鵜戸神社、JR 高鍋駅 (うど神社、鵜戸神社の神輿 (みこし)、神武天皇が神武東征のときに立ち寄った所、景行天皇が熊襲征伐のときに立ち寄った所、江戸時代の勤王論の高山彦九郎が来た鵜戸神社、鵜戸神社の夏祭りの「お宮入り」、小丸川の河口付近の日向灘の展望、蚊口上の海岸、高鍋町古墳14号墳、JR 日豊本線 高鍋駅、駅前のロータリー)  (宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦)







<標高、位置>  鵜戸神社 (うどじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度07分33秒  東経131度32分03秒

<標高、位置>  JR 高鍋駅は
標高 数 m
 北緯32度07分20秒  東経131度32分02秒

<標高、位置>  小丸川の河口は
標高 0 m
 北緯32度07分41秒  東経131度32分13秒

<標高、位置>  高鍋海水浴場は
標高 数 m
 北緯32度07分11秒  東経131度32分07秒

<標高、位置>  蚊口海浜公園キャンプ村 (キャンプ場)は
標高 数 m
 北緯32度07分09秒  東経131度32分03秒

<標高、位置>  蚊口浜サーフスポット (サーフィン場)は
標高 数 m
 北緯32度06分56秒  東経131度31分58秒


 「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 字蚊口上 1-1 にあります。
創建は不詳です。 神武天皇が東遷のときにお立ち寄りになった所と言われています。 また、景行天皇が熊襲征伐 (くまそせいばつ)のときに全勝祈願、海陸安全で来られたと伝わっています。 昔から海上鎮護 (ちんご)の神社とされています。 現在の本殿、拝殿は昭和26年11月に再建されました。 本殿は1坪の新明造り、拝殿は10坪の入母屋造りです。 1792年 (寛政4年)3月に勤王論の高山彦九郎が鵜戸神社を訪 (おとず)れました。 鵜戸神社の夏祭りのときは、境内 (けいだい)に夜店や仮設舞台でのイベントがあります。 大人の神輿 (みこし)だけでなく子供神輿 (みこし)もあります。 神輿 (みこし)の「お宮入り」では氏子 (うじこ)同士の激しいぶつかり合いがあります。 これは祭りをまだ続けようとする「奉賛会」と神輿 (みこし)を拝殿に入れようとする「奉仕会」とのぶつかり合いです。 祭神はウガヤフキアエズノミコト、アマテラスオオカミ、アメノオシホミミノミコト、ホホデミノミコト、スサノオノミコト、ニニギノミコト、オオモノヌシノオオカミです。
 「高山彦九朗(高山彦九郎)」は鵜戸神社 (うどじんじゃ、宮崎県児湯郡高鍋町大字蚊口浦)、琴弾きの松碑(宮崎県児湯郡高鍋町大字蚊口浦)、児原稲荷神社(宮崎県児湯郡西米良村)、鹿野田神社(宮崎県西都市鹿野田)や観音山(宮崎県児湯郡新富町)、高千穂峡(宮崎県西臼杵郡高千穂町)も同じ頃、訪(おとず)れています。 高山彦九朗は群馬県太田市に生まれ、18歳の時に遺書を残して家を出、北海道、四国以外の全国を遊説(ゆうぜい)して勤王論を説(と)きました。 公家とも交流があったので、幕府の松平定信らから警戒されました。 1791年(寛政3年)から九州各地を旅し、薩摩藩に頼ろうとしましたが、退(しりぞ)けられしばらく豊後国日田(大分県)で捕縛されました。 その後も幕府の監視を受け、1793年(寛政5年)に筑後国久留米(福岡県)の友達であった森嘉膳の家で割腹自殺しました(46歳)。 第二次世界大戦前は修身の教科書に高山彦九朗のことが書かれていました。

 「JR 高鍋駅」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6211 にあります。
高鍋駅はJR九州 日豊本線の駅です。 地上駅でホームは島式ホームで1面2線です。 跨線橋 (こせんきょう)があります。 以前は近くの宝酒造株式会社への引き込み線がありました。 1920年 (大正9年)9月11日に開業しました。 隣 (とな)りの駅は川南 (上り)、日向新富 (下り)です。 JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅でみどりの窓口もあります。 駅から西へ県道311号線が伸びています。 北の近くにあるJRの小丸川橋梁 (おまるがわきょうりょう)は撮影スポットとして知られています。 1945年 (昭和20年)7月16日 第2次世界大戦中に空襲で駅本屋・構内が全焼し、小丸川橋梁 (りょう)が壊 (こわ)れましたが、7月27日に橋梁が復旧しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。

 「高鍋海水浴場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にあります。

 「蚊口海浜公園キャンプ村」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。

 「蚊口浜サーフスポット」は高鍋海水浴場の南の 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。


写真A: JR 日豊本線の高鍋駅 (たかなべえき)です。 駅前のロータリー、駅舎などが見えます。 南東を見たものです。
「JR 高鍋駅」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6211 にあります。



写真B: 南を見たものです。 左に駅前のロータリーがあります。



写真C: 東を見たものです。 右に駅舎とロータリー、左に自転車置き場があります。 左に日豊本線の架線 (かせん)が見えます。



写真D: 北東を見たものです。 左手前に公衆電話ボックスがあります。 「日向運輸」と書いてある建物があります。 その左に北へ行く道があります。 その道を進むと「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」があります。



写真E: 北を見たものです。 奥に進むと「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」があります。



写真F: 西を見たものです。 駅前の通りです。



写真G: 高鍋駅の駅前通り (県道311号線)です。 十字路と交通信号機が見えます。 街路樹もあります。 西を見たものです。



写真H: 南西を見たものです。 街路樹が見えます。



写真I: 南を見たものです。 左は駅前の広場です。



写真J: ロータリーに「高鍋駅」と書いてある看板 (かんばん)があります。 ロータリーには花、外灯、ポールの上の星形、選挙ポスターも見えます。 奥は駅舎です。 駅の跨線橋 (こせんきょう)も右に見えています。
「JR 高鍋駅」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6211 にあります。
高鍋駅はJR九州 日豊本線の駅です。 地上駅でホームは島式ホームで1面2線です。 跨線橋 (こせんきょう)があります。 以前は近くの宝酒造株式会社への引き込み線がありました。 1920年 (大正9年)9月11日に開業しました。 隣 (とな)りの駅は川南 (上り)、日向新富 (下り)です。 JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅でみどりの窓口もあります。 駅から西へ県道311号線が伸びています。 北の近くにあるJRの小丸川橋梁 (おまるがわきょうりょう)は撮影スポットとして知られています。 1945年 (昭和20年)7月16日 第2次世界大戦中に空襲で駅本屋・構内が全焼し、小丸川橋梁 (りょう)が壊 (こわ)れましたが、7月27日に橋梁が復旧しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。



写真K: ロータリーにはソテツの木、カンナ、植木、花もあります。 南を見たものです。 このまわりを車が通ります。 左端は駅舎です。



写真L: 南東を見たものです。 左端は駅舎です。 日豊本線の架線を支 (ささ)える支柱も見えます。 看板 (かんばん)もあります。



写真M: 「高鍋駅」と入り口に書いてあります。 JR日豊本線の高鍋駅の駅舎です。



写真N: 高鍋駅の駅舎です。 アリゾナ糸杉の木が数本あります。 タクシーが待機しています。



写真O: 北を見たものです。 左にロータリーにあるポール、ソテツの木、植木、花、石などが見えます。 右奥は自転車置き場 (駐輪場)と駐車場です。



写真P: ロータリーの石、花、カンナの花、ソテツの木、植木、ポールです。 北西を見たものです。



写真Q: ソテツの木、花などです。



写真R: 駅前のロータリーにあるポールです。 左のポールには上に星形があります。 右は外灯です。



写真S: 高鍋駅の入り口です。 東を見たものです。 七夕飾りが3つ見えます。
「JR 高鍋駅」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6211 にあります。
高鍋駅はJR九州 日豊本線の駅です。 地上駅でホームは島式ホームで1面2線です。 跨線橋 (こせんきょう)があります。 以前は近くの宝酒造株式会社への引き込み線がありました。 1920年 (大正9年)9月11日に開業しました。 隣 (とな)りの駅は川南 (上り)、日向新富 (下り)です。 JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅でみどりの窓口もあります。 駅から西へ県道311号線が伸びています。 北の近くにあるJRの小丸川橋梁 (おまるがわきょうりょう)は撮影スポットとして知られています。 1945年 (昭和20年)7月16日 第2次世界大戦中に空襲で駅本屋・構内が全焼し、小丸川橋梁 (りょう)が壊 (こわ)れましたが、7月27日に橋梁が復旧しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。



写真T: 高鍋駅の中です。 奥にトイレがあります。 左にコインロッカーがあります。 椅子 (いす)も見えます。



写真U: 高鍋駅に売店もあります。 右はコインロッカーです。 蛍光灯が光っています。



写真V: 飲料水の自動販売機、ゴミ入れ、左に七夕飾りの笹 (ささ)と短冊 (たんざく)が見えます。 高鍋駅です。 東を見たものです。



写真W: 高鍋駅の改札口 (かいさつぐち)です。 右上に丸い壁掛け時計があります。 パンフレットの棚 (たな)、右と上に七夕飾りも見えます。 左端は駅員さんがいる窓口です。 北東を見たものです。



写真X: 北を見たものです。 右から改札口、駅員さんがいる窓口、ちょうど七夕祭りの前で天井 (てんじょう)からきれいな七夕飾りが吊 (つ)るされていました。



写真Y: 左は入り口です。



写真Z: 駅舎の中から西を見たものです。 入り口付近にタクシーが待機しています。 ロータリーも見えます。



写真AA: 高鍋駅構内の跨線橋 (こせんきょう)です。 この階段を登ってホーム1のりば、2のりばへ行きます。 右手前にミニ石庭があります。



写真AB: 奥にホームが見えます。 手前にソテツの木もあります。 東を見たものです。
「JR 高鍋駅」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6211 にあります。
高鍋駅はJR九州 日豊本線の駅です。 地上駅でホームは島式ホームで1面2線です。 跨線橋 (こせんきょう)があります。 以前は近くの宝酒造株式会社への引き込み線がありました。 1920年 (大正9年)9月11日に開業しました。 隣 (とな)りの駅は川南 (上り)、日向新富 (下り)です。 JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅でみどりの窓口もあります。 駅から西へ県道311号線が伸びています。 北の近くにあるJRの小丸川橋梁 (おまるがわきょうりょう)は撮影スポットとして知られています。 1945年 (昭和20年)7月16日 第2次世界大戦中に空襲で駅本屋・構内が全焼し、小丸川橋梁 (りょう)が壊 (こわ)れましたが、7月27日に橋梁が復旧しました。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承しました。



写真AC: ホームのベンチに乗客が見えます。 手前にプランターの植物もあります。 北東を見たものです。



写真AD: 北を見たものです。 高鍋駅です。



写真AE: 高鍋駅の窓口の奥に駅員さんがいます。 手前は改札口です。 右に列車の時刻表があります。 左上に七夕飾りが見えます。



写真AF: 北西を見たものです。 椅子 (いす)があります。 ポスターも多くあります。 七夕飾りも見えます。



写真AG: 南西を見たものです。 ポスター、椅子 (いす)、コインロッカーも見えます。 JR高鍋駅。



写真AH: 北を見たものです。 右は駅舎です。 郵便ポストがあります。 左にタクシーが待機しています。 アリゾナ糸杉の木が駅舎のそばにあります。



写真AI: 南を見たものです。 駅の公衆電話ボックスがあります。 手前は高鍋駅の入り口です。



写真AJ: 西を見たものです。 高鍋駅前です。 ロータリーがあります。



写真AK: 南を見たものです。 高鍋駅のアリゾナ糸杉の木です。 タクシーもとまっています。



写真AL: 左奥にホーム、右に駅舎があります。



写真AM: 東を見たものです。 左は高鍋駅の駐輪場 (自転車置き場)、右奥はホームです。 JR日豊本線の架線 (かせん)も見えます。



写真AN: 北を見たものです。 右は高鍋駅の駐輪場、左は駐車場の入り口です。



写真AO: 北西を見たものです。 「日向運輸」と建物に書いてあります。



写真AP: 西を見たものです。 手前は駅前広場です。



写真AQ: 南西を見たものです。 ロータリーがあります。 ロータリーにあるポールの上の星形も見えます。



写真AR: 南を見たものです。



写真AS: 東を見たものです。 「P 高鍋駅前 自動車等 駐車場」と書いてあります。 「原付バイク 自転車 専用入口」、「自動二輪 自転車」と書いてあります。



写真AT: 北を見たものです。 「P 入口」と書いてあります。



写真AU: JR高鍋駅の少し北に「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 奥にJR日豊本線の架線 (かせん)の支柱が見えます。 ここは三叉路 (さんさろ)になっています。 左に進むと鵜戸神社があります。



写真AV: 北を見たものです。 鵜戸神社の参道です。 右に石碑 (せきひ)があります。 奥に鳥居 (とりい)があります。
「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 字蚊口上 1-1 にあります。
創建は不詳です。 神武天皇が東遷のときにお立ち寄りになった所と言われています。 また、景行天皇が熊襲征伐 (くまそせいばつ)のときに全勝祈願、海陸安全で来られたと伝わっています。 昔から海上鎮護 (ちんご)の神社とされています。 現在の本殿、拝殿は昭和26年11月に再建されました。 本殿は1坪の新明造り、拝殿は10坪の入母屋造りです。 1792年 (寛政4年)3月に勤王論の高山彦九郎が鵜戸神社を訪 (おとず)れました。 鵜戸神社の夏祭りのときは、境内 (けいだい)に夜店や仮設舞台でのイベントがあります。 大人の神輿 (みこし)だけでなく子供神輿 (みこし)もあります。 神輿 (みこし)の「お宮入り」では氏子 (うじこ)同士の激しいぶつかり合いがあります。 これは祭りをまだ続けようとする「奉賛会」と神輿 (みこし)を拝殿に入れようとする「奉仕会」とのぶつかり合いです。 祭神はウガヤフキアエズノミコト、アマテラスオオカミ、アメノオシホミミノミコト、ホホデミノミコト、スサノオノミコト、ニニギノミコト、オオモノヌシノオオカミです。



写真AW: 「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)です。



写真AX: 「鵜戸神社」と彫ってある石碑の下部です。



写真AY: 石碑 (せきひ)の下に石で作った仏像などがあります。



写真AZ: 鵜戸神社の鳥居 (とりい)が見えます。 鎮守の森 (ちんじゅのもり)も見えます。 北を見たものです。 この少し先に河口に近い小丸川が流れています。
「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 字蚊口上 1-1 にあります。



写真BA: 高鍋町 大字蚊口浦にある「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」です。
「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 字蚊口上 1-1 にあります。
創建は不詳です。 神武天皇が東遷のときにお立ち寄りになった所と言われています。 また、景行天皇が熊襲征伐 (くまそせいばつ)のときに全勝祈願、海陸安全で来られたと伝わっています。 昔から海上鎮護 (ちんご)の神社とされています。 現在の本殿、拝殿は昭和26年11月に再建されました。 本殿は1坪の新明造り、拝殿は10坪の入母屋造りです。 1792年 (寛政4年)3月に勤王論の高山彦九郎が鵜戸神社を訪 (おとず)れました。 鵜戸神社の夏祭りのときは、境内 (けいだい)に夜店や仮設舞台でのイベントがあります。 大人の神輿 (みこし)だけでなく子供神輿 (みこし)もあります。 神輿 (みこし)の「お宮入り」では氏子 (うじこ)同士の激しいぶつかり合いがあります。 これは祭りをまだ続けようとする「奉賛会」と神輿 (みこし)を拝殿に入れようとする「奉仕会」とのぶつかり合いです。 祭神はウガヤフキアエズノミコト、アマテラスオオカミ、アメノオシホミミノミコト、ホホデミノミコト、スサノオノミコト、ニニギノミコト、オオモノヌシノオオカミです。



写真BB: 東を見たものです。 左奥に藤棚 (ふじだな)があります。



写真BC: 鵜戸神社の参道です。 両側に木があります。



写真BD: 参道の奥 (北)に拝殿が見えます。



写真BE: 「ハマユウの花」が咲いていました。



写真BF: 来た参道を振 (ふ)り返ったものです。 鳥居 (とりい)が見えます。



写真BG: 東を見たものです。 建物があります。



写真BH: 参道から北東を見たものです。



写真BI: 北を見たものです。 拝殿が見えます。



写真BJ: 左に社務所があります。 北を見たものです。



写真BK: 参道のそばです。



写真BL: 「県指定史跡 高鍋町古墳 (こふん)14号墳、昭和12年7月2日指定、高鍋町教育委員会」と書いてある標柱があります。
奥の盛り上がっている所が高鍋町古墳です。 南西を見たものです。



写真BM: 高鍋町古墳14号墳です。 鵜戸神社の境内 (けいだい)にあります。 参道の西側にあります。



写真BN: 鵜戸神社の社務所です。



写真BO: 「鵜戸神社 社務所」と書いてあります。



写真BP: 斜めの木を2本の支柱で支 (ささ)えてあります。 左に石灯籠 (いしどうろう)が見えます。 北東を見たものです。



写真BQ: 左右に石灯籠 (いしどうろう)があります。 外灯もあります。 奥は鵜戸神社の拝殿です。



写真BR: 参道の近くの鎮守の森 (ちんじゅのもり)の木です。



写真BS: 西を見たものです。 左は社務所です。



写真BT: 名前を書いてあります。



写真BU: 左は古いお札 (ふだ)などを入れる所です。 その右に手水舎 (ちょうずや)と狛犬 (こまいぬ)が見えます。 北西を見たものです。 鵜戸神社。



写真BV: 手前から狛犬 (こまいぬ)、旗を立てるポール、石灯籠 (いしどうろう)、拝殿が見えます。 高鍋町 大字蚊口浦にある鵜戸神社 (うどじんじゃ)。



写真BW: 地面に四角に区切った所があります。 祭事を行うところでしょう。 北東を見たものです。



写真BX: 高鍋町にある鵜戸神社の手水舎 (ちょうずや)です。 西を見たものです。



写真BY: 手水鉢 (ちょうずばち)です。 「奉納」と彫 (ほ)ってあります。



写真BZ: 鵜戸神社の狛犬 (こまいぬ)です。



写真CA: 東側の狛犬 (コマイヌ)です。



写真CB: 四角の区切ったところの角 (かど)に竹があり、綱 (つな)を張ってあります。



写真CC: 鵜戸神社です。
「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 字蚊口上 1-1 にあります。
創建は不詳です。 神武天皇が東遷のときにお立ち寄りになった所と言われています。 また、景行天皇が熊襲征伐 (くまそせいばつ)のときに全勝祈願、海陸安全で来られたと伝わっています。 昔から海上鎮護 (ちんご)の神社とされています。 現在の本殿、拝殿は昭和26年11月に再建されました。 本殿は1坪の新明造り、拝殿は10坪の入母屋造りです。 1792年 (寛政4年)3月に勤王論の高山彦九郎が鵜戸神社を訪 (おとず)れました。 鵜戸神社の夏祭りのときは、境内 (けいだい)に夜店や仮設舞台でのイベントがあります。 大人の神輿 (みこし)だけでなく子供神輿 (みこし)もあります。 神輿 (みこし)の「お宮入り」では氏子 (うじこ)同士の激しいぶつかり合いがあります。 これは祭りをまだ続けようとする「奉賛会」と神輿 (みこし)を拝殿に入れようとする「奉仕会」とのぶつかり合いです。 祭神はウガヤフキアエズノミコト、アマテラスオオカミ、アメノオシホミミノミコト、ホホデミノミコト、スサノオノミコト、ニニギノミコト、オオモノヌシノオオカミです。



写真CD: 旗を立てるポール、石灯籠 (いしどうろう)、右端は拝殿です。



写真CE: 鎮守の森 (ちんじゅのもり)の木とポール、石灯籠 (いしどうろう)、拝殿です。



写真CF: こちらにも外灯のポール、石灯籠 (いしどうろう)、左端に拝殿が見えます。



写真CG: 外灯のポール、鎮守の森 (ちんじゅのもり)の木も見えます。



写真CH: 南を見たものです。 来た参道を振 (ふ)り返ったものです。 鎮守の森 (ちんじゅのもり)が茂 (しげ)っています。



写真CI: 参道と石灯籠 (いしどうろう)、ポールが見えます。



写真CJ: 東を見たものです。 建物があります。



写真CK: 東に海が見える所があります。 木と木の間の部分から下方の景色や日向灘が見えます。



写真CL: 鵜戸神社 (うどじんじゃ)の境内 (けいだい)から日向灘の白波が見えます。 手前は日豊本線の架線 (かせん)です。 東を見たものです。
近くの海岸には、高鍋海水浴場、蚊口海浜公園キャンプ村、蚊口浜サーフスポットなどがあります。
「高鍋海水浴場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にあります。
 「蚊口海浜公園キャンプ村」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
 「蚊口浜サーフスポット」は高鍋海水浴場の南の 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。



写真CM: 高鍋町にある鵜戸神社の境内 (けいだい)です。 左は拝殿です。 北東を見たものです。



写真CN: 鵜戸神社の拝殿です。 北を見たものです。



写真CO: 北西を見たものです。 右端は拝殿。 孟宗竹 (もうそうだけ)も見えます。



写真CP: 西を見たものです。



写真CQ: 南西を見たものです。 石灯籠 (いしどうろう)、ポールも見えます。



写真CR: 来た参道です。 南を見たものです。



写真CS: 境内 (けいだい)に相撲 (すもう)の土俵 (どひょう)があります。



写真CT: 建物があります。



写真CU: 切った丸太 (まるた)も見えます。



写真CV: 奥から海や下方の景色が見えます。



写真CW: 北を見たものです。 大きな木も見えます。



写真CX: 高鍋町にある鵜戸神社 (うどじんじゃ)の拝殿と右の本殿です。 北西を見たものです。



写真CY: 西を見たものです。 右は拝殿です。



写真CZ: 南西を見たものです。 石灯籠 (いしどうろう)が2つ見えます。



写真DA: 南を見たものです。



写真DB: 海が見える所にベンチがあります。



写真DC: 見晴らしが良いところに木のベンチがあります。 左に水面が見えます。 それは河口に近い小丸川の一部です。 右は有料老人ホーム・介護施設の「しゃちんぼの濱 (はま)」です。 東を見たものです。



写真DD: 鵜戸神社 (うどじんじゃ)から小丸川の水面の一部、日向灘なども見えます。 手前は日豊本線の架線 (かせん)です。



写真DE: 北を見たものです。



写真DF: 石があります。



写真DG: 西を見たものです。



写真DH: 「しゃちんぼの濱 (はま)」と書いてあります。 児湯郡 高鍋町にある有料老人ホーム・介護施設です。



写真DI: 東に日向灘が見えます。



写真DJ: 日向灘の白波、手前の水面は小丸川の河口近くの部分です。 上は日豊本線の架線 (かせん)です。 右下は老人施設の駐車場です。
近くの海岸には、高鍋海水浴場、蚊口海浜公園キャンプ村、蚊口浜サーフスポットなどがあります。
「高鍋海水浴場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 6259-1 にあります。
 「蚊口海浜公園キャンプ村」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
 「蚊口浜サーフスポット」は高鍋海水浴場の南の 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。



写真DK: 左に小丸川の河口近くの水面、洲 (す)も見えます。 手前は日豊本線の架線 (かせん)です。 北東を見たものです。



写真DL: 左は鵜戸神社 (うどじんじゃ)の木です。



写真DM: 西を見たものです。 拝殿が見えます。



写真DN: 鈴 (すず)、鈴紐 (ひも)、しめ縄も見えます。 拝殿です。



写真DO:  お賽銭箱 (さいせんばこ)も見えます。 横木に彫刻 (ちょうこく)があります。



写真DP:  拝殿の屋根の部分です。 拝殿の側面にも彫刻 (ちょうこく)があります。



写真DQ: 拝殿の下部です。



写真DR: 拝殿のそばです。



写真DS: 横木の両側に象の彫り物 (ほりもの)があります。 社紋 (しゃもん、丸に一の字)も彫ってあります。



写真DT: 拝殿の前部です。



写真DU: お賽銭箱 (さいせんばこ)に「社紋 (しゃもん、丸に一の字)と賽銭」と書いてあります。 階段も見えます。



写真DV: 拝殿のそばです。



写真DW: 拝殿の中に神輿 (みこし)を置いてあります。 上の壁に「社紋 (しゃもん、丸に一の字) 鵜戸神社」と書いてある額 (がく)があります。 天井 (てんじょう)に蛍光灯もあります。
「鵜戸神社 (うどじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 字蚊口上 1-1 にあります。
創建は不詳です。 神武天皇が東遷のときにお立ち寄りになった所と言われています。 また、景行天皇が熊襲征伐 (くまそせいばつ)のときに全勝祈願、海陸安全で来られたと伝わっています。 昔から海上鎮護 (ちんご)の神社とされています。 現在の本殿、拝殿は昭和26年11月に再建されました。 本殿は1坪の新明造り、拝殿は10坪の入母屋造りです。 1792年 (寛政4年)3月に勤王論の高山彦九郎が鵜戸神社を訪 (おとず)れました。 鵜戸神社の夏祭りのときは、境内 (けいだい)に夜店や仮設舞台でのイベントがあります。 大人の神輿 (みこし)だけでなく子供神輿 (みこし)もあります。 神輿 (みこし)の「お宮入り」では氏子 (うじこ)同士の激しいぶつかり合いがあります。 これは祭りをまだ続けようとする「奉賛会」と神輿 (みこし)を拝殿に入れようとする「奉仕会」とのぶつかり合いです。 祭神はウガヤフキアエズノミコト、アマテラスオオカミ、アメノオシホミミノミコト、ホホデミノミコト、スサノオノミコト、ニニギノミコト、オオモノヌシノオオカミです。



写真DX: 拝殿の中です。 神輿 (みこし)の屋根に社紋 (しゃもん、丸に一の字)が書かれています。



写真DY: 拝殿の中です。



写真DZ: 拝殿の中。 丸い鏡 (神鏡)、太鼓 (たいこ)もあります。



写真EA: 手前に「2拝 (はい) 2拍手 (はくしゅ) 1拝」と書いてある木板があります。



写真EB: 屋根の裏です。 蛍光灯もあります。



写真EC: 横木、しめ縄も見えます。



写真ED: 高鍋町にある鵜戸神社 (うどじんじゃ)の拝殿の中です。



写真EE: 拝殿の前部です。



写真EF: 境内 (けいだい)に石碑 (せきひ)が2つあります。



写真EG: 「巡幸 (天皇が各地をまわることです。)伝説地 高鍋鵜戸神社、紀元2600年 (一部は判読。)」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)です。



写真EH: 「巡幸 (天皇が各地をまわることです。)伝説地 高鍋鵜戸神社、紀元2600年 (一部は判読。)」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)と「神武天皇」と彫ってある石碑です。



写真EI: 「神武天皇」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)です。



写真EJ: 拝殿の側面の上部です。



写真EK: 北を見たものです。 左端は本殿です。



写真EL: 高鍋町にある鵜戸神社の本殿と左の拝殿です。



写真EM: 本殿と拝殿の下部です。



写真EN: 西を見たものです。 右は本殿です。



写真EO: 本殿と拝殿の下部です。



写真EP: 拝殿の上部です。



写真EQ: 拝殿の側面の中部です。 壁に彫り物 (ほりもの)があります。



写真ER: 拝殿の側面の下部です。



写真ES: 南を見たものです。 右は拝殿です。



写真ET: 拝殿の上部です。



写真EU: 高鍋町にある鵜戸神社の本殿です。 屋根には内切りの千木 (ちぎ)と5本の鰹木 (かつおぎ)があります。 北西を見たものです。



写真EV: 東を見たものです。



写真EW: 北を見たものです。



写真EX: 左は本殿です。



写真EY: 拝殿の裏の様子 (ようす)が分かります。



写真EZ: 鵜戸神社の本殿です。



写真FA: 南を見たものです。



写真FB: 南西を見たものです。



写真FC: 本殿の下方です。



写真FD: 「ハマユウの花」が咲いていました。



写真FE: 石垣 (いしがき)があります。



写真FF: 竹林があります。



写真FG: 拝殿の西側面が見えます。



写真FH: 鵜戸神社の本殿と拝殿です。
本殿の屋根には内切りの千木 (ちぎ)と5本の鰹木 (かつおぎ)があります。



写真FI: 本殿の近くです。



写真FJ: 本殿の裏です。 東を見たものです。



写真FK: 鵜戸神社の拝殿です。



写真FL: 拝殿の近くです。



写真FM: 石灯籠 (いしどうろう)が見えます。 南を見たものです。



写真FN: 鵜戸神社の境内 (けいだい)です。 南東を見たものです。



写真FO: 拝殿の西側面です。



写真FP: 拝殿の西側面の下部です。



写真FQ: 本殿と右の拝殿です。



写真FR: 本殿の西側です。



写真FS: この奥にいくつかの末社があります。 西を見たものです。



写真FT: 祠 (ほこら)が並 (なら)んでいます。 石垣 (いしがき)、竹林もあります。 西を見たものです。 鵜戸神社。



写真FU: 多くの祠 (ほこら)が鵜戸神社にあります。



写真FV: 直角に曲がって祠 (ほこら)が並んでいます。



写真FW: ここまで祠 (ほこら)があります。 竹林もあります。



写真FX: 井戸があります。



写真FY: 古いお札 (ふだ)を入れる所の裏です。 竹箒 (たけぼうき)もあります。



写真FZ: 参道を戻 (もど)ります。 鳥居 (とりい)があります。



写真GA: 「県指定史跡 高鍋町古墳 (こふん)14号墳、昭和12年7月2日指定、高鍋町教育委員会」と書いてある標柱があります。



写真GB: 高鍋町古墳14号墳です。 盛り上がっています。 鵜戸神社の境内 (けいだい)にあります。



写真GC: 高鍋町古墳と「県指定史跡 高鍋町古墳 (こふん)14号墳、昭和12年7月2日指定、高鍋町教育委員会」と書いてある標柱です。 南西を見たものです。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)