゆ 木城町高城、 国府 (西都市)、那珂郡 当磨駅 たいま 宮崎市佐土原町上田島、宮崎郡  田駅 いしだ 宮崎市阿波岐原町 (江田神社)、宮崎郡 救磨駅 くま 宮崎市 熊野、宮崎郡 救仁駅 くに 宮崎市田野、諸県郡 水俣駅 みまた 三股町または都城市山之口町、諸県郡 島津駅 しまづ 都城市郡元、大隅路へ。 また国府 (西都市)から分岐して国府 (西都市)、諸県郡 亜榔駅 あや 綾町、諸県郡 野後駅 のじり 小林市野尻、諸県郡 夷守駅 ひなもり 小林市夷守、諸県郡 真 駅 まさき えびの市真幸、肥後路へ、というものでした。

 日豊本線にある「JR九州 都農駅」は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。
都農駅はJR九州 日豊本線の駅です。 都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。 1951年 (昭和26年)に駅舎を改築しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。 簡易委託駅になっています。

 「福原尾公民館」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾 3683 にあります。

 「都農神社(つの神社)」は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。

 都農町の「都農役場」は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北4874−2にあります。

 「宮崎県立 都農高等学校」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 4661 番地にあります。

 「赤木家住宅 (もと本陣、重要文化財)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 4942 にあります。


写真A: 旧豊後街道のバス停「都農駅通 宮崎交通」があります。 先の十字路を左に進むと (県道310号線) JR都農駅があります。 JR都農駅の南東に古代駅 去飛 (こひ)跡の古い井戸などがあります。



写真B: 左右に県道310号線が通っています。 十字路に「餅 (もち)つき 赤飯のことぶきや」があります。 南西を見たものです。



写真C: 北西を見たものです。 尾鈴連山が見えます。



写真D: 旧 豊後街道 (ぶんごかいどう)を振 (ふ)り返ったものです。 バス停「都農駅通 宮崎交通」が見えます。 奥に国指定重要文化財の赤木家住宅、都農神社などがあります。



写真E: 県道310号線です。 東南東を見たものです。 奥にJR都農駅、古代駅 去飛 (こひ)、都農高等学校、都農役場などがあります。



写真F: このあたりの店、施設などの地図があります。



写真G: 「パントリー けいすけ」と書いてあります。 南を見たものです。



写真H: 「←都農町役場」の標識があります。 右に高鍋信用金庫の看板 (かんばん)があります。 街路樹があります。 東南東を見たものです。



写真I: 北を見たものです。 奥に都農町役場があります。



写真J: 「都農高校入口」の標識があります。 東南東を見たものです。



写真K: 「都農高校入口」の標識です。



写真L: 「天使の風鈴 (ふうりん)」の花がありました。



写真M: 「八重 (やえ)のスイセンの花」が咲いていました。



写真N: 「都農駅前」の標識があります。 その奥ではJR 都農駅の建て替えを行っています。 ネットを張 (は)ってあります。 東を見たものです。



写真O: 建て替え中のJR 都農駅舎、駅前の花壇 (かだん)、若山牧水の歌碑 (かひ)などがあります。 東を見たものです。
日豊本線にある「JR九州 都農駅」は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。
都農駅はJR九州 日豊本線の駅です。 都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。 1951年 (昭和26年)に駅舎を改築しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。 簡易委託駅になっています。



写真P: JR 都農駅の近くです。



写真Q: 北東を見たものです。 JR 都農駅の近くです。



写真R: 西北西を見たものです。 JR 都農駅の近くです。



写真S: 西北西を見たものです。 左右対称の尾鈴山 (標高 1405 m )が見えています。 この道 (県道 310号線)を奥から歩いて来ました。



写真T: JR 都農駅の前から左右対称の尾鈴山 (標高 1405 m )が見えます。 県道310号線です。



写真U: 南西を見たものです。 「iShop (あいしょっぷ)」の店があります。 JR都農駅前です。



写真V: 南を見たものです。 iShop (あいしょっぷ)の看板 (かんばん)に「たばこ」と書いてあります。 JR 都農駅前です。



写真W: 南東を見たものです。 JR 都農駅前です。



写真X: 東を見たものです。 建て替え中のJR 都農駅舎、駐輪場、右に駐車場、駅のトイレ、飲料水の自動販売機、左手前に花壇 (かだん)が見えます。



写真Y: 建て替え中のJR 都農駅です。 跨線橋 (こせんきょう)や電車の架線 (かせん)の支柱なども見えます。
日豊本線にある「JR九州 都農駅」は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。
都農駅はJR九州 日豊本線の駅です。 都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。 1951年 (昭和26年)に駅舎を改築しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。 簡易委託駅になっています。



写真Z: 北東を見たものです。 都農駅前にある若山牧水の歌碑 (かひ)が見えます。



写真AA: 北西を見たものです。 JR 都農駅前です。 右に花壇 (かだん)があります。



写真AB: 来た県道310号線が見えます。 左はアイショップです。



写真AC: 西を見たものです。 都農駅前です。



写真AD: 南西を見たものです。 都農駅前です。



写真AE: 南東を見たものです。 都農駅前です。



写真AF: JR 都農駅の駐車場と左の駐輪場です。 南東を見たものです。 電車の架線 (かせん)の支柱も見えます。



写真AG: 左端は建て替え中の都農駅舎です。 その右に新しいトイレがあります。 駐輪場も見えます。 東を見たものです。



写真AH: 「ご迷惑をおかけします。 新しい都農駅舎を作っています。 平成29年3月31日まで 時間帯 8:00〜、都農駅舎改築工事、施工者 都農町役場 建設課」と書いてあります。



写真AI: 南を見たものです。 「←都農漁港」と書いてある標識があります。



写真AJ: すぐに十字路があります。 南を見たものです。 左 (東)に曲がって「古代駅 去飛 (こひ)」の場所に行きます。 そこには古くからの井戸などがあります。



写真AK: 東を見たものです。 JR 日豊本線の踏切 (ふみきり)があります。 先に進みます。



写真AL: 北を見たものです。 JR 都農駅方面が見えます。 線路が合流しています。



写真AM: 南を見たものです。 JR 日豊本線です。 踏切 (ふみきり)の遮断器 (しゃだんき)があります。 電車の架線 (かせん)とその支柱が見えます。



写真AN: 東を見たものです。 大きな木があります。 T字路の角 (かど)に石のお地蔵様が小さく見えています。



写真AO: T字路の角 (かど)にお地蔵様の石像があります。 花を供 (そな)えてあります。 北を見たものです。



写真AP: 十字路にバス停「地域福祉バス 福原尾 都農町」があります。 ミラーもあります。 奥に都農漁港があります。 東を見たものです。



写真AQ: バス停「地域福祉バス 福原尾 都農町」です。 東を見たものです。 奥に都農漁港があります。



写真AR: 十字路から南を見たものです。 これはおそらく奈良・平安時代の官道 (今の国道。)と思われます。



写真AS: 十字路から北を見たものです。 これはおそらく奈良・平安時代の官道 (今の国道。)と思われます。 この先に進みます。 すぐに、右手に「古代駅 去飛 (こひ)」跡があります。



写真AT: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 先ほどの大きな木が見えます。 奥にJR 日豊本線の踏切 (ふみきり)があります。



写真AU: 十字路から東を見たものです。 奥に都農漁港があります。



写真AV: 北を見たものです。 右に「古代駅 去飛 (こひ)跡」が見えます。 そこには当時からの井戸があります。 この道は奈良・平安時代の官道 (今の国道。)と思われます。



写真AW: 北東を見たものです。 これが古代駅 去飛 (こひ)です。 左に古い井戸が見えます。
古代駅の「去飛 (こひ)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾 にあります。



写真AX: 南を見たものです。 この道は古代の官道 (今の国道。)と思われます。 官道に駅 去飛 (こひ)があります。



写真AY: 古代駅 去飛 (こひ)跡 (あと)です。 当時からの井戸があります。 南東を見たものです。



写真AZ: 東を見たものです。 T字路の角 (かど)に古代駅 去飛 (こひ)があります。 説明板が見えます。



写真BA: 北東を見たものです。



写真BB: 北を見たものです。 この道は古代の官道 (今の国道。)と思われます。



写真BC: 祠 (ほこら)があります。 花を供 (そな)えてあります。 北西を見たものです。



写真BD: 西を見たものです。



写真BE: 南西を見たものです。



写真BF: 南を見たものです。 古代の官道と思われます。



写真BG: T字路に小さめの祠 (ほこら)があり、花と竹2本を供 (そな)えてあります。 東を見たものです。



写真BH: 祠 (ほこら)に供 (そな)えてある2本の竹です。



写真BI: 「去飛 (こひ)の駅井戸の由来 (ゆらい)」の説明板があります。
 この井戸は千余年前、日向16駅の1つとしてこの地に去飛 (こひ)の駅が設 (もう)けられた際、往来する人馬の用に供せられたものであると伝えられている。 以来、この地区の人々の生活用水として敬 (うやま)い親しまれてきたものである。
 また「去飛 (こひ)」の駅名は「都農」という文字の草書体を誤って「去飛 (こひ)」と読まれたことによるものである。
 この駅に駅馬 (えきば、律令制で、駅に用意しておいて官用に供した馬のことです。 山陽道の各駅に20匹、東海道・東山道では10匹、他の諸道では5匹でした。)・伝馬 (でんま、逓送用の馬で、律令制では、駅馬とは別に、各郡に5匹ずつ飼 (か)わせ、公用旅行の官人に使わせました。)それぞれ5頭を置き交通・運輸の便をはかった往時 (おうじ)をしのび、名残 (なごり)の井戸を整備して永く後世に伝えるものである。
平成元年3月 都農町教育委員会
と書かれています。



写真BJ: 「去飛 (こひ)の駅井戸の由来 (ゆらい)」の説明板です。
 この井戸は千余年前、日向16駅の1つとしてこの地に去飛 (こひ)の駅が設 (もう)けられた際、往来する人馬の用に供せられたものであると伝えられている。 以来、この地区の人々の生活用水として敬 (うやま)い親しまれてきたものである。
 また「去飛 (こひ)」の駅名は「都農」という文字の草書体を誤って「去飛 (こひ)」と読まれたことによるものである。
 この駅に駅馬 (えきば、律令制で、駅に用意しておいて官用に供した馬のことです。 山陽道の各駅に20匹、東海道・東山道では10匹、他の諸道では5匹でした。)・伝馬 (でんま、逓送用の馬で、律令制では、駅馬とは別に、各郡に5匹ずつ飼 (か)わせ、公用旅行の官人に使わせました。)それぞれ5頭を置き交通・運輸の便をはかった往時 (おうじ)をしのび、名残 (なごり)の井戸を整備して永く後世に伝えるものである。
平成元年3月 都農町教育委員会
と書かれています。



写真BK: 「去飛 (こひ)の駅井戸の由来 (ゆらい)」の説明板。
 この井戸は千余年前、日向16駅の1つとしてこの地に去飛 (こひ)の駅が設 (もう)けられた際、往来する人馬の用に供せられたものであると伝えられている。 以来、この地区の人々の生活用水として敬 (うやま)い親しまれてきたものである。
 また「去飛 (こひ)」の駅名は「都農」という文字の草書体を誤って「去飛 (こひ)」と読まれたことによるものである。
 この駅に駅馬 (えきば、律令制で、駅に用意しておいて官用に供した馬のことです。 山陽道の各駅に20匹、東海道・東山道では10匹、他の諸道では5匹でした。)・伝馬 (でんま、逓送用の馬で、律令制では、駅馬とは別に、各郡に5匹ずつ飼 (か)わせ、公用旅行の官人に使わせました。)それぞれ5頭を置き交通・運輸の便をはかった往時 (おうじ)をしのび、名残 (なごり)の井戸を整備して永く後世に伝えるものである。
平成元年3月 都農町教育委員会
と書かれています。



写真BL: 古代の駅 去飛 (こひ)の井戸です。 当時の井戸が残っています。
古代駅の「去飛 (こひ)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾 にあります。



写真BM: 井戸には4つの穴のあいた蓋 (ふた)があります。 東を見たものです。



写真BN: 井戸の上には屋根があります。



写真BO: 井戸の上の屋根です。



写真BP: 井戸には金網のある蓋 (ふた)があります。 そこから中を見ることができます。 右上に暗い穴があります。



写真BQ: 西を見たものです。 遠くの尾鈴連山が見えます。 右手前は古代駅の去飛 (こひ)跡です。



写真BR: 都農町にある古代駅 去飛 (こひ)跡です。



写真BS: 北西を見たものです。 遠くに鳥居 (とりい)が見えます。



写真BT: 古代駅去飛 (こひ)跡です。



写真BU: 古くからある井戸です。



写真BV: 南を見たものです。



写真BW: 南西を見たものです。



写真BX: 西を見たものです。 説明板が見えます。



写真BY: 古代駅の跡です。



写真BZ: 北西を見たものです。 福原尾公民館が見えます。 そこに石碑 (せきひ)があります。 古代駅 去飛 (こひ)のそばです。



写真CA: 公民館の入り口に鳥居 (とりい)があります。 この道は古代の官道 (今の国道。)と思われます。 北を見たものです。



写真CB: 「津波避難場所 福原尾公民館 地盤の高さ 海抜 約16 m 、都農町」と書いてあります。



写真CC: 西を見たものです。 福原尾公民館の入り口に階段、坂道と鳥居 (とりい)があります。
「福原尾公民館」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾 3683 にあります。



写真CD: 左端は福原尾公民館です。



写真CE: 右にも階段があります。



写真CF: 北西を見たものです。 上は墓場になっています。



写真CG: 石段を登ります。 西を見たものです。



写真CH: 古い墓などが並 (なら)んでいます。 東を見たものです。 古代駅 去飛 (こひ)の近くです。



写真CI: 古い墓があります。



写真CJ: 北東を見たものです。 円筒形の墓は和尚 (おしょう)さんの墓です。 左端の円筒形の墓はまだ新しいものです。



写真CK: 新しい円筒形の墓に「平成26年10月16日」と彫 (ほ)ってあります。 最近亡くなられた和尚 (おしょう)さんの墓と思われます。



写真CL: 南西を見たものです。 都農町にある福原尾公民館です。 スピーカーの付いたポールがあります。
「福原尾公民館」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾 3683 にあります。



写真CM: 西を見たものです。 尾鈴連山が美しく見えます。 左端は福原尾公民館です。 広場があります。 古代駅 去飛 (こひ)跡の近くです。



写真CN: 北西を見たものです。



写真CO: 水平に伸びた木があります。 北を見たものです。



写真CP: 南を見たものです。 福原尾公民館です。



写真CQ: 黄色の柑橘系 (かんきつけい)の実があります。 日向夏 (ひゅうがなつ)かもしれません。



写真CR: 南東を見たものです。 右は新しい円筒形の墓です。



写真CS: 南を見たものです。



写真CT: 南西を見たものです。 福原尾公民館が見えます。



写真CU: 西を見たものです。 右に黄色の実が見えます。



写真CV: 北を見たものです。 これは古代の官道 (今の国道。)だった道と思われます。 木の芭蕉 (ばしょう)が見えます。



写真CW: 南を見たものです。 右に墓場と福原尾公民館があります。 鳥居 (とりい)も見えます。



写真CX: 宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 字福原尾 にある古代駅 去飛 (こひ)跡です。
古代駅の場所が正確に特定されているのは珍 (めずら)しいと思います。 当時の井戸が残っているのはすばらしいことです。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)