青島、青島神社、青島海水浴場 (あおしま、アオシマ、青島ビーチ、びろう樹、鬼の洗濯板、鬼の洗濯岩、弥生橋、宮崎県立青島亜熱帯植物園)  (宮崎市)







<標高、位置>  青島は
標高 約10 m
 北緯31度48分18秒  東経131度28分34秒

<標高、位置>  青島ビーチ(青島海水浴場)は
標高 約数 m
 北緯31度48分13秒  東経131度28分05秒

<標高、位置>  宮崎県立青島亜熱帯植物園は
標高 約数 m
 北緯31度48分07秒  東経131度28分11秒


 青島は宮崎県 宮崎市 青島にあります。 亜熱帯植物が茂る、周囲 約1.5キロメートルの島です。 島には青島神社があります。 青島神社は日向神話の山幸彦などを祀(まつ)っています。
これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。
 青島のそばの海岸には、青島ビーチ(青島海水浴場)があります。 青島が防波堤のような役目をして、波静かな天然の海水浴場です。 また、宮崎県立青島亜熱帯植物園も近くにあります。
 ビロウ樹の樹齢など、各説により数値が異なります。 その場合は、併記しました。


写真A: この車道は、先の方が宮崎市の中心部、手前側が日南市に行きます。 見えている歩道橋のところを右にはいると「青島」があります。 宮崎県立青島亜熱帯植物園はこの少し手前にあります。



写真B: 青島の土産物店(みやげものてん)。 手前に二つの「ばっちょ傘(がさ)」が見えています。 これは青島にも生えている「びろう樹(ビロウ樹)」の枯(か)れた葉で作った帽子(ぼうし)で、青島の名物です。



写真C: 手前の黒っぽい建物と先の白い建物の間に歩道があります。 青島に行くにはこの歩道を東に進みます。



写真D: 車道沿いにある「宮崎県立青島亜熱帯植物園」の門札(もんさつ)です。



写真E: 「宮崎県立青島亜熱帯植物園」の入り口です。 背の高いワシントン椰子(やし)が数本見えています。



写真F: 「宮崎県立青島亜熱帯植物園」。 背の高いワシントン椰子(やし)が数本見えています。



写真G: 「宮崎県立青島亜熱帯植物園」。



写真H: 青島に行く歩道を振り返ったもの。 左に「宮交レストラン青島」、正面奥に車道の歩道橋が見えています。



写真I: 青島に行く歩道の入り口に、人力車(じんりきしゃ)がありました。 車道には青島ビーチの看板(かんばん)も見えます。



写真J: 青島に行く歩道。



写真K: 歩道の左手に廃墟となったホテルがあります。



写真L: 青島に行く歩道。



写真M: 青島に向かう歩道。



写真N: 青島に行く歩道から、今は使われてない大きなホテルが左手に見えます。



写真O: 青島に行く歩道。 右手は「宮崎県立青島亜熱帯植物園」。 ここからも園内に入れます。 歩道の正面奥に見えているのが「青島」です。



写真P: 橋の向こうに青島が見えてきました。 右手は「宮崎県立青島亜熱帯植物園」。



写真Q: 「宮崎県立青島亜熱帯植物園」。 ここからも園内に入れます。



写真R: 「青島(あおしま)」が見えてきました。



写真S: 青島です。



写真T: 宮崎県宮崎市にある「青島(あおしま)」です。 青島と陸地を結ぶ橋(弥生橋(やよいはし)、昭和53年3月竣工)も見えています。 青島にある「青島神社」の赤い鳥居(とりい)が島の右手に見えます。 島の回(まわ)りには、鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)が見えています。



写真U: 宮崎県宮崎市にある「青島(あおしま)」です。 青島と陸地を結ぶ橋(弥生橋(やよいはし)、昭和53年3月竣工)も見えています。 青島にある「青島神社」の赤い鳥居(とりい)が島の右手に見えます。 島の回(まわ)りには、鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)が見えています。



写真V: 若山牧水(わかやまぼくすい)の歌碑(かひ)。 後ろの木はびろう樹(ビロウ樹)です。 びろう樹は青島にたくさん自生している亜熱帯性植物です。



写真W: 若山牧水の歌碑があるところから見た「青島」。 まわりの海は太平洋で、日向灘(ひゅうがなだ)と呼(よ)ばれています。



写真X: そばに立っていた看板(かんばん)。 青島の地図もあります。 青島のまわりの茶色に描かれているのは、鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)があるところです。



写真Y: 「青島の文化財」の看板。
 国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。
国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。  宮崎市教育委員会
と書いてあります。



写真Z: 先の方には青島海水浴場の建物などが見えています。



写真AA: 赤いポールから海の中へ、浮きを並べたロープが続いています。 このロープの左側が青島海水浴場です。



写真AB: 青島ビーチ(青島海水浴場)です。 海辺にはパラソル、浮き輪、ビニールボートなどのレンタル店が見えています。



写真AC: 左の木はビロウ樹、かまぼこ形の屋根は休息所、右の背の高い木はワシントン椰子(やし)、左の建物は使われてないホテルです。
 ビロウ樹(青島に)、蘇鉄(そてつ)は昔から天然に宮崎にありましたが、ワシントン椰子(やし)とフェニックス、ココス椰子(やし)は近年、外国から輸入して植えたもので、天然のものではありません。



写真AD: 青島海水浴場から南方向を見たもの。



写真AE: 青島海水浴場から南東方向を見たもの。



写真AF: 海の中のロープの左側が青島海水浴場です。



写真AG: 海水浴場から青島と弥生橋(やよいはし)が見えます。



写真AH: 青島海水浴場と青島。



写真AI: 宮崎県宮崎市の青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真AJ: 青島海水浴場。 遠くにシーガイアのオーシャン45が見えています。



写真AK: 宮崎市の青島海水浴場。 左の木はワシントン椰子(やし)、浮き輪、ビニールボートなどのレンタル店が見えます。



写真AL: 宮崎市の青島ビーチ(青島海水浴場)。 左の木はワシントン椰子(やし)、浮き輪、ビニールボートなどのレンタル店が見えます。 今から50数年前はこのコンクリート階段、ホテル跡、ワシントン椰子はありませんでした。 休息所の面積はもっと広いものでした。 奥の小さく見えるホテルは子供の国のそばにあるパームビーチホテルです。



写真AM: 宮崎市の青島海水浴場。 左端のパームビーチホテル、その右の方に丸い屋根は運動公園の「このはなドーム」です。



写真AN: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。
 昭和38年7月に、ここ青島海水浴場で監視台から海を見て、時々ボートで泳いでいる人たちの安全を守るアルバイト(監視員)をしたことがあります。 その頃は、海の中に木製の飛び込み台があり、砂浜の幅は今より広く、遊泳客はもっと多く、砂浜にある監視台は屋根のある木製の立派なもので、簡単な建物の休息所はもっと長く数も今よりずっと多かったのを思い出します。 浮き輪はトラック、自動車の古いチューブを使用していました。 この浮き輪のレンタル店も今より多くありました。 氷菓子、食堂などの出店も並んでいました。



写真AO:  宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。
 昭和38年7月に、ここ青島海水浴場で監視台から海を見て、時々ボートで泳いでいる人たちの安全を守るアルバイト(監視員)をしたことがあります。 その頃は、海の中に木製の飛び込み台があり、砂浜の幅は今より広く、遊泳客はもっと多く、砂浜にある監視台は屋根のある木製の立派なもので、簡単な建物の休息所はもっと長く数も今よりずっと多かったのを思い出します。 浮き輪はトラック、自動車の古いチューブを使用していました。 この浮き輪のレンタル店も今より多くありました。 氷菓子、食堂などの出店も並んでいました。



写真AP: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。
 後ろの大きなホテルは、廃墟となった青島橘ホテルです。 青島橘ホテルは、当時宮崎が全国からの新婚旅行客でにぎわっていた1967年(昭和42年)に建設されました。 その後、外国への新婚旅行が一般的になり、宮崎への客は激減しました。 このホテルは1990年12月に閉鎖し、長年廃墟状態になっていました。 しかし、2010年6月に旧 橘ホテルの解体工事が終わり、2012年5月現在ではホテル跡地の再利用については何も決定されていません。 空き地のままになっています。
 昭和38年7月に、ここ青島海水浴場で監視台から海を見て、時々ボートで泳いでいる人たちの安全を守るアルバイト(監視員)をしたことがあります。 その頃は、海の中に木製の飛び込み台があり、砂浜の幅は今より広く、遊泳客はもっと多く、砂浜にある監視台は屋根のある木製の立派なもので、簡単な建物の休息所はもっと長く数も今よりずっと多かったのを思い出します。 浮き輪はトラック、自動車の古いチューブを使用していました。 この浮き輪のレンタル店も今より多くありました。 氷菓子、食堂などの出店も並んでいました。



写真AQ: 浮き輪などのレンタル店、廃墟となった古いホテル、ワシントン椰子(やし)などが見えます。



写真AR: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。
 昭和38年7月に、ここ青島海水浴場で監視台から海を見て、時々ボートで泳いでいる人たちの安全を守るアルバイト(監視員)をしたことがあります。 その頃は、海の中に木製の飛び込み台があり、砂浜の幅は今より広く、遊泳客はもっと多く、砂浜にある監視台は屋根のある木製の立派なもので、簡単な建物の休息所はもっと長く数も今よりずっと多かったのを思い出します。 浮き輪はトラック、自動車の古いチューブを使用していました。 この浮き輪のレンタル店も今より多くありました。 氷菓子、食堂などの出店も並んでいました。



写真AS: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。
 昭和38年7月に、ここ青島海水浴場で監視台から海を見て、時々ボートで泳いでいる人たちの安全を守るアルバイト(監視員)をしたことがあります。 その頃は、海の中に木製の飛び込み台があり、砂浜の幅は今より広く、遊泳客はもっと多く、砂浜にある監視台は屋根のある木製の立派なもので、簡単な建物の休息所はもっと長く数も今よりずっと多かったのを思い出します。 浮き輪はトラック、自動車の古いチューブを使用していました。 この浮き輪のレンタル店も今より多くありました。 氷菓子、食堂などの出店も並んでいました。



写真AT: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真AU: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。
 昭和38年7月に、ここ青島海水浴場で監視台から海を見て、時々ボートで泳いでいる人たちの安全を守るアルバイト(監視員)をしたことがあります。 その頃は、海の中に木製の飛び込み台があり、砂浜の幅は今より広く、遊泳客はもっと多く、砂浜にある監視台は屋根のある木製の立派なもので、簡単な建物の休息所はもっと長く数も今よりずっと多かったのを思い出します。 浮き輪はトラック、自動車の古いチューブを使用していました。 この浮き輪のレンタル店も今より多くありました。 氷菓子、食堂などの出店も並んでいました。



写真AV: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真AW: 遠くに運動公園の「このはなドーム」とナイターの照明塔が見えています。



写真AX: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。



写真AY: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。



写真AZ: 青島海水浴場の休息所。 後ろは廃墟となってる旧 橘ホテル。



写真BA: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真BB: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。 遠くにシーガイアのオーシャン45(高層ホテル)が見えています。



写真BC: 青島海水浴場のシャワー室、更衣室、トイレ。 後ろは廃墟となってる旧 青島橘ホテル。
 後ろの大きなホテルは、廃墟となった青島橘ホテルです。 青島橘ホテルは、当時宮崎が全国からの新婚旅行客でにぎわっていた1967年(昭和42年)に建設されました。 その後、外国への新婚旅行が一般的になり、宮崎への客は激減しました。 このホテルは1990年12月に閉鎖し、18年間この廃墟状態になっています。 しかし、2008年9月2日の宮崎市の発表によると、廃墟のホテルを解体し、2階建てコテージ風ホテルなどが建設されることになりました。



写真BD: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 木製のデッキもあります。



写真BE: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真BF: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 青島もよく見えます。



写真BG: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 左に遊泳客の安全を守る監視台と監視員さんが見えます。



写真BH: 宮崎県宮崎市にある青島海水浴場。 左に遊泳客の安全を守る監視台と監視員さんが見えます。



写真BI: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 遊泳客の安全を守る監視台と監視員さんが見えます。



写真BJ: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真BK: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 2台の浮いている水上スクーターと4輪駆動車で水上スクーターを浜に引き上げているのが見えます。



写真BL: 宮崎市にある青島海水浴場。 階段の上にはビロウ樹が見えます。



写真BM: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 砂浜には遊泳客の足跡が残っています。



写真BN: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 打ち寄せる波はこのように穏(おだ)やかです。 また、遠浅なので良い天然の海水浴場です。



写真BO: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 打ち寄せる波はこのように穏(おだ)やかです。 また、遠浅なので子供でも安心な、良い天然の海水浴場です。



写真BP: 宮崎市にある青島海水浴場。 打ち寄せる波はこのように穏(おだ)やかです。 また、遠浅なので良い天然の海水浴場です。



写真BQ: 青島海水浴場。



写真BR: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真BS: 宮崎市にある青島海水浴場。
 後ろの大きなホテルは、廃墟となった青島橘ホテルです。 青島橘ホテルは、当時宮崎が全国からの新婚旅行客でにぎわっていた1967年(昭和42年)に建設されました。 その後、外国への新婚旅行が一般的になり、宮崎への客は激減しました。 このホテルは1990年12月に閉鎖し、18年間この廃墟状態になっています。 しかし、2008年9月2日の宮崎市の発表によると、廃墟のホテルを解体し、2階建てコテージ風ホテルなどが建設されることになりました。



写真BT: 宮崎市にある青島海水浴場。 大きなホテルは、今は使われていません。 昭和40年代の宮崎観光ブームの名残です。 沖縄が日本に復帰してからは、南九州に来ていた観光客が沖縄県に流れていきました。
 後ろの大きなホテルは、廃墟となった青島橘ホテルです。 青島橘ホテルは、当時宮崎が全国からの新婚旅行客でにぎわっていた1967年(昭和42年)に建設されました。 その後、外国への新婚旅行が一般的になり、宮崎への客は激減しました。 このホテルは1990年12月に閉鎖し、18年間この廃墟状態になっています。 しかし、2008年9月2日の宮崎市の発表によると、廃墟のホテルを解体し、2階建てコテージ風ホテルなどが建設されることになりました。



写真BU: 宮崎市にある青島海水浴場。
 後ろの大きなホテルは、廃墟となった青島橘ホテルです。 青島橘ホテルは、当時宮崎が全国からの新婚旅行客でにぎわっていた1967年(昭和42年)に建設されました。 その後、外国への新婚旅行が一般的になり、宮崎への客は激減しました。 このホテルは1990年12月に閉鎖し、18年間この廃墟状態になっています。 しかし、2008年9月2日の宮崎市の発表によると、廃墟のホテルを解体し、2階建てコテージ風ホテルなどが建設されることになりました。



写真BV: 宮崎市にある青島海水浴場。



写真BW: 宮崎市にある青島海水浴場。



写真BX: 左に2台の水上スクーターが浮いています。 運動公園にある木製の「このはなドーム」も見えています。



写真BY: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 遊泳客の安全を守る監視員が座(すわ)る台。



写真BZ: 宮崎市にある青島海水浴場。



写真CA: 宮崎市にある青島海水浴場。
 後ろの大きなホテルは、廃墟となった青島橘ホテルです。 青島橘ホテルは、当時宮崎が全国からの新婚旅行客でにぎわっていた1967年(昭和42年)に建設されました。 その後、外国への新婚旅行が一般的になり、宮崎への客は激減しました。 このホテルは1990年12月に閉鎖し、18年間この廃墟状態になっています。 しかし、2008年9月2日の宮崎市の発表によると、廃墟のホテルを解体し、2階建てコテージ風ホテルなどが建設されることになりました。



写真CB: 宮崎県宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。



写真CC: 宮崎市にある青島海水浴場と青島。



写真CD: 宮崎市にある青島海水浴場から見た青島。 島のまわりには、鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)が見えています。 青島に昔から生(は)えているビロウ樹も見えています。



写真CE: 宮崎市にある青島海水浴場。 青島のまわりには、鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)が見えています。 青島に昔から生(は)えているビロウ樹も見えています。



写真CF: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 板張りの休息所があります。 西日よけの葦簀(よしず)も見えます。



写真CG: 宮崎市にある青島海水浴場。 板張りの休息所があります。 日よけの葦簀(よしず)も見えます。



写真CH: 宮崎市にある青島ビーチ(青島海水浴場)。 吹き流しも見えています。



写真CI: 見えているのは青島、赤い鳥居(とりい)、弥生橋(やよいはし)、島のまわりの鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)です。



写真CJ: 南の方の景色。 左の建物は「青島サンクマール」ホテル、青島港の防波堤も見えています。



写真CK: 南の方の景色。 左の建物は「青島サンクマール」ホテル、そのすぐ右の山の上には「戸崎鼻灯台」(この写真では見えません)、右端の山の上には「仏舎利塔(ぶっしゃりとう)」、青島港の防波堤があります。 青島サンクマール手前には、白浜海水浴場、白浜オートキャンプ場もあります。 このあたりは、折生迫(おりゅうざこ)という地名です。



写真CL: 青島海水浴場。



写真CM: 青島港の遠景。 右の方に、海の中の岩が見えています。



写真CN: 西方向を見たもの。 「宮崎県立青島亜熱帯植物園」の木が見えています。



写真CO: 山の上には、仏舎利塔(ぶっしゃりとう)が見えています。 青島港の防波堤も見えます。



写真CP: 折生迫(おりゅうざこ)の家並み。 右端の海に岩が見えています。



写真CQ: 折生迫(おりゅうざこ)の家並み。 海に岩が見えています。 右端は「宮崎県立青島亜熱帯植物園」です。



写真CR: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。



写真CS: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。



写真CT: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。



写真CU: 弥生橋から見た青島サンクマール、白浜(しらはま)。



写真CV: 弥生橋から見た青島港。 山の上には仏舎利塔(ぶっしゃりとう)が見えています。 仏舎利塔の山の左には、城山公園にあるUMKテレビ中継アンテナがうっすらと見えます。



写真CW: 弥生橋から見た折生迫(おりゅうざこ)の家並み。 左の海に岩が二つ見えています。
右寄りの大きなホテルは「青島観光ホテル」です
青島観光ホテルは1959年(昭和34年)に開業、70年代の新婚旅行ブームのときにも栄えました。 宿泊客数は90年代前半の約7万人を最高にその後減少し、2012年度は2万人以下になりました。 2013年4月16日に閉館しました。 閉館後の施設活用などは決まっていません。



写真CX: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。 先に見える島が青島です。



写真CY: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。
  国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。



写真CZ: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。



写真DA: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。 青島のビロウ樹の森、島のまわりにある「鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)」などが見えます。
  国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。



写真DB: 青島に渡る弥生橋(やよいはし、昭和53年3月竣工)。 青島のビロウ樹の森、島のまわりにある「鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)」、赤い鳥居(とりい)などが見えます。
国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。



写真DC: 弥生橋を渡ったところに石灯籠(いしどうろう)があります。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。
国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。



写真DD: 弥生橋を渡ったところに石灯籠(いしどうろう)があります。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真DE: 弥生橋(やよいはし)を渡ったところに石灯籠(いしどうろう)があります。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真DF: 宮崎県宮崎市にある「青島」の石碑(せきひ)と説明板。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真DG: 「青島神社」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。



写真DH: 青島にある説明板。
種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。

種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定
 周辺の岩盤は、新第3紀(3000万年から100万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的互層が傾き(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。
 岩盤上には、ひびや断層が多く団塊や浸蝕による蜂窩(ほうか、蜂の巣の穴のようなもの)がみられる。
平成元年8月22日  宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真DI: 青島にある石碑(せきひ)。
青島熱帯性植物産地 天然記念物として大正10年3月3日 国指定。
青島亜熱帯性植物群落 特別天然記念物として昭和27年3月29日 国指定。
青島の隆起海床と奇型波蝕痕 天然記念物として昭和9年5月1日 国指定
と書かれています。



写真DJ: 宮崎市の青島。 陸にはビロウ樹、海には鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)が見えています。



写真DK: 青島の北側海岸。 
国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。



写真DL:  宮崎県宮崎市の「青島」。
種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定
 周辺の岩盤は、新第3紀(3000万年から100万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的互層が傾き(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。
 岩盤上には、ひびや断層が多く団塊や浸蝕による蜂窩(ほうか、蜂の巣の穴のようなもの)がみられる。



写真DM:  「青島」。



写真DN:  宮崎県宮崎市にある青島の写真スポット。 この場所の写真は、「おみやげ物の箱」などによく使われています。



写真DO:  宮崎市の青島の写真スポット。 この場所の写真は、「おみやげ物の箱」などによく使われています。
ビロー樹 (国指定特別天然記念物 大正10年3月指定)
(1)全島をほとんど覆って繁茂し、その数約5000本である。
(2)最高樹齢は約300年と推定される。
(3)春開花し、実は晩秋に熟して落ち翌春発芽する。
(4)ビロー樹の成因につぎの二説がある。
   (イ)漂着帰化植物説
南より北に流れる黒潮のためにフィリッピンなど南方方面から漂着した種子または生木が活着して漸次繁茂したという説
   (ロ)遺存説
 第3紀前、日本に繁茂した高温に適する植物が気候、風土環境に恵まれて今日に残存したものであるという説
参考
(イ)ビンローとビローは異種である。
(ロ)昔宮廷で使用された牛車のビロー庇車(ひさしぐるま)に用いるビローの葉を本島より宮中に献上されたと伝えられる。
その他の植物
島内自生植物は、74科226種、熱帯亜熱帯植物27種に及ぶ。
その主なものは、次の通りである。
くわずいも(さといも科、当地方では境内にだけ産し有毒植物である。)、はまゆう(はまおもと、ひがんばな科、夏期純白の花を開く本邦中部まで分布。 宮崎の県花。)、ひぎり(くまつづら科、初夏より初秋まで真紅の美花を開く島内の貴重植物。)、しゃりんばい(はまもっこく、いばら科、樹皮から網の染料を作る当地方が自生北限の植物。)ふうとうかずら(こしょう科、春開花、晩秋珊瑚(さんご)のような実が多数垂(た)れ美観を呈する。)、たぶ(くす科、ビローの繁茂前の植物として今日残っており貴重なもの。)
青島神社境内植物   昭和59年調査

国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。

国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。



写真DP:  青島の写真スポット。 この場所の写真は、「おみやげ物の箱」などによく使われています。

ビロウは主に南九州海岸・沖縄列島に分布し3−4月に黄白色の花を付ける。 古く古事記にビンロウ(倭名アジマサ)と見られその葉は本島より宮中に献上され天皇や関白などの牛車の屋根に用いられた。 沖縄では絶対的な神降り木として聖域である御嶽(おんたけ)や拝所などに多く見られる。 島内聖域には樹齢300−500年のビロウが約5000本繁茂している。



写真DQ:  宮崎市にある青島の写真スポット。 この場所の写真は、「おみやげ物の箱」などによく使われています。



写真DR:  宮崎市にある青島。
種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真DS:  宮崎市 「青島」。



写真DT: 宮崎県宮崎市にある青島の写真スポット。 この場所の写真は、「おみやげ物の箱」などによく使われています。
種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真DU: 青島、北側の海岸。
国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。



写真DV:  宮崎市の青島。



写真DW: 青島の地面近くの様子。



写真DX:  青島の森の内部。



写真DY:  下から見上げたビロウ樹など。



写真DZ:  下から見上げたビロウ樹。'



写真EA:  ビロウの幹(みき)。



写真EB:  遠くに渡ってきた弥生橋(やよいはし)が見えます。



写真EC: 青島のまわりの海岸には、面白い形の岩があります。
種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定
 周辺の岩盤は、新第3紀(3000万年から100万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的互層が傾き(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。
 岩盤上には、ひびや断層が多く団塊や浸蝕による蜂窩(ほうか、蜂の巣の穴のようなもの)がみられる。



写真ED:  青島の中は禁煙です。



写真EE: 青島の北海岸。



写真EF: 青島から見た弥生橋。



写真EG: 青島にある説明板。
青島・木花(きばな)は、海幸彦(うみさちひこ)、山幸彦(やまさちひこ)の遊び場だった。
と書いてあります。
これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。



写真EH: 青島にある説明板。
国産み神話天孫降臨(てんそんこうりん)、そして海幸彦・山幸彦・神武天皇まで、古事記のハイライトといえる。 物語の舞台となった宮崎は、まさに神々の故郷。
と書いてあります。
これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。



写真EI: 青島から振り返った弥生橋。 右手の対岸が青島海水浴場。 下の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真EJ: 青島に宮崎県の花(県花)であるハマユウが花を咲かせていました。
  種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真EK: 青島の南側海岸。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。
種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定
 周辺の岩盤は、新第3紀(3000万年から100万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的互層が傾き(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。
 岩盤上には、ひびや断層が多く団塊や浸蝕による蜂窩(ほうか、蜂の巣の穴のようなもの)がみられる。



写真EL: 青島の露天のお土産屋。 赤い鳥居(とりい)と弥生橋の間にあります。 青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真EM: 青島の露天のお土産屋。 貝殻の飾り、貝殻のループタイ、貝殻のネックレスなどが見えます。 近くの運動公園で冬のキャンプをしている「巨人軍」の写真もあります。 赤い鳥居(とりい)と弥生橋の間にあります。



写真EN: 青島の露天のお土産屋。 貝殻の飾り、貝殻のループタイ、貝殻のネックレスなどが見えます。 近くの運動公園で冬のキャンプをしている「巨人軍」の写真もあります。 赤い鳥居(とりい)と弥生橋の間にあります。



写真EO:  青島のお土産屋。 椰子(やし)などの苗木(なえき)、軽石で作った植木鉢が見えてます。 背景は鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)。 赤い鳥居(とりい)と弥生橋の間にあります。



写真EP: 青島にある青島神社の赤い鳥居(とりい)と出店。 青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真EQ: 青島にある青島神社の赤い鳥居(とりい)。 この鳥居は対岸の遠くの場所からもよく目立ちます。



写真ER: 青島の南海岸。 遠く、岩の上で魚釣りをやっている人が4人見えます。
国指定天然記念物 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん) (指定年月日 昭和9年5月1日)
 青島周辺の岩盤は、新第3紀
(3千万年前−100万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
 青島周辺および日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」と言われています。



写真ES: 青島にある青島神社の狛犬(こまいぬ)。 奥の建物は社務所。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真ET: 正面奥に青島神社の神門、右に社務所、左に「日向神話館」があります。



写真EU: 青島神社の社務所。



写真EV: 青島神社の古い建物と祠(ほこら)。



写真EW: 青島神社の神木である「アコウの木」。



写真EX: 青島神社の神木である「アコウの木」。 手前に2つの埴輪(はにわ)の複製があります。



写真EY: ご神木「アコウ」の説明板。 アコウは、主に台湾や東南アジア等の亜熱帯地方に分布する常緑高木樹である。
と書いてあります。



写真EZ: 青島神社にある「日向神話館」。
これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。



写真FA: 青島神社にある「日向神話館」。



写真FB: 青島神社にある「日向神話館」。



写真FC: 青島神社の社務所。



写真FD: 青島神社の社務所。



写真FE: 奥の赤い建物は神門。



写真FF: 青島神社の「玉の井(たまのい)」と「水に溶ける願い符」を浮かべる壺(つぼ)。



写真FG: 宮崎市にある青島神社。



写真FH: 左の建物は青島神社の御手洗(みたらい)。



写真FI: 青島神社の説明板。
御由緒
彦火々出見命(山幸彦)が海宮からお帰りのときの御住居の跡として三神をお祀りしたと伝えられている。 初めてお祀りした年代ははっきりしてないが、日向土産という国司巡視記に嵯峨天皇の御宇(約1179年前)奉崇青島大明神と書いてあったと言われる文亀(室町時代約488年前)以後は藩主伊東家の崇敬が厚く御社殿の改築や境内の保護に万全を尽くされ、明治以後は国内絶無の熱帯性植物繁茂の境内を訪ねる人が多く、縁結び、安産、航海、交通安全の神として、ますます神威が輝くようになった。
御境内
全島(449.3アール、13479坪)神社所有地
 昔から霊地として一般の入島は許されず、藩の島奉行と神職だけが常に入島し、一般は旧3月16日島開祭から島止祭(同月末日)まで入島を許されていたが、元文2年(252年前)当時の宮司長友肥後が一般の参拝者にも入島を許されるよう藩主にお願いして許可され、以後入島が自由になった。
 昔から聖域として保護されたので植物、岩石が自然のまま残り大正10年3月植物が、昭和9年5月岩石が天然記念物に指定され国の保護を受けることになったのである。
平成元年11月  青島神社社務所
と書かれています。

これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。



写真FJ: 青島神社の説明板。
御由緒
彦火々出見命(山幸彦)が海宮からお帰りのときの御住居の跡として三神をお祀りしたと伝えられている。 初めてお祀りした年代ははっきりしてないが、日向土産という国司巡視記に嵯峨天皇の御宇(約1179年前)奉崇青島大明神と書いてあったと言われる文亀(室町時代約488年前)以後は藩主伊東家の崇敬が厚く御社殿の改築や境内の保護に万全を尽くされ、明治以後は国内絶無の熱帯性植物繁茂の境内を訪ねる人が多く、縁結び、安産、航海、交通安全の神として、ますます神威が輝くようになった。
御境内
全島(449.3アール、13479坪)神社所有地
 昔から霊地として一般の入島は許されず、藩の島奉行と神職だけが常に入島し、一般は旧3月16日島開祭から島止祭(同月末日)まで入島を許されていたが、元文2年(252年前)当時の宮司長友肥後が一般の参拝者にも入島を許されるよう藩主にお願いして許可され、以後入島が自由になった。
 昔から聖域として保護されたので植物、岩石が自然のまま残り大正10年3月植物が、昭和9年5月岩石が天然記念物に指定され国の保護を受けることになったのである。
平成元年11月  青島神社社務所
と書かれています。

これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。



写真FK: 青島神社の説明板。
御由緒
彦火々出見命(山幸彦)が海宮からお帰りのときの御住居の跡として三神をお祀りしたと伝えられている。 初めてお祀りした年代ははっきりしてないが、日向土産という国司巡視記に嵯峨天皇の御宇(約1179年前)奉崇青島大明神と書いてあったと言われる文亀(室町時代約488年前)以後は藩主伊東家の崇敬が厚く御社殿の改築や境内の保護に万全を尽くされ、明治以後は国内絶無の熱帯性植物繁茂の境内を訪ねる人が多く、縁結び、安産、航海、交通安全の神として、ますます神威が輝くようになった。
御境内
全島(449.3アール、13479坪)神社所有地
 昔から霊地として一般の入島は許されず、藩の島奉行と神職だけが常に入島し、一般は旧3月16日島開祭から島止祭(同月末日)まで入島を許されていたが、元文2年(252年前)当時の宮司長友肥後が一般の参拝者にも入島を許されるよう藩主にお願いして許可され、以後入島が自由になった。
 昔から聖域として保護されたので植物、岩石が自然のまま残り大正10年3月植物が、昭和9年5月岩石が天然記念物に指定され国の保護を受けることになったのである。
平成元年11月  青島神社社務所
と書かれています。

これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。



写真FL: 青島神社。 左は神門。



写真FM: 青島神社の御手洗(みたらい)。



写真FN: 宮崎市青島にある「青島神社」。



写真FO: 青島神社。 おみくじ、御札(おふだ)、御守りなどが売られています。



写真FP: 神社の塀(へい)に「願かけ絵馬」がたくさん掛けてありました。  また、カラフルなお神籤(みくじ)が多く縛り付けてあります。



写真FQ: 宮崎市にある青島神社の社殿。



写真FR: 宮崎県宮崎市青島にある青島神社の社殿。



写真FS: 宮崎市青島にある青島神社の社殿。



写真FT: 宮崎市青島にある青島神社の社殿。 右の門をくぐって進むと、亜熱帯植物の森の中にある「元宮」があります。 門と社殿の間にある祠(ほこら)が海積神社(わだつみじんじゃ、海の神)です。



写真FU: 宮崎市青島にある青島神社の境内。 この門をくぐって進むと、亜熱帯植物の森の中にある「元宮」があります。



写真FV: 青島神社の社殿から神門を見たもの。



写真FW: 青島神社の境内にある絵馬。



写真FX: 青島神社の境内にある絵馬。



写真FY: 青島神社にある海積神社(わだつみじんじゃ、海の神)。 右の建物が海積神社(わだつみじんじゃ、海の神)。



写真FZ: 青島神社の境内(けいだい)。 カラフルなお神籤(みくじ)が多く縛り付けてあります。



写真GA:  青島神社の「元宮」に行く参道。 青島の真ん中の森の様子がよく分かります。
種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真GB:  青島神社の「元宮」に行く参道。 青島の真ん中の森の様子がよく分かります。
国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。



写真GC: 青島にある亜熱帯性植物の説明板。
ビロー樹 (国指定特別天然記念物 大正10年3月指定)
(1)全島をほとんど覆って繁茂し、その数約5000本である。
(2)最高樹齢は約300年と推定される。
(3)春開花し、実は晩秋に熟して落ち翌春発芽する。
(4)ビロー樹の成因につぎの二説がある。
   (イ)漂着帰化植物説
南より北に流れる黒潮のためにフィリッピンなど南方方面から漂着した種子または生木が活着して漸次繁茂したという説
   (ロ)遺存説
 第3紀前、日本に繁茂した高温に適する植物が気候、風土環境に恵まれて今日に残存したものであるという説
参考
(イ)ビンローとビローは異種である。
(ロ)昔宮廷で使用された牛車のビロー庇車(ひさしぐるま)に用いるビローの葉を本島より宮中に献上されたと伝えられる。
その他の植物
島内自生植物は、74科226種、熱帯亜熱帯植物27種に及ぶ。
その主なものは、次の通りである。
くわずいも(さといも科、当地方では境内にだけ産し有毒植物である。)、はまゆう(はまおもと、ひがんばな科、夏期純白の花を開く本邦中部まで分布。 宮崎の県花。)、ひぎり(くまつづら科、初夏より初秋まで真紅の美花を開く島内の貴重植物。)、しゃりんばい(はまもっこく、いばら科、樹皮から網の染料を作る当地方が自生北限の植物。)ふうとうかずら(こしょう科、春開花、晩秋珊瑚(さんご)のような実が多数垂(た)れ美観を呈する。)、たぶ(くす科、ビローの繁茂前の植物として今日残っており貴重なもの。)
青島神社境内植物   昭和59年調査
と書いてあります。



写真GD: 青島にある亜熱帯性植物の説明板。
ビロー樹 (国指定特別天然記念物 大正10年3月指定)
(1)全島をほとんど覆って繁茂し、その数約5000本である。
(2)最高樹齢は約300年と推定される。
(3)春開花し、実は晩秋に熟して落ち翌春発芽する。
(4)ビロー樹の成因につぎの二説がある。
   (イ)漂着帰化植物説
南より北に流れる黒潮のためにフィリッピンなど南方方面から漂着した種子または生木が活着して漸次繁茂したという説
   (ロ)遺存説
 第3紀前、日本に繁茂した高温に適する植物が気候、風土環境に恵まれて今日に残存したものであるという説
参考
(イ)ビンローとビローは異種である。
(ロ)昔宮廷で使用された牛車のビロー庇車(ひさしぐるま)に用いるビローの葉を本島より宮中に献上されたと伝えられる。
その他の植物
島内自生植物は、74科226種、熱帯亜熱帯植物27種に及ぶ。
その主なものは、次の通りである。
くわずいも(さといも科、当地方では境内にだけ産し有毒植物である。)、はまゆう(はまおもと、ひがんばな科、夏期純白の花を開く本邦中部まで分布。 宮崎の県花。)、ひぎり(くまつづら科、初夏より初秋まで真紅の美花を開く島内の貴重植物。)、しゃりんばい(はまもっこく、いばら科、樹皮から網の染料を作る当地方が自生北限の植物。)ふうとうかずら(こしょう科、春開花、晩秋珊瑚(さんご)のような実が多数垂(た)れ美観を呈する。)、たぶ(くす科、ビローの繁茂前の植物として今日残っており貴重なもの。)
青島神社境内植物   昭和59年調査
と書いてあります。



写真GE:  種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真GF:  ビロー樹 (国指定特別天然記念物 大正10年3月指定)



写真GG:  青島の森です。



写真GH:  国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。



写真GI:  ビロー樹 (国指定特別天然記念物 大正10年3月指定)
(1)全島をほとんど覆って繁茂し、その数約5000本である。
(2)最高樹齢は約300年と推定される。
(3)春開花し、実は晩秋に熟して落ち翌春発芽する。
(4)ビロー樹の成因につぎの二説がある。
   (イ)漂着帰化植物説
南より北に流れる黒潮のためにフィリッピンなど南方方面から漂着した種子または生木が活着して漸次繁茂したという説
   (ロ)遺存説
 第3紀前、日本に繁茂した高温に適する植物が気候、風土環境に恵まれて今日に残存したものであるという説
参考
(イ)ビンローとビローは異種である。
(ロ)昔宮廷で使用された牛車のビロー庇車(ひさしぐるま)に用いるビローの葉を本島より宮中に献上されたと伝えられる。
その他の植物
島内自生植物は、74科226種、熱帯亜熱帯植物27種に及ぶ。
その主なものは、次の通りである。
くわずいも(さといも科、当地方では境内にだけ産し有毒植物である。)、はまゆう(はまおもと、ひがんばな科、夏期純白の花を開く本邦中部まで分布。 宮崎の県花。)、ひぎり(くまつづら科、初夏より初秋まで真紅の美花を開く島内の貴重植物。)、しゃりんばい(はまもっこく、いばら科、樹皮から網の染料を作る当地方が自生北限の植物。)ふうとうかずら(こしょう科、春開花、晩秋珊瑚(さんご)のような実が多数垂(た)れ美観を呈する。)、たぶ(くす科、ビローの繁茂前の植物として今日残っており貴重なもの。)
青島神社境内植物   昭和59年調査

種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真GJ:  国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)



写真GK:  種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真GL: 青島の真ん中にある青島神社の「元宮(もとみや)」。
常若の霊木ビロウ樹にかこまれるように鎮座する元宮は、ちょうど青島の中央に位置する。
この地は悠久の昔、古代祭紀に使われたとされる勾玉(まがたま)、土器、獣骨、貝殻などが多数出土しており、古代祭紀跡地に大元の社殿があったことから、その御霊の安寧を祈り「元宮」が再建された。 古くから病気平癒や婦人病に霊験あらたかとされ、元宮に髪を結び帰るという信仰があった。
大正天皇のお成り以降、多くの御皇族に御参拝戴き、現在でも参詣が絶えることはない。
 元宮は古代信仰の聖地としてその面影を今に残し、訪れる人すべてに安らぎを与えている。



写真GM: 青島の真ん中にある青島神社の「元宮(もとみや)」。 狛犬(こまいぬ)も見えています。 左奥に2本の「夫婦ビロウ」の木が見えます。



写真GN: 青島神社の元宮。



写真GO: 元宮(もとみや)の説明板。
 常若の霊木ビロウ樹にかこまれるように鎮座する元宮は、ちょうど青島の中央に位置する。
この地は悠久の昔、古代祭紀に使われたとされる勾玉(まがたま)、土器、獣骨、貝殻などが多数出土しており、古代祭紀跡地に大元の社殿があったことから、その御霊の安寧を祈り「元宮」が再建された。 古くから病気平癒や婦人病に霊験あらたかとされ、元宮に髪を結び帰るという信仰があった。
大正天皇のお成り以降、多くの御皇族に御参拝戴き、現在でも参詣が絶えることはない。
 元宮は古代信仰の聖地としてその面影を今に残し、訪れる人すべてに安らぎを与えている。
と書いてあります。



写真GP: 青島神社の元宮。



写真GQ: 青島神社の元宮のそばにある 御霊木 「夫婦ビロウ」と「投甍(か)所」が見えています。



写真GR: 青島神社の元宮のそばにある 御霊木 「夫婦ビロウ」。 垂(た)れている所などに、色つきの糸の「産霊紙縒(むすひこより)」が結びつけられています。



写真GS: 青島神社の元宮のそばにある 御霊木 「夫婦ビロウ」の説明板。
 御霊木 夫婦ビロウ(ヤシ科亜熱帯系の常緑高木)
ビロウは主に南九州海岸・沖縄列島に分布し3−4月に黄白色の花を付ける。 古く古事記にビンロウ(倭名アジマサ)と見られその葉は本島より宮中に献上され天皇や関白などの牛車の屋根に用いられた。 沖縄では絶対的な神降り木として聖域である御嶽(おんたけ)や拝所などに多く見られる。 島内聖域には樹齢300−500年のビロウが約5000本繁茂している。 中でもこのビロウは2本が仲睦まじく繋がり一つになっており夫婦木として和合、出産、繁栄、結び等の信仰厚く奉られてきた。 縁を求める多くの者が参詣し真摯に祈り結ばれる「愛の木」としても霊験あらたかな御霊木である。
青島神社社務所
と書いてあります。



写真GT: 青島神社の元宮の裏にある「投甍(か)所」。
「天の平甍(ひらか)投げ」
 ここ元宮は古代の臨時祭紀(お祭り)の址(あと)として伝えられる聖地である。 この処より、割れた弥生式土器が多数出土している。 土器の皿は、祭器(お祭りに使う道具)の一つであり、平甍(ひらか)と言う。 「日本書紀」神武天皇条には、「天平甍(ひらか)八十枚を作り厳へ(いかへ、新酒を入れる瓶)を作り天神地祇を敬い祀りなさい。 また身を清めて呪言を唱えれば敵は自然に降伏するだろう」とある。 以来、素焼きの盃をかわらけと称し朝廷にても古くから用いられ、神宮神社においても神饌(神に供える飲食物)を奉るには主として土器を用いてきたのである。 身を清め磐境(いわさか)に天の平甍(ひらか)を奉れば吉凶が占われる。 すなわち磐境(いわさか)に投げ入れれば心願成就し、天の平甍(ひらか)が割れれば開運厄祓になるとされる重要な平甍(ひらか)平か神事である。



写真GU: 青島神社の元宮の裏にある「投甍(か)所」。



写真GV: 青島神社の元宮の裏にある「投甍(か)所」。
「天の平甍(ひらか)投げ」
 ここ元宮は古代の臨時祭紀(お祭り)の址(あと)として伝えられる聖地である。 この処より、割れた弥生式土器が多数出土している。 土器の皿は、祭器(お祭りに使う道具)の一つであり、平甍(ひらか)と言う。 「日本書紀」神武天皇条には、「天平甍(ひらか)八十枚を作り厳へ(いかへ、新酒を入れる瓶)を作り天神地祇を敬い祀りなさい。 また身を清めて呪言を唱えれば敵は自然に降伏するだろう」とある。 以来、素焼きの盃をかわらけと称し朝廷にても古くから用いられ、神宮神社においても神饌(神に供える飲食物)を奉るには主として土器を用いてきたのである。 身を清め磐境(いわさか)に天の平甍(ひらか)を奉れば吉凶が占われる。 すなわち磐境(いわさか)に投げ入れれば心願成就し、天の平甍(ひらか)が割れれば開運厄祓になるとされる重要な平甍(ひらか)平か神事である。



写真GW: 青島神社の元宮の裏にある「投甍(か)所」。



写真GX: 青島神社の元宮の裏にある「投甍(か)所」。



写真GY: 青島神社の元宮の裏にある「投甍(か)所」の説明板。
「天の平甍(ひらか)投げ」
ここ元宮は古代の臨時祭紀(お祭り)の址(あと)として伝えられる聖地である。 この処より、割れた弥生式土器が多数出土している。 土器の皿は、祭器(お祭りに使う道具)の一つであり、平甍(ひらか)と言う。 「日本書紀」神武天皇条には、「天平甍(ひらか)八十枚を作り厳へ(いかへ、新酒を入れる瓶)を作り天神地祇を敬い祀りなさい。 また身を清めて呪言を唱えれば敵は自然に降伏するだろう」とある。 以来、素焼きの盃をかわらけと称し朝廷にても古くから用いられ、神宮神社においても神饌(神に供える飲食物)を奉るには主として土器を用いてきたのである。 身を清め磐境(いわさか)に天の平甍(ひらか)を奉れば吉凶が占われる。 すなわち磐境(いわさか)に投げ入れれば心願成就し、天の平甍(ひらか)が割れれば開運厄祓になるとされる重要な平甍(ひらか)平か神事である。



写真GZ: 「山幸彦のつり糸」の説明板。
 青島の森の中に無数の糸が垂れています。 昔から「(山幸)彦のつり糸」と呼ばれ大神様の力を全身で受けることが出来ます。
 5月末から6月上旬の十日前後のみ見られる非常に不思議な現象です。
 この神秘的な大神様の力をいただかれ残りの半年を健康で幸福にお過ごし下さい。
と書いてあります。



写真HA: 「産霊紙縒(むすひこより)」の説明板。
 古来より我が国では、万物すべての始まりは産霊(結び)の力から生成されると信じられてきた。 紙縒(こより)の呪力には糸、紐、網、縄などに共通する霊的な力でものを結ぶ「魂結び」機能がある。 江戸時代には、心を寄せる相手を想い紙縒を、神社の格子や神木に結びつけ、結婚を祈願すると言うことが行われていた。 また紙縒は、水引として用い色の染め分けや結び方などによって、吉凶の別が生じる。 ヒモの語源は、「引き結ぶ」から来ていると言われる。 古代には紐のことを「緒」と呼んだ。 「玉の緒」 「年の緒」 「息の緒」などがあるが、いずれも生命に関わるものである。 不思議な力を秘めている紐の呪力は、災いや病気を除いたり、恋人に巡り逢えるように、といった願いを込めたまじないに用いられることが多い。 「万葉集」の恋の歌には紐という言葉が多く使われている。 たとえば「白たえのわが紐の緒の絶えぬ間に恋結びせん逢わん日まで」(巻十二)という歌があるが、この「恋結び」とは、まじないの結び方の一種で、こうすれば早く恋しい人に会える「人の魂を結ぶ」方法とされていたのである。 皆様御祈願の産霊紙縒(むすひこより)は、願いが解けないように結びきると良い。
青島神社社務所
と書いてあります。



写真HB: このようにして、「産霊紙縒(むすひこより)」を結びつけます。



写真HC: 垂(た)れている所などに、色つきの糸の「産霊紙縒(むすひこより)」が結びつけられています。
御霊木 夫婦ビロウ(ヤシ科亜熱帯系の常緑高木)
ビロウは主に南九州海岸・沖縄列島に分布し3−4月に黄白色の花を付ける。 古く古事記にビンロウ(倭名アジマサ)と見られその葉は本島より宮中に献上され天皇や関白などの牛車の屋根に用いられた。 沖縄では絶対的な神降り木として聖域である御嶽(おんたけ)や拝所などに多く見られる。 島内聖域には樹齢300−500年のビロウが約5000本繁茂している。 中でもこのビロウは2本が仲睦まじく繋がり一つになっており夫婦木として和合、出産、繁栄、結び等の信仰厚く奉られてきた。 縁を求める多くの者が参詣し真摯に祈り結ばれる「愛の木」としても霊験あらたかな御霊木である。



写真HD: 垂(た)れている所などに、色つきの糸の「産霊紙縒(むすひこより)」が結びつけられています。
御霊木 夫婦ビロウ(ヤシ科亜熱帯系の常緑高木)



写真HE: 垂(た)れている所などに、色つきの糸の「産霊紙縒(むすひこより)」が結びつけられています。
御霊木 夫婦ビロウ(ヤシ科亜熱帯系の常緑高木)



写真HF:  御霊木 夫婦ビロウ(ヤシ科亜熱帯系の常緑高木)



写真HG: 御霊木 夫婦ビロウ(ヤシ科亜熱帯系の常緑高木)
ビロウは主に南九州海岸・沖縄列島に分布し3−4月に黄白色の花を付ける。 古く古事記にビンロウ(倭名アジマサ)と見られその葉は本島より宮中に献上され天皇や関白などの牛車の屋根に用いられた。 沖縄では絶対的な神降り木として聖域である御嶽(おんたけ)や拝所などに多く見られる。 島内聖域には樹齢300−500年のビロウが約5000本繁茂している。 中でもこのビロウは2本が仲睦まじく繋がり一つになっており夫婦木として和合、出産、繁栄、結び等の信仰厚く奉られてきた。 縁を求める多くの者が参詣し真摯に祈り結ばれる「愛の木」としても霊験あらたかな御霊木である。

国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。



写真HH:  種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真HI: 青島神社の社殿。



写真HJ: 青島神社の神門。



写真HK: 青島神社の神門からは、南の海(日向灘)が見えます。



写真HL: 青島神社の神門の脇には、「願かけ絵馬」が掛けてありました。 また、 カラフルなお神籤(みくじ)が多く縛り付けてあります。



写真HM: 青島神社の御手洗(みたらい)。



写真HN: 青島神社の境内(けいだい)。 左が社務所、右は日向神話館。



写真HO: 青島神社から南を見た景色。 遠くの左の建物は青島サンクマール。



写真HP: 日本神話館。



写真HQ: 青島の南海岸。 東方向を見たもの。



写真HR: 青島神社の建物のテレビアンテナに、鳩(はと)がとまっていました。



写真HS:  青島の南海岸。



写真HT: 青島の南海岸。 東端にある小型の灯台が小さく見えています。



写真HU: 青島の東海岸。 東端にある小型の灯台が見えています。



写真HV:  種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定



写真HW: 青島から南西方向を見た景色。



写真HX: 青島から南西方向を見た景色。



写真HY: 青島から西南西を見たもの。



写真HZ: 青島から西南西を見たもの。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。
中央に見える大きなホテルは「青島観光ホテル」です
青島観光ホテルは1959年(昭和34年)に開業、70年代の新婚旅行ブームのときにも栄えました。 宿泊客数は90年代前半の約7万人を最高にその後減少し、2012年度は2万人以下になりました。 2013年4月16日に閉館しました。 閉館後の施設活用などは決まっていません。



写真IA: 青島のまわりの浜辺に、青い花が咲いていました。
「ハマゴウ」の花です。
 葉の上面は白みを帯びた緑色で下面は白い軟毛に覆われています。 全体に柔らかく独特な芳香があります。  枝先に伸びた花穂に、青紫色の唇形花が多数つき、 果実はガクに包まれた球形です。 日当たりの良い海岸の砂地に群生する落葉低木です。 茎は、砂上を縦横にはい回り、そこに根を出して繁茂します。  枝は、四角で、直立または斜めに伸び、 葉は、広卵形(楕円形)で波打っています。



写真IB: 島の砂は、貝殻が砕けたものです。 植物はハマゴウです。



写真IC: 植物はハマゴウです。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真ID:  青島の東端にある小型灯台。
種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定
 周辺の岩盤は、新第3紀(3000万年から100万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的互層が傾き(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。
 岩盤上には、ひびや断層が多く団塊や浸蝕による蜂窩(ほうか、蜂の巣の穴のようなもの)がみられる。



写真IE: 宮崎市にある青島東端の小型灯台。



写真IF: 青島の東端の浜辺。 島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真IG: 島の砂は、貝殻が砕けたものです。 青島の東端の浜辺。



写真IH:  青島の東端の浜辺。 青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真II: 青島の東端の浜辺。
青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真IJ: 青島の東端の浜辺。
青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真IK: 青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真IL: 青島の東端付近。



写真IM: 青島の東端。



写真IN:  青島の東端。 面白い小穴が開いた石が多くあります。
青島の砂は、貝殻が砕けたものです。
種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定
 周辺の岩盤は、新第3紀(3000万年から100万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的互層が傾き(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。
 岩盤上には、ひびや断層が多く団塊や浸蝕による蜂窩(ほうか、蜂の巣の穴のようなもの)がみられる。



写真IO:  青島の東端。 面白い形の石があります。
種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定



写真IP: 青島の東端付近。 青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真IQ: 白波が見えています。 轍(わだち)も見えます。 青島東端付近。



写真IR: 青島から見た宮崎市木花にある運動公園の「このはなドーム」と高い照明塔。



写真IS: 青島から見た宮崎市山崎町にある「シーガイアのオーシャン45(水平線のうっすらとした縦長のホテル)」。



写真IT: 青島の北海岸。



写真IU: 青島の北海岸。



写真IV: 青島の北海岸。



写真IW:  青島の北海岸に咲いていた紫色の花。
「ハマナタマメ」の花です。
 花は7月頃に咲き、葉腋から長い柄を出し、総状に薄桃色の可愛らしい花を多数つけます。 このマメ科独特の蝶形花は3cm程もあります。 地下茎が地中を長く伸びるほか、茎も丈夫で広い面積を覆います。 見慣れないと、あまりに旺盛に生育するその姿は、遠目からではクズの群落にも見えてしまいます。 ハマナタマメは本州(太平洋側は千葉県以西、日本海側は山形県以西)から四国、九州、南西諸島、小笠原諸島に分布するツル性の多年草です。 主に熱帯から亜熱帯の海岸に生育します。

ビロー樹 (国指定特別天然記念物 大正10年3月指定)
(1)全島をほとんど覆って繁茂し、その数約5000本である。
(2)最高樹齢は約300年と推定される。
(3)春開花し、実は晩秋に熟して落ち翌春発芽する。
(4)ビロー樹の成因につぎの二説がある。
   (イ)漂着帰化植物説
南より北に流れる黒潮のためにフィリッピンなど南方方面から漂着した種子または生木が活着して漸次繁茂したという説
   (ロ)遺存説
 第3紀前、日本に繁茂した高温に適する植物が気候、風土環境に恵まれて今日に残存したものであるという説
参考
(イ)ビンローとビローは異種である。
(ロ)昔宮廷で使用された牛車のビロー庇車(ひさしぐるま)に用いるビローの葉を本島より宮中に献上されたと伝えられる。
その他の植物
島内自生植物は、74科226種、熱帯亜熱帯植物27種に及ぶ。
その主なものは、次の通りである。
くわずいも(さといも科、当地方では境内にだけ産し有毒植物である。)、はまゆう(はまおもと、ひがんばな科、夏期純白の花を開く本邦中部まで分布。 宮崎の県花。)、ひぎり(くまつづら科、初夏より初秋まで真紅の美花を開く島内の貴重植物。)、しゃりんばい(はまもっこく、いばら科、樹皮から網の染料を作る当地方が自生北限の植物。)ふうとうかずら(こしょう科、春開花、晩秋珊瑚(さんご)のような実が多数垂(た)れ美観を呈する。)、たぶ(くす科、ビローの繁茂前の植物として今日残っており貴重なもの。)
青島神社境内植物   昭和59年調査



写真IX: 青島の北海岸に咲いていた黄色の花。



写真IY: 青島から見た「夕日で光る海」。



写真IZ: 青島の「夕日の海」。



写真JA:  青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真JB:  種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定



写真JC:  国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。



写真JD: 青島の北海岸に咲いていた紫色の花。
「ハマナタマメ」の花です。
 花は7月頃に咲き、葉腋から長い柄を出し、総状に薄桃色の可愛らしい花を多数つけます。 このマメ科独特の蝶形花は3cm程もあります。 地下茎が地中を長く伸びるほか、茎も丈夫で広い面積を覆います。 見慣れないと、あまりに旺盛に生育するその姿は、遠目からではクズの群落にも見えてしまいます。 ハマナタマメは本州(太平洋側は千葉県以西、日本海側は山形県以西)から四国、九州、南西諸島、小笠原諸島に分布するツル性の多年草です。 主に熱帯から亜熱帯の海岸に生育します。



写真JE:  青島の北海岸。
青島の砂は、貝殻が砕けたものです。



写真JF:  青島の北海岸。 青島の砂は、貝殻が砕けたものです。
国指定特別天然記念物 青島の亜熱帯性植物群落 (指定年月日 昭和27年3月29日)
 この地域は、黒潮が近海を流れ、気候温暖で雨量の多いところです。 青島には、そうした気象条件の下に多くの亜熱帯性植物が繁茂しており、その代表植物であるビロウの成木は約4,300本あり、最高樹齢は300年と推定されます。



写真JG:  青島の北海岸。
種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 国指定
特別指定 昭和27年3月29日 国指定
 青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
 自生地植物は、197種で、熱帯および亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の6分の1を占める。 最高樹齢は300年、来歴は古来の遺存と推定される。



写真JH: これで青島を一周しました。 面白い形の岩と始めに渡ってきた弥生橋(やよいはし)も見えています。



写真JI: 解体中の旧 青島橘ホテル。 黄色のショベルカーが3台見えています。 すでに青島橘ホテル全体の2/3がショベルカーで解体され、取り壊されています。 青島バイパスの展望台から見たもの。 左は青島グランドホテル、手前にJR日南線のレールが見えています。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)