平田神社 (へいだ神社) (旧郷社、色づいたイチョウ、ヤマトタケルノミコトが熊襲征伐のときに、しばらくいた小山)  (宮崎県 児湯郡 川南町 大字平田)







<標高、位置>  平田神社 (へいだじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度11分28秒  東経131度32分23秒

<標高、位置>  龍野神社 (たつのじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度11分50秒  東経131度33分0秒

<標高、位置>  伊倉浜自然公園 (伊倉浜サーフィン場)は
標高 数 m
 北緯32度11分42秒  東経131度33分18秒

<標高、位置>  JR 川南駅は
標高 数 m
 北緯32度11分33秒  東経131度33分12秒

<標高、位置>  川南運動公園は
標高 約40 m
 北緯32度11分33秒  東経131度31分53秒

<標高、位置>  トロントロンドーム (川南町文化ホール)は
標高 約40 m
 北緯32度11分30秒  東経131度31分45秒


 「平田神社 (へいだじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 川南町 大字平田 1924番 にあります。
「社名 平田神社 (旧郷社)」の説明板から、
祭神
日本武尊 速玉男神 御年神 事解男神 瓊々杵尊 (ニニギノミコト) 菊理此売神 菅原道真公
御神徳
招福厄除 五穀豊穣 財富招来 交通安全 学問成就 商売繁盛 航海安全
由緒 (ゆいしょ)
 創立年代は不詳 (ふしょう)なるも古老の口碑 (こうひ、言い伝え)によると日本武尊 熊襲征伐 (くまそせいばつ)の為 (ため)西下されし時 幣田川 (現 平田川)川口の伊倉より御舟にて川を上 (のぼ)られ川岸の年の森に舟を寄せ給 (たま)い現社地の南東の高台 (現在も濠跡 (ほりあと)が存す。)の御山に宮居を定め暫 (しば)しこの地に留 (とど)まられ熊襲征伐の後再び立ち寄られた。
 後の仁徳天皇の御宇 (西暦300年代)人々は尊の高徳を慕 (した)い御遺跡を讃 (たた)え宮居の地に向かって現社地に神殿を建立 (こんりゅう)し尊を祭神として創始せりと伝 (つた)う。 いぜんは由緒記古文書等ありしも天正年間 (1573年〜1592年)大友宗麟 (おおともそうりん)この地に乱入せし際 兵火に遇 (あ)い神殿及び古文書焼失せり。 棟札に「奉再興平田大明神一宇 文録3年 (1594年)11月25日再興」と記載あり。 足利将軍義政の時 (1436年〜1490年) 伊東 氏より神領300石を寄進。
 現 今祭田と称する地名の田地あり。 高鍋藩主 秋月 公に至 (いた)り神領3石 社殿の修理とその他祭器具等一切の寄進あり。  祭礼には御直参又代参 (他人に代わって神仏へ参詣 (さんけい)すること。)され崇敬厚きものであった。 明治4年 郷社に列せられる。 明治43年末社(祭神御年神)熊野神社(祭神速玉男神・事解男神・菊理此売神)菅原神社(祭神菅原道真 公)霧島神社(祭神ニニギノミコト)の4社を平田神社に合祀 (ごうし)する。 創始より此方 (このかた)平田郷の氏子より産土神(守護神)の社として崇敬される。
祭日
1月1日 元旦祭 2月25日 祈年祭 (春祭) 7月 日夏祭 11月15日 七五三祭 11月25日 例祭 11月26・7日 神幸祭 12月31日 大祭 焼納際 除夜祭。
 「年の森 (歳の森)」は県指定の古墳 (こふん)です。 平田神社の南東の田んぼの中にあります。 木が茂 (しげ)っています。

 「龍野神社 (たつのじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 川南町 大字平田 4125番地 にあります。

 「川南運動公園」は宮崎県 児湯郡 川南町 大字平田 にあります。
川南町運動公園には、陸上競技場 (400 m のトラック、サッカー場)、野球場 (ナイター照明あります。)、弓道場、プール、テニスコート、児童遊園などがあります。 近くにトロントロンドーム (川南町文化ホール)があります。

 「トロントロンドーム (川南町文化ホール)」は宮崎県 児湯郡 川南町 大字平田 2386番地3 にあります。
トロントロンドームは1999年 (平成11年)7月15日にオープンしました。 トロントロンドームにある文化ホールには、ホール(650席)、研修室(約44坪)、和室(27畳)、ホワイエ(約42坪)、楽屋1(25畳)、リハーサル室(約25坪)があります。


写真A: 県道307号線です。 西を見たものです。 「平田神社」と書いてある看板 (かんばん)があります。 奥に進むと川南運動公園、トロントロンドームなどがあります。



写真B: 左に平田神社 (へいだじんじゃ)の一の鳥居 (いちのとりい)があります。 右は県道307号線です。



写真C: 「平田神社」と書いてあります。



写真D: 「平田神社、初宮参 七五三 厄祓 (やくはらい)、還暦祓 (かんれきはらい) 車祓 家内安全 諸祈願執行 (行います。)」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真E: 南を見たものです。 平田神社の一の鳥居 (いちのとりい)です。 奥に参道も見えます。 右奥の森が鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。



写真F: 「平田神社」と鳥居 (とりい)に書いてあります。



写真G: 東を見たものです。 県道307号線です。 奥に進むと龍野神社、伊倉浜自然公園 (伊倉浜サーフィン場)、JR 川南駅があります。



写真H: 平田神社の参道です。 石灯籠 (いしどうろう)もあります。



写真I: 平田神社の参道です。



写真J: 「コスモスの花」が咲いていました。



写真K: まっすぐに進むと平田神社があります。 右は平田神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。 南を見たものです。



写真L: 右は平田神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。



写真M: 平田神社の二の鳥居 (とりい)です。



写真N: 二の鳥居 (とりい)のそばに黄色に色づいたイチョウの木があります。



写真O: 平田神社の国旗掲揚(こっきけいよう)のポールと黄色のイチョウです。



写真P: きれいに黄葉したイチョウです。



写真Q: 奥に拝殿、石灯籠 (いしどうろう)、階段も見えます。



写真R: 説明板が見えます。



写真S: 落ち葉の清掃をしている人が見えます。 西を見たものです。



写真T: 「社名 平田神社 (旧郷社)」の説明板があります。
祭神
日本武尊 速玉男神 御年神 事解男神 瓊々杵尊 (ニニギノミコト) 菊理此売神 菅原道真公
御神徳
招福厄除 五穀豊穣 財富招来 交通安全 学問成就 商売繁盛 航海安全
由緒 (ゆいしょ)
 創立年代は不詳 (ふしょう)なるも古老の口碑 (こうひ、言い伝え)によると日本武尊 熊襲征伐 (くまそせいばつ)の為 (ため)西下されし時 幣田川 (現 平田川)川口の伊倉より御舟にて川を上 (のぼ)られ川岸の年の森に舟を寄せ給 (たま)い現社地の南東の高台 (現在も濠跡 (ほりあと)が存す。)の御山に宮居を定め暫 (しば)しこの地に留 (とど)まられ熊襲征伐の後再び立ち寄られた。
 後の仁徳天皇の御宇 (西暦300年代)人々は尊の高徳を慕 (した)い御遺跡を讃 (たた)え宮居の地に向かって現社地に神殿を建立 (こんりゅう)し尊を祭神として創始せりと伝 (つた)う。 いぜんは由緒記古文書等ありしも天正年間 (1573年〜1592年)大友宗麟 (おおともそうりん)この地に乱入せし際 兵火に遇 (あ)い神殿及び古文書焼失せり。 棟札に「奉再興平田大明神一宇 文録3年 (1594年)11月25日再興」と記載あり。 足利将軍義政の時 (1436年〜1490年) 伊東 氏より神領300石を寄進。
 現 今祭田と称する地名の田地あり。 高鍋藩主 秋月 公に至 (いた)り神領3石 社殿の修理とその他祭器具等一切の寄進あり。  祭礼には御直参又代参 (他人に代わって神仏へ参詣 (さんけい)すること。)され崇敬厚きものであった。 明治4年 郷社に列せられる。 明治43年末社(祭神御年神)熊野神社(祭神速玉男神・事解男神・菊理此売神)菅原神社(祭神菅原道真 公)霧島神社(祭神ニニギノミコト)の4社を平田神社に合祀 (ごうし)する。 創始より此方 (このかた)平田郷の氏子より産土神(守護神)の社として崇敬される。
祭日
1月1日 元旦祭 2月25日 祈年祭 (春祭) 7月 日夏祭 11月15日 七五三祭 11月25日 例祭 11月26・7日 神幸祭 12月31日 大祭 焼納際 除夜祭
と書かれています。



写真U: 「社名 平田神社 (旧郷社)」の説明板。
祭神
日本武尊 速玉男神 御年神 事解男神 瓊々杵尊 (ニニギノミコト) 菊理此売神 菅原道真公
御神徳
招福厄除 五穀豊穣 財富招来 交通安全 学問成就 商売繁盛 航海安全
由緒 (ゆいしょ)
 創立年代は不詳 (ふしょう)なるも古老の口碑 (こうひ、言い伝え)によると日本武尊 熊襲征伐 (くまそせいばつ)の為 (ため)西下されし時 幣田川 (現 平田川)川口の伊倉より御舟にて川を上 (のぼ)られ川岸の年の森に舟を寄せ給 (たま)い現社地の南東の高台 (現在も濠跡 (ほりあと)が存す。)の御山に宮居を定め暫 (しば)しこの地に留 (とど)まられ熊襲征伐の後再び立ち寄られた。
 後の仁徳天皇の御宇 (西暦300年代)人々は尊の高徳を慕 (した)い御遺跡を讃 (たた)え宮居の地に向かって現社地に神殿を建立 (こんりゅう)し尊を祭神として創始せりと伝 (つた)う。 いぜんは由緒記古文書等ありしも天正年間 (1573年〜1592年)大友宗麟 (おおともそうりん)この地に乱入せし際 兵火に遇 (あ)い神殿及び古文書焼失せり。 棟札に「奉再興平田大明神一宇 文録3年 (1594年)11月25日再興」と記載あり。 足利将軍義政の時 (1436年〜1490年) 伊東 氏より神領300石を寄進。
 現 今祭田と称する地名の田地あり。 高鍋藩主 秋月 公に至 (いた)り神領3石 社殿の修理とその他祭器具等一切の寄進あり。  祭礼には御直参又代参 (他人に代わって神仏へ参詣 (さんけい)すること。)され崇敬厚きものであった。 明治4年 郷社に列せられる。 明治43年末社(祭神御年神)熊野神社(祭神速玉男神・事解男神・菊理此売神)菅原神社(祭神菅原道真 公)霧島神社(祭神ニニギノミコト)の4社を平田神社に合祀 (ごうし)する。 創始より此方 (このかた)平田郷の氏子より産土神(守護神)の社として崇敬される。
祭日
1月1日 元旦祭 2月25日 祈年祭 (春祭) 7月 日夏祭 11月15日 七五三祭 11月25日 例祭 11月26・7日 神幸祭 12月31日 大祭 焼納際 除夜祭
と書かれています。



写真V: 「社名 平田神社 (旧郷社)」の説明板です。
祭神
日本武尊 速玉男神 御年神 事解男神 瓊々杵尊 (ニニギノミコト) 菊理此売神 菅原道真公
御神徳
招福厄除 五穀豊穣 財富招来 交通安全 学問成就 商売繁盛 航海安全
由緒 (ゆいしょ)
 創立年代は不詳 (ふしょう)なるも古老の口碑 (こうひ、言い伝え)によると日本武尊 熊襲征伐 (くまそせいばつ)の為 (ため)西下されし時 幣田川 (現 平田川)川口の伊倉より御舟にて川を上 (のぼ)られ川岸の年の森に舟を寄せ給 (たま)い現社地の南東の高台 (現在も濠跡 (ほりあと)が存す。)の御山に宮居を定め暫 (しば)しこの地に留 (とど)まられ熊襲征伐の後再び立ち寄られた。
 後の仁徳天皇の御宇 (西暦300年代)人々は尊の高徳を慕 (した)い御遺跡を讃 (たた)え宮居の地に向かって現社地に神殿を建立 (こんりゅう)し尊を祭神として創始せりと伝 (つた)う。 いぜんは由緒記古文書等ありしも天正年間 (1573年〜1592年)大友宗麟 (おおともそうりん)この地に乱入せし際 兵火に遇 (あ)い神殿及び古文書焼失せり。 棟札に「奉再興平田大明神一宇 文録3年 (1594年)11月25日再興」と記載あり。 足利将軍義政の時 (1436年〜1490年) 伊東 氏より神領300石を寄進。
 現 今祭田と称する地名の田地あり。 高鍋藩主 秋月 公に至 (いた)り神領3石 社殿の修理とその他祭器具等一切の寄進あり。  祭礼には御直参又代参 (他人に代わって神仏へ参詣 (さんけい)すること。)され崇敬厚きものであった。 明治4年 郷社に列せられる。 明治43年末社(祭神御年神)熊野神社(祭神速玉男神・事解男神・菊理此売神)菅原神社(祭神菅原道真 公)霧島神社(祭神ニニギノミコト)の4社を平田神社に合祀 (ごうし)する。 創始より此方 (このかた)平田郷の氏子より産土神(守護神)の社として崇敬される。
祭日
1月1日 元旦祭 2月25日 祈年祭 (春祭) 7月 日夏祭 11月15日 七五三祭 11月25日 例祭 11月26・7日 神幸祭 12月31日 大祭 焼納際 除夜祭
と書かれています。



写真W: 「社名 平田神社 (旧郷社)」の説明板。
祭神
日本武尊 速玉男神 御年神 事解男神 瓊々杵尊 (ニニギノミコト) 菊理此売神 菅原道真公
御神徳
招福厄除 五穀豊穣 財富招来 交通安全 学問成就 商売繁盛 航海安全
由緒 (ゆいしょ)
 創立年代は不詳 (ふしょう)なるも古老の口碑 (こうひ、言い伝え)によると日本武尊 熊襲征伐 (くまそせいばつ)の為 (ため)西下されし時 幣田川 (現 平田川)川口の伊倉より御舟にて川を上 (のぼ)られ川岸の年の森に舟を寄せ給 (たま)い現社地の南東の高台 (現在も濠跡 (ほりあと)が存す。)の御山に宮居を定め暫 (しば)しこの地に留 (とど)まられ熊襲征伐の後再び立ち寄られた。
 後の仁徳天皇の御宇 (西暦300年代)人々は尊の高徳を慕 (した)い御遺跡を讃 (たた)え宮居の地に向かって現社地に神殿を建立 (こんりゅう)し尊を祭神として創始せりと伝 (つた)う。 いぜんは由緒記古文書等ありしも天正年間 (1573年〜1592年)大友宗麟 (おおともそうりん)この地に乱入せし際 兵火に遇 (あ)い神殿及び古文書焼失せり。 棟札に「奉再興平田大明神一宇 文録3年 (1594年)11月25日再興」と記載あり。 足利将軍義政の時 (1436年〜1490年) 伊東 氏より神領300石を寄進。
 現 今祭田と称する地名の田地あり。 高鍋藩主 秋月 公に至 (いた)り神領3石 社殿の修理とその他祭器具等一切の寄進あり。  祭礼には御直参又代参 (他人に代わって神仏へ参詣 (さんけい)すること。)され崇敬厚きものであった。 明治4年 郷社に列せられる。 明治43年末社(祭神御年神)熊野神社(祭神速玉男神・事解男神・菊理此売神)菅原神社(祭神菅原道真 公)霧島神社(祭神ニニギノミコト)の4社を平田神社に合祀 (ごうし)する。 創始より此方 (このかた)平田郷の氏子より産土神(守護神)の社として崇敬される。
祭日
1月1日 元旦祭 2月25日 祈年祭 (春祭) 7月 日夏祭 11月15日 七五三祭 11月25日 例祭 11月26・7日 神幸祭 12月31日 大祭 焼納際 除夜祭
と書かれています。



写真X: 「年の森 0.3 km 、川南町・川南町観光協会」と書いてある看板 (かんばん)が平田神社の近くにあります。
「年の森 (歳の森)」は県指定の古墳 (こふん)です。 平田神社の南東の田んぼの中にあります。 木が茂 (しげ)っています。



写真Y: 二の鳥居 (とりい)に「平田神社」と書いてあります。



写真Z: 石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真AA: 左に説明板の裏が見えます。 石灯籠 (いしどうろう)の奥に石碑 (せきひ)があります。



写真AB: 南を見たものです。
奥の山に熊襲征伐 (くまそせいばつ)の時にヤマトタケルノミコトがしばらく住んでいたという伝説があります。



写真AC: 入り口の近くです。



写真AD: 境内 (けいだい)です。



写真AE: 左に拝殿、右に手水舎 (ちょうずや)があります。



写真AF: 「平田神社 (へいだじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 川南町 大字平田 1924番 にあります。
正面は拝殿、左に社務所、祈祷所 (きとうしょ)、右に手水舎 (ちょうずや)があります。 2つの狛犬 (コマイヌ)も見えます。 奥に杉の木と思われるものがあります。 北を見たものです。



写真AG: 左から祈祷所 (きとうしょ)、社務所、拝殿です。 平田神社。



写真AH: 境内 (けいだい)です。



写真AI: 奥に石碑 (せきひ)があります。



写真AJ: 石灯籠 (いしどうろう)と石碑 (せきひ)があります。



写真AK: 「記念碑 (ひ)」があります。 奉納者芳名・・・と書いてあります。



写真AL: 境内 (けいだい)に石碑 (せきひ)があります。 南を見たものです。



写真AM: 石碑 (せきひ)が並 (なら)んでいます。



写真AN: 「凱旋碑 (がいせんひ)」と書いてあります。



写真AO: 川南町にある平田神社の手水舎 (ちょうずや)です。 大きな手水鉢 (ちょうずばち)、柄杓 (ひしゃく)、縄 (なわ)、御幣 (ごへい)も見えます。 左後ろに石碑 (せきひ)があります。 東を見たものです。



写真AP: 手水鉢 (ちょうずばち)です。 平田神社です。



写真AQ: 石碑 (せきひ)が3つ並 (なら)んでいます。



写真AR: 「平田神社拝殿改築奉賛金奉納者」と書いてあります。



写真AS: 西側に三の鳥居 (とりい)と思われるものがあります。 右は祈祷所 (きとうしょ)、左には石碑 (せきひ)があります。 西を見たものです。



写真AT: 平田神社の三の鳥居 (とりい)です。 奥に小さく手水舎 (ちょうずや)が見えます。 東を見たものです。



写真AU: 祈祷所 (きとうしょ)と左に社務所があります。 手前に石垣 (いしがき)があります。 北東を見たものです。



写真AV: 北を見たものです。 門が見えます。 右は社務所です。



写真AW: 白いサザンカの花が咲いていました。 北を見たものです。



写真AX: 平田神社の祈祷所 (きとうしょ)です。 縄 (なわ)、御幣 (ごへい)も見えます。



写真AY: 平田神社の社務所と左の祈祷所 (きとうしょ)です。 北西を見たものです。



写真AZ: 社務所です。 左に赤い御神籤 (おみくじ)の箱があります。 上に竹、しめ縄 (なわ)、御幣 (ごへい)があります。 下に椅子 (いす)が並 (なら)んでいます。 西を見たものです。



写真BA: 狛犬 (コマイヌ)が拝殿の前にあります。



写真BB: 右側のコマイヌです。



写真BC: 平田神社です。
「平田神社 (へいだじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 川南町 大字平田 1924番 にあります。
「社名 平田神社 (旧郷社)」
祭神
日本武尊 速玉男神 御年神 事解男神 瓊々杵尊 (ニニギノミコト) 菊理此売神 菅原道真公
御神徳
招福厄除 五穀豊穣 財富招来 交通安全 学問成就 商売繁盛 航海安全
由緒 (ゆいしょ)
 創立年代は不詳 (ふしょう)なるも古老の口碑 (こうひ、言い伝え)によると日本武尊 熊襲征伐 (くまそせいばつ)の為 (ため)西下されし時 幣田川 (現 平田川)川口の伊倉より御舟にて川を上 (のぼ)られ川岸の年の森に舟を寄せ給 (たま)い現社地の南東の高台 (現在も濠跡 (ほりあと)が存す。)の御山に宮居を定め暫 (しば)しこの地に留 (とど)まられ熊襲征伐の後再び立ち寄られた。
 後の仁徳天皇の御宇 (西暦300年代)人々は尊の高徳を慕 (した)い御遺跡を讃 (たた)え宮居の地に向かって現社地に神殿を建立 (こんりゅう)し尊を祭神として創始せりと伝 (つた)う。 いぜんは由緒記古文書等ありしも天正年間 (1573年〜1592年)大友宗麟 (おおともそうりん)この地に乱入せし際 兵火に遇 (あ)い神殿及び古文書焼失せり。 棟札に「奉再興平田大明神一宇 文録3年 (1594年)11月25日再興」と記載あり。 足利将軍義政の時 (1436年〜1490年) 伊東 氏より神領300石を寄進。
 現 今祭田と称する地名の田地あり。 高鍋藩主 秋月 公に至 (いた)り神領3石 社殿の修理とその他祭器具等一切の寄進あり。  祭礼には御直参又代参 (他人に代わって神仏へ参詣 (さんけい)すること。)され崇敬厚きものであった。 明治4年 郷社に列せられる。 明治43年末社(祭神御年神)熊野神社(祭神速玉男神・事解男神・菊理此売神)菅原神社(祭神菅原道真 公)霧島神社(祭神ニニギノミコト)の4社を平田神社に合祀 (ごうし)する。 創始より此方 (このかた)平田郷の氏子より産土神(守護神)の社として崇敬される。
祭日
1月1日 元旦祭 2月25日 祈年祭 (春祭) 7月 日夏祭 11月15日 七五三祭 11月25日 例祭 11月26・7日 神幸祭 12月31日 大祭 焼納際 除夜祭。



写真BD: 拝殿の近くです。 敷石 (しきいし)があります。



写真BE: 「平田神社 社殿移転 社務所改築記念碑」と書いてある円筒形の石碑 (せきひ)があります。



写真BF: 「平田神社 社殿移転 社務所改築記念碑」と書いてある円筒形の石碑 (せきひ)です。



写真BG: 円筒形の石碑 (せきひ)の下部です。



写真BH: お札 (ふだ)などを焼く所です。 左奥は拝殿です。



写真BI: 北西を見たものです。 平田神社です。



写真BJ: 西を見たものです。 拝殿の横木のそばに「竹」があります。 その「竹」にしめ縄 (なわ)を吊 (つ)るしてあります (この形式は平田神社の北東にある龍野神社でも同様に、「竹」にしめ縄が吊るしてありました。)。 御幣 (ごへい)もあります。



写真BK: 拝殿の上部です。



写真BL: 拝殿の中部です。 平田神社。



写真BM: 拝殿の下部です。



写真BN: 鈴 (すず)と電球があります。



写真BO: 平田神社の中です。



写真BP: 平田神社の中。



写真BQ: 平田神社の中です。



写真BR: お賽銭箱 (さいせんばこ)、鈴紐 (ひも)の下部です。



写真BS: 手前に机 (つくえ)があります。



写真BT: 拝殿の側面です。



写真BU: 側面の下部です。



写真BV: 西を見たものです。



写真BW: 南西を見たものです。



写真BX: 南を見たものです。



写真BY: 南東を見たものです。



写真BZ: 東を見たものです。



写真CA: 御神籤 (おみくじ)を枝に縛 (しば)り付けてあります。



写真CB: 北東を見たものです。 奥に祠 (ほこら)があります。 平田神社。



写真CC: 右は平田神社の本殿です。 屋根に外切りの千木 (ちぎ)と3本の鰹木 (かつおぎ)があります。



写真CD: 川南町にある平田神社の本殿と左の拝殿です。



写真CE: 本殿の下部です。



写真CF: 本殿の屋根に外切りの千木 (ちぎ)と3本の鰹木 (かつおぎ)があります。



写真CG: 本殿に木彫り (きぼり)の彫刻 (ちょうこく)があります。



写真CH: 祠 (ほこら)などがあります。



写真CI: コンクリートブロックがあります。



写真CJ: 本殿の下部です。 西を見たものです。



写真CK: 本殿の中部です。



写真CL: 本殿。



写真CM: 南を見たものです。



写真CN: 西側に弓道の的 (まと)を置く場所のようなものがあります。



写真CO: 南西を見たものです。



写真CP: 南を見たものです。 拝殿の側面が見えます。



写真CQ: 本殿の側面の下部です。



写真CR: 本殿の側面です。



写真CS: 南東を見たものです。 本殿です。



写真CT: 東を見たものです。



写真CU: 本殿の裏の方です。



写真CV: 拝殿と本殿の間の所です。



写真CW: 北を見たものです。



写真CX: 北西を見たものです。



写真CY: 西を見たものです。



写真CZ: 南西を見たものです。



写真DA: 南南西を見たものです。



写真DB: 南を見たものです。 二の鳥居 (とりい)が見えます。



写真DC: 拝殿の上部です。



写真DD: 拝殿の中部です。



写真DE: コマイヌも見えます。 二の鳥居 (とりい)のそばの黄色のイチョウも見えます。 右は社務所です。



写真DF: 平田神社の境内 (けいだい)です。



写真DG: 南を見たものです。 二の鳥居 (とりい)。



写真DH: 西を見たものです。



写真DI: 南西を見たものです。



写真DJ: ココス椰子 (やし)があります。 南を見たものです。



写真DK: 南東を見たものです。



写真DL: ミラーがあります。 東を見たものです。



写真DM: 左は平田神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。



写真DN: 二の鳥居 (とりい)のそばに合掌ヒバ (がっしょうひば)があります。



写真DO: 平田神社のイチョウの木です。



写真DP:  見事なイチョウの黄葉です。



写真DQ: 北を見たものです。 参道の奥に一の鳥居 (とりい)が見えます。



写真DR: 石灯籠 (いしどうろう)と一の鳥居 (とりい)です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)