高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家の住宅)、愛宕神社 (あたごじんじゃ) (高鍋藩 武家屋敷、高鍋町指定有形文化財 高鍋藩家老屋敷黒水家住宅、島田門跡、本田親君灌漑 (かんがい)功績記念碑、舞鶴城公園、県立 高鍋農業高等学校、高鍋町役場、黒谷公民館)  (宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江)







<標高、位置>  高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家住宅)は
標高 約10 m
 北緯32度07分34秒  東経131度30分07秒

<標高、位置>  愛宕神社 (あたごじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度07分37秒  東経131度30分09秒

<標高、位置>  高鍋城(舞鶴城)の本丸跡は
標高 約50 m
 北緯32度07分22秒  東経131度30分04秒

<標高、位置>  県立 高鍋農業高等学校は
標高 約10 m
 北緯32度07分25秒  東経131度30分15秒

<標高、位置>  高鍋町役場は
標高 約10 m
 北緯32度07分41秒  東経131度30分12秒


 「高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家住宅)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1390 にあります。
高鍋藩家老屋敷 黒水家住宅は平成2年に高鍋町の有形文化財に指定されました。 平成7年から一般公開されています。 黒水家は第10代 秋月種殷 (たねとみ)につかえた家老12人の一人でした。 黒水家は兵法家の家柄で禄高 (ろくだか)は140石 (こく)でした。 黒水家の子孫 (横浜在住)が高鍋町に寄贈し、町が2億500万円で修復しました。 黒水住宅は家老屋敷と呼 (よ)ばれ、主屋 (おもや)、籾蔵 (もみぐら)、味噌蔵 (みそぐら)、土蔵 (どぞう)があります。 前面に土塀 (どべい)があり武家屋敷としては貴重なものです。 主屋 (おもや)は鍵屋敷 (かぎやしき)になった寄棟造り (よせむねづくり)茅葺き (かやぶき)です。 居間、控 (ひか)えの間、次の間、上の間 (かみのま)があり、上の間が鍵 (かぎ)となって突 (つ)き出しています。 台所 (だいどころ)は別棟になって後方に接続していたと思われます。 一部の改造はありますが、数少ない武家屋敷です。 造りから見て文化・文政の頃 (1804年〜1830年)のものと推定されています。 籾蔵 (もみぐら)は藩政時代に高鍋藩の籾蔵として高鍋城内に建っていたものを明治初年に移設したものです。 西南戦争のときに秋月種節 (たねよ)をはじめ九烈士 (れっし)が薩摩軍 (西郷軍)により監禁 (かんきん)された建物です。 味噌蔵 (みそぐら)は味噌 (みそ)、醤油 (しょうゆ)などを作り保存した建物です。 土蔵 (どぞう)は鎧兜 (よろいかぶと)など重要品を保存するために使用されていました。 庭木は銀木犀 (ぎんもくせい)、柏 (かしわ)などがあります。 柏 (かしわ)は葉を団子 (だんこ)などに使っていたそうです。 茅葺屋根 (かやぶきやね)の武家屋敷として県内でも重要な文化遺産です。
 敷地にある「籾蔵 (もみぐら)」の説明板から、
 明治10年西南戦争の折り薩軍 (西郷軍)に好意的でない9人を閉 (と)じ込 (こ)めた仮牢 (ろう)である。 この建物は藩政時代の籾蔵 (もみぐら)で、現在の高鍋農業高校のテニスコートのところ (明治になって郡役所。)に建っていたのを黒水長(造の左にりっしんべんが付いた文字。)が求めてこの地に移転されたものです。

 「高鍋・愛宕神社 (あたごじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1405 番地にあります。
高鍋・愛宕神社では7月下旬に愛宕神社夏祭りが開かれ、県指定無形民俗文化財の日向高鍋神楽 (かぐら)や子供神楽が奉納されます。 高鍋神楽は女性の舞人も演じます。 この神楽は奈良時代から伝わっているとも言われます。 夏祭りは愛宕神社の周辺で行われます。 子供神輿 (みこし)も出ます。 六社連合大神事は児湯郡内の旧郷6社が毎年持ち回りで開く神事です。 六社とは高鍋町の愛宕神社、八城神社、木城町の比木神社、川南町の平田神社、白髭神社、新富町の八幡神社です。 各所の神楽などが奉納されます。

 「高鍋城跡(舞鶴城跡、舞鶴公園)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1345にあります。
高鍋城は説明板から、
「沿革」
  もと財部城といったが、後、高鍋城に改め通常は舞鶴城と呼ばれている。
 平安時代中期(斉衛年間 854年−857年)土持氏の所有となり、在来の山城を補修し、ここにおることおよそ600年に及んだ。
 長禄元年(1457年)伊東氏の所有となり、その48城の一つとして、武将 落合民部これを守った。 およそ120年の後、天正5年伊東氏を破り島津氏の所有となった。 後 天正15年(1587年)島津氏は豊臣秀吉に降伏し、同年7月秋月氏の居城となり約280年、明治の廃藩に至るまで続いた。
 寛文9年(1669年)6月、秋月氏3代藩主種信「財部」を「高鍋」と改め居城の修復に着手、岩坂門、石垣、城堀、大手門、本丸など数年を要して完成、近世の城の様式を備えるに至った。
「構造」
 天然の要害を巧みに利用し丘の中腹に心臓部の本丸を設け一段下がった平地を二の丸とし、更に下ったところを三の丸とし、北、南、東を堀で区切り、西は背後の山に野首掘切りを設けた。
「史跡」
 旧城内は、現在舞鶴公園として整備せられ、舞鶴公園、護国神社、石垣、堀、国指定の天然記念物の「高鍋大楠(くすのき)」をはじめ、次のような社寺や建造物の跡、各種記念碑など史跡が多い。
天然記念物1、社寺跡8、歌碑2、建造物の跡12、各種記念碑11 合計34。

 「島田門跡」
島田門は、高鍋城の北入口で島田橋の城内側にありました。 延宝3年 (1675年)に建てられました。 2層造りの櫓門 (やぐらもん)です。

 「宮崎県立 高鍋農業高等学校」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1339-2 にあります。
設立は1903年4月で、児湯郡立高鍋農業学校として始まりました。 その後、宮崎県立高鍋農学校、県立高鍋高等学校農業部を経 (へ)て、今の県立 高鍋農業高等学校になりました。 男女共学の全日制課程です。 校訓は研学修技・勤労興産・礼節敬愛・感恩報謝です。 校内は舞鶴城跡でもあることから、堀 (ほり)、大手門跡、明倫堂 (めいりんどう)跡などの史跡があります。

 「高鍋町役場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 8437 番地にあります。
1889年5月1日に高鍋村制施行、1901年2月7日に高鍋町施行、1938年10月1日に児湯郡 上江村と合併して高鍋町となりました。


写真A: 石垣 (いしがき)、石段、桜の木、「舞鶴公園」と書いてある看板 (かんばん)、その手前に小さな石灯籠 (いしどうろう)があります。 手前の広場は駐車場になっています。 西を見たものです。
 「高鍋城跡(舞鶴城跡、舞鶴公園)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1345にあります。
高鍋城は説明板から、
「沿革」
  もと財部城といったが、後、高鍋城に改め通常は舞鶴城と呼ばれている。
 平安時代中期(斉衛年間 854年−857年)土持氏の所有となり、在来の山城を補修し、ここにおることおよそ600年に及んだ。
 長禄元年(1457年)伊東氏の所有となり、その48城の一つとして、武将 落合民部これを守った。 およそ120年の後、天正5年伊東氏を破り島津氏の所有となった。 後 天正15年(1587年)島津氏は豊臣秀吉に降伏し、同年7月秋月氏の居城となり約280年、明治の廃藩に至るまで続いた。
 寛文9年(1669年)6月、秋月氏3代藩主種信「財部」を「高鍋」と改め居城の修復に着手、岩坂門、石垣、城堀、大手門、本丸など数年を要して完成、近世の城の様式を備えるに至った。
「構造」
 天然の要害を巧みに利用し丘の中腹に心臓部の本丸を設け一段下がった平地を二の丸とし、更に下ったところを三の丸とし、北、南、東を堀で区切り、西は背後の山に野首掘切りを設けた。
「史跡」
 旧城内は、現在舞鶴公園として整備せられ、舞鶴公園、護国神社、石垣、堀、国指定の天然記念物の「高鍋大楠(くすのき)」をはじめ、次のような社寺や建造物の跡、各種記念碑など史跡が多い。
天然記念物1、社寺跡8、歌碑2、建造物の跡12、各種記念碑11 合計34。



写真B: 左に堀 (ほり)もあります。 石垣 (いしがき)、駐車場があります。 舞鶴公園です。



写真C: 南を見たものです。 右は舞鶴公園です。 奥に県道24号が左右に通っています。



写真D: 東を見たものです。 県立 高鍋農業高等学校のグラウンドがあります。 生徒さんたちも見えます。
「県立 高鍋農業高等学校」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1339-2 にあります。



写真E: 北東を見たものです。 高鍋農業高等学校の校舎、グラウンドです。 舞鶴公園のそばにあります。
「県立 高鍋農業高等学校」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1339-2 にあります。
設立は1903年4月で、児湯郡立高鍋農業学校として始まりました。 その後、宮崎県立高鍋農学校、県立高鍋高等学校農業部を経 (へ)て、今の県立 高鍋農業高等学校になりました。 男女共学の全日制課程です。 校訓は研学修技・勤労興産・礼節敬愛・感恩報謝です。 校内は舞鶴城跡でもあることから、堀 (ほり)、大手門跡、明倫堂 (めいりんどう)跡などの史跡があります。



写真F: 北を見たものです。 右に高鍋農業高校の校舎があります。 左は舞鶴公園です。 堀のそばに小さな石灯籠 (いしどうろう)が並んでいます。



写真G: 県立 高鍋農業高校の校舎です。



写真H: 高鍋農業高校が見えます。



写真I: 北を見たものです。 先に進みます。 右は高鍋農業高校です。



写真J: 「宮崎県立 高鍋農業高等学校 通用門」と書いてあります。 奥に自転車置き場もあります。
「県立 高鍋農業高等学校」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1339-2 にあります。
設立は1903年4月で、児湯郡立高鍋農業学校として始まりました。 その後、宮崎県立高鍋農学校、県立高鍋高等学校農業部を経 (へ)て、今の県立 高鍋農業高等学校になりました。 男女共学の全日制課程です。 校訓は研学修技・勤労興産・礼節敬愛・感恩報謝です。 校内は舞鶴城跡でもあることから、堀 (ほり)、大手門跡、明倫堂 (めいりんどう)跡などの史跡があります。



写真K: 「宮崎県立 高鍋農業高等学校 通用門」と書いてあります。



写真L: 「島田門跡 島田門は、高鍋城の北入口で島田橋の城内側にありました。 延宝3年 (1675年)に建てられました。 2層造りの櫓門 (やぐらもん)です。 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱があります。



写真M: 「島田門跡 島田門は、高鍋城の北入口で島田橋の城内側にありました。 延宝3年 (1675年)に建てられました。 2層造りの櫓門 (やぐらもん)です。 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱です。 南を見たものです。



写真N: 「島田門跡 島田門は、高鍋城の北入口で島田橋の城内側にありました。 延宝3年 (1675年)に建てられました。 2層造りの櫓門 (やぐらもん)です。 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱。



写真O: 手前に高鍋城の「島田門」がありました。 西を見たものです。



写真P: 北を見たものです。 「木城 東九州道、総合体育館、高鍋市街」と書いてある道路標識があります。 右は高鍋農業高校です。



写真Q: バス停「黒谷 宮崎交通」があります。 北を見たものです。



写真R: 北を見たものです。 「高鍋町黒谷」の十字路があります。 左に進むと高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家住宅)があります。 奥に高鍋町役場が見えます。 左端に愛宕神社 (あたごじんじゃ)の一の鳥居 (とりい)が見えています。



写真S: 手前に愛宕神社 (あたごじんじゃ)の一の鳥居 (とりい)、山の中腹に愛宕神社の社殿が見えます。
「愛宕神社 (あたごじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1405 番地にあります。



写真T: 「高鍋町黒谷」の十字路から西を見たものです。 中央奥に高鍋藩 家老屋敷 (黒水家住宅)が小さく見えます。 この車道の右側 (北側)にあります。



写真U: この十字路は「高鍋町黒谷」交差点です。 奥に高鍋町役場が見えます。 北東を見たものです。
「高鍋町役場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 8437 番地にあります。
1889年5月1日に高鍋村制施行、1901年2月7日に高鍋町施行、1938年10月1日に児湯郡 上江村と合併して高鍋町となりました。



写真V: 鳥居 (とりい)に「愛宕神社 (あたごじんじゃ)」と書いてある額 (がく)があります。 「高鍋町黒谷」交差点にあります。
「愛宕神社 (あたごじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字1405 番地にあります。



写真W: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の参道です。 左右に灯明 (とうみょう)があります。



写真X: 「愛宕神社 (あたごじんじゃ)」と書いてある石碑 (せきひ)が一の鳥居 (とりい)のそばにあります。



写真Y: 「本田親君灌漑 (かんがい)功績記念碑」が鳥居 (とりい)のそばにあります。 愛宕神社です。
約60年間数多くの水路を整備した本田親の功績をたたえる石碑 (せきひ)です。 灌漑 (かんがい)とは田畑に水を引いてそそぎ、土地をうるおすことです。



写真Z: 右が高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家住宅)です。 西を見たものです。 手前に「駐車場」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真AA: 高鍋藩の武家屋敷です。 右が駐車場です。 左は広場になっています。 左奥の土塀 (どへい)があるところが高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家住宅)です。 奥は山になっています。



写真AB: これが高鍋藩家老の屋敷です。 土塀 (どへい)のそばに水路があり、その手前に小型の石灯籠 (いしどうろう)が並 (なら)んでいます。 庭木が剪定 (せんてい)されています。



写真AC: 「黒水家住宅 駐車場」と書いてある看板 (かんばん)があります。 そばに小型の石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真AD: 駐車場です。



写真AE: 土塀 (どべい)の奥に茅葺屋根 (かやぶきやね)の平屋があります。 これが家老の屋敷です。



写真AF: 高鍋藩家老屋敷 (黒水家住宅)です。 奥は山になっています。 門も見えます。
「高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家住宅)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1390 にあります。
高鍋藩家老屋敷 黒水家住宅は平成2年に高鍋町の有形文化財に指定されました。 黒水家は第10代 秋月種殷 (たねとみ)につかえた家老12人の一人でした。 黒水家は兵法家の家柄で禄高 (ろくだか)は140石 (こく)でした。 黒水家の子孫 (横浜在住)が高鍋町に寄贈し、町が2億500万円で修復しました。



写真AG: 西を見たものです。 右が高鍋藩家老屋敷です。 高鍋藩の武家屋敷です。



写真AH: 家老屋敷の入り口です。
高鍋藩家老屋敷 黒水家住宅は平成2年に高鍋町の有形文化財に指定されました。 平成7年から一般公開されています。 黒水家は第10代 秋月種殷 (たねとみ)につかえた家老12人の一人でした。 黒水家は兵法家の家柄で禄高 (ろくだか)は140石 (こく)でした。 黒水家の子孫 (横浜在住)が高鍋町に寄贈し、町が2億500万円で修復しました。 黒水住宅は家老屋敷と呼 (よ)ばれ、主屋 (おもや)、籾蔵 (もみぐら)、味噌蔵 (みそぐら)、土蔵 (どぞう)があります。 前面に土塀 (どべい)があり武家屋敷としては貴重なものです。 主屋 (おもや)は鍵屋敷 (かぎやしき)になった寄棟造り (よせむねづくり)茅葺き (かやぶき)です。 居間、控 (ひか)えの間、次の間、上の間 (かみのま)があり、上の間が鍵 (かぎ)となって突 (つ)き出しています。 台所 (だいどころ)は別棟になって後方に接続していたと思われます。 一部の改造はありますが、数少ない武家屋敷です。 造りから見て文化・文政の頃 (1804年〜1830年)のものと推定されています。 籾蔵 (もみぐら)は藩政時代に高鍋藩の籾蔵として高鍋城内に建っていたものを明治初年に移設したものです。 西南戦争のときに秋月種節 (たねよ)をはじめ九烈士 (れっし)が薩摩軍 (西郷軍)により監禁 (かんきん)された建物です。 味噌蔵 (みそぐら)は味噌 (みそ)、醤油 (しょうゆ)などを作り保存した建物です。 土蔵 (どぞう)は鎧兜 (よろいかぶと)など重要品を保存するために使用されていました。 庭木は銀木犀 (ぎんもくせい)、柏 (かしわ)などがあります。 柏 (かしわ)は葉を団子 (だんこ)などに使っていたそうです。 茅葺屋根 (かやぶきやね)の武家屋敷として県内でも重要な文化遺産です。



写真AI: 屋敷の中のこの2階建ては籾蔵 (もみぐら)だったものを明治初期に譲り受け移築したものです。



写真AJ: 「高鍋町指定有形文化財 黒水家住宅 平成2年3月13日指定」と書いてある標柱があります。



写真AK: 車道の方を見たものです。 下に鉄平石を敷 (し)いてあります。



写真AL: 車道と水路の間にある広場です。 左右に小型の石灯籠 (いしどうろう)があります。 東を見たものです。 奥から来ました。



写真AM: 家老屋敷の土塀 (どべい)と水路です。



写真AN: 家老屋敷の石段、門の下部です。



写真AO: 家老屋敷の門と茅葺 (かやぶき)屋根の家 (主屋 (おもや))です。 高鍋藩の武家屋敷です。



写真AP: 石垣 (いしがき)もあります。 左下は水路です。



写真AQ: 家老屋敷の水路に鯉 (こい)が飼 (か)われていました。



写真AR: 鯉 (こい)がぼんやりと見えます。



写真AS: 水路です。 土塀 (どべい)の外にあります。



写真AT: 赤色の緋鯉 (ひごい)も見えます。



写真AU: 籾蔵 (もみぐら)だったものを明治時代初期に屋敷内に移設した2階建てです。 1階の窓には格子 (こうし)があります。



写真AV: 門柱は中国様式の珍 (めずら)しいものです。 門の上に橋の欄干 (らんかん)の部品のようなものが付いています。



写真AW: 瓦 (かわら)の端 (はし)に家紋 (かもん)の巴 (ともえ)模様があります。



写真AX: 敷地内です。



写真AY: 石碑 (せきひ)のようなものもあります。



写真AZ: 家老屋敷の庭です。 外から見えた塀 (へい)もあります。



写真BA: 石もあります。 左に茅葺 (かやぶき)の取り換え工事の紐 (ひも)やシートもあります。



写真BB: 歩くための石もあります。



写真BC: 家老屋敷です。 茅葺 (かやぶき)の取り換え工事の紐 (ひも)やシートも見えます。



写真BD: 茅葺 (かやぶき)の取り換え工事の紐 (ひも)やシートもあります。 寄棟造り (よせむねづくり)茅葺 (かやぶき)の建物です。
構造形式から文化・文政 (1804年〜1830年)に造られたものと推定されています。



写真BE: 「上の間 (8畳)」です。 掛け軸 (かけじく)、脇息、刀掛 (か)け台、行灯 (あんどん、木などの枠 (わく)に紙を貼 (は)り、中に油皿 (あぶらざら)を入れて灯火をともすもの。)、額 (がく)の写真、座 (すわ)り机などがあります。
構造形式から文化・文政 (1804年〜1830年)に造られたものと推定されています。



写真BF: 「控 (ひかえ)の間 (10畳)」と書いてあります。 控の間の奥は「次の間 (8畳)」です。 上の欄間 (らんま)、板の襖 (ふすま)もあります。



写真BG: 手前は「控えの間 (10畳)」です。 櫓炬燵 (やぐらこたつ)があります。 奥 (納戸 (なんど))に衣類、神棚 (かみだな)、馬具などが見えます。



写真BH: 皿などの陶器 (とうき)を飾 (かざ)ってあります。 玄関からすぐの部屋 (玄関の間 (6畳))です。



写真BI: 門の左の2階建ての建物は元 (もと)は籾蔵 (もみぐら)でした。
「籾蔵 (もみぐら)」の説明板があります。
 明治10年西南戦争の折り薩軍 (西郷軍)に好意的でない9人を閉 (と)じ込 (こ)めた仮牢 (ろう)である。
 この建物は藩政時代の籾蔵 (もみぐら)で、現在の高鍋農業高校のテニスコートのところ (明治になって郡役所。)に建っていたのを黒水長(造の左にりっしんべんが付いた文字。)が求めてこの地に移転されたものです。
と書いてあります。
明治10年の西南戦争のときに秋月種節など9人が薩軍によって監禁 (かんきん)された建物です。



写真BJ: 「高鍋町指定有形文化財 高鍋藩家老屋敷黒水家住宅」の観覧料、開館時間、休館日が書いてあります。



写真BK: 茅葺屋根 (かやぶきやね)の一番上の部分には瓦 (かわら)があります。 主屋 (おもや)です。
構造形式から文化・文政 (1804年〜1830年)に造られたものと推定されています。
高鍋藩家老屋敷 黒水家住宅は平成2年に高鍋町の有形文化財に指定されました。 黒水家は第10代 秋月種殷 (たねとみ)につかえた家老12人の一人でした。 黒水家は兵法家の家柄で禄高 (ろくだか)は140石 (こく)でした。 黒水家の子孫 (横浜在住)が高鍋町に寄贈し、町が2億500万円で修復しました。



写真BL: 壁 (かべ)は漆喰 (しっくい)で出来ています。  主屋 (おもや)です。



写真BM: 玄関 (げんかん)です。 玄関の屋根は瓦葺き (かわらぶき)になっています。



写真BN: 「こちらで 靴 (くつ)を脱 (ぬ)いで お上がりください。」と書いてあります。



写真BO: 皿などの陶器 (とうき)を飾 (かざ)ってあります。 手前に記帳机があります。 玄関のそばの部屋 (玄関の間 (6畳))です。



写真BP: 「控 (ひかえ)の間 (10畳)」です。 櫓炬燵 (やぐらこたつ)があります。



写真BQ: 家老屋敷の庭です。 左は主屋 (おもや)です。



写真BR: 地面はこのようになっています。



写真BS: 家老の屋敷です。



写真BT: 廊下 (ろうか)に上がるための大きめの石があります。



写真BU: 「上の間」です。 右は床で左は神棚 (かみだな)です。



写真BV: 「控 (ひかえ)の間」です。 杉戸で囲 (かこ)まれています。 上の欄間 (らんま)は当時のものだそうです。



写真BW: 奥は「納戸 (なんど)」です。



写真BX: 玄関を入ってすぐの部屋 (玄関の間)です。



写真BY: 「籾蔵 (もみぐら)」の説明板がもう一つあります。
明治10年の西南戦争のときに秋月種節など9人が薩軍によって監禁 (かんきん)された建物です。



写真BZ: 庭と建物 (主屋 (おもや))です。



写真CA: 玄関はこのようになっています。



写真CB: ここは納戸 (なんど)です。 衣類の上下 (かみしも)があります。 これは江戸時代の武士の礼装です。 長持ち (ふとん、着物入れ)、神棚 (かみだな)、下に馬具もあります。 トイレは当時のもので、北側に風呂 (ふろ)がありましたが壊 (こわ)れています。



写真CC: 下に鐙 (あぶみ、鞍 (くら)の両脇にさげ騎者の足をふみかける馬具。)と鞍 (くら)の馬具が見えます。



写真CD: 家老の屋敷の納戸 (なんど)です。



写真CE: 部屋から見た裏庭です。 古い木、土蔵 (どぞう)が見えます。 奥に竹林があります。



写真CF: 裏の奥は山になっています。



写真CG: 右は納戸 (なんど)です。



写真CH: 「上の間」です。 座 (すわ)り机の上に硯 (すずり)、筆などがあります。 廊下 (ろうか)も見えます。



写真CI: 額 (がく)に写真があります。 黒水長ぞう (りっしんべんに造) 氏は高鍋製糖会社を設立し社長になりました (文政11年 (1828年)生まれ〜大正5年 (1916年) 89歳で没。)。



写真CJ: 玄関 (げんかん)のそばの部屋 (へや) (玄関の間)です。 上に槍 (やり)置き場があります。 8本の槍 (やり)を置くことが出来ます。 手早く槍 (やり)を持てるようにこの場所にあるのでしょう。



写真CK: 手前は「居間 (いま) (8畳)」、奥は「台所 (だいどころ)」です。 居間にタンスがあります。



写真CL: 「居間 (8畳)」です。 タンスが2つ見えます。 障子 (しょうじ)、板の戸が付いた窓もあります。 家族や使用人が利用しました。 畳 (たたみ)に縁 (ふち)がありません。



写真CM: 「台所 (だいどころ)」です。 竈 (かまど)、羽釜 (はがま)、瓶 (かめ)、流し、鍋 (なべ)、手桶 (ておけ)、籠 (かご)、ザルがあります。



写真CN: お櫃 (ひつ)、ザル、塗 (ぬ)り物の容器、すり鉢 (ばち)、火鉢 (ひばち)があります。 台所です。



写真CO: 「台所 (だいどころ)」です。 盆 (ぼん)、火鉢 (ひばち)、すり鉢 (ばち)、塗り物の容器、お櫃 (ひつ)があります。



写真CP: 台所の上部です。



写真CQ: 居間 (いま)の上部です。 茅葺屋根 (かやぶきやね)の葺 (ふ)き替え中です。 ブルーのものは工事用と思われます。 天井 (てんじょう)は吹き抜 (ぬ)けになっています。



写真CR: 勝手口 (かってぐち)から外を見たものです。 側面の出入り口が見えます。



写真CS: 明治時代に移設された籾蔵 (もみぐら)です。 2階建てです。 瓦 (かわら)屋根になっています。



写真CT: 籾蔵 (もみぐら)が受付になっています。



写真CU: 籾蔵 (もみぐら)の上部です。



写真CV: 移設された籾蔵 (もみぐら)です。



写真CW: 主屋 (おもや)(左)と籾蔵 (もみぐら)です。



写真CX: 茅葺屋根 (かやぶきやね)の様子 (ようす)がよく分かります。 最上部は瓦 (かわら)が載 (の)っています。 台所 (だいどころ)の部分と玄関 (げんかん)の部分は瓦屋根 (かわらやね)になっています。 主屋 (おもや)です。



写真CY: 台所の外側に瓶 (かめ)が多く並 (なら)んでいます。 居間の入り口 (勝手口)まで踏 (ふ)み石を並 ((なら)べてあります。



写真CZ: 奥は左が味噌蔵 (みそぐら)でその右は土蔵 (どぞう)です。 土蔵 (どぞう)には鎧兜 (よろいかぶと)や貴重品を入れてありました。 高鍋藩の武家屋敷です。 外灯もあります。 奥は山になっています。



写真DA: 板塀 (いたべい)が左にあります。



写真DB: 板塀 (いたべい)と籾蔵 (もみぐら)が見えます。



写真DC: 左手前は台所 (だいどころ)です。 入り口が見えます。



写真DD: 木と建物です。 高鍋藩の武家屋敷です。



写真DE: 台所の入り口まで踏み石 (ふみいし)を並べてあります。



写真DF: 家老の屋敷の裏庭です。 左端は土蔵 (どぞう)です。 その右に大きな古い木が見えます。



写真DG: 高鍋藩の武家屋敷です。 右の土蔵 (どぞう)には石段、左の味噌蔵 (みそぐら)には踏み石 (ふみいし)があります。 土蔵には鎧兜 (よろいかぶと)などの宝物を保管していました。 今は何も入ってないそうです。



写真DH: 家老屋敷の味噌蔵 (みそぐら)です。 ここで味噌 (みそ)、醤油 (しょうゆ)を作ったり保存したりしていました。 中には農機具などが見えます。



写真DI: 外灯、板塀 (いたべい)、味噌蔵 (みそぐら)です。



写真DJ: 裏の山はこのようになっています。 右に竹林も見えます。



写真DK: 本宅はちょうど茅葺屋根 (かやぶきやね)の葺 (ふ)き替え工事中でした。



写真DL:  裏庭にある古木です。 枝を支柱で支 (ささ)えてあります。 土蔵 (どぞう)のそばにあります。



写真DM:  裏山に孟宗竹 (モウソウダケ)の竹林があります。



写真DN:  移設された籾蔵 (もみぐら)です。



写真DO:  板塀 (いたべい)の外の道です。 山の方に行くことが出来ます。



写真DP:  来た道を振 (ふ)り返ったものです。 籾蔵 (もみぐら)も見えます。



写真DQ:  外から見た高鍋藩 家老の屋敷 (黒水家住宅)です。



写真DR:  左奥は土蔵 (どぞう)です。



写真DS:  奥にトイレが見えます。



写真DT: 裏山の様子 (ようす)が分かります。



写真DU: 竹の生け垣 (がき)があります。



写真DV:  竹の生け垣 (がき)です。



写真DW: この竹の生け垣 (がき)は細い黒色の竹です。



写真DX:  右は竹の生け垣 (がき)、左は家老の屋敷です。 奥には左右に車道があります。



写真DY: 板塀 (いたべい)と高鍋藩 家老の屋敷です。



写真DZ: 山のそばに広場があります。 '



写真EA:  トイレが見えます。



写真EB:  「土石流危険渓流 (けいりゅう)」の看板 (かんばん)があります。
高月川
大雨のときは、土石流が発生する恐れがありますので十分注意してください。 この渓流の周辺は土砂災害警戒区域に指定されていますので、早めの避難を心がけてください。
宮崎県 高鍋町
と書いてあります。



写真EC: 山のそばにあるトイレです。



写真ED:  右が家老の屋敷です。 茅葺屋根 (かやぶきやね)の葺 (ふ)き替え工事中でした。



写真EE: 高鍋藩 家老の屋敷です。 右は土蔵 (どぞう)です。



写真EF: 家老の屋敷のそばです。



写真EG: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の一の鳥居 (とりい)です。
高鍋・愛宕神社では7月下旬に愛宕神社夏祭りが開かれ、県指定無形民俗文化財の日向高鍋神楽 (かぐら)や子供神楽が奉納されます。 高鍋神楽は女性の舞人も演じます。 この神楽は奈良時代から伝わっているとも言われます。 夏祭りは愛宕神社の周辺で行われます。 子供神輿 (みこし)も出ます。 六社連合大神事は児湯郡内の旧郷6社が毎年持ち回りで開く神事です。 六社とは高鍋町の愛宕神社、八城神社、木城町の比木神社、川南町の平田神社、白髭神社、新富町の八幡神社です。 各所の神楽などが奉納されます。



写真EH: 黒谷交差点です。 南東を見たものです。



写真EI: 山の中腹に二の鳥居(とりい)、三の鳥居、社殿が見えます。 愛宕神社 (あたごじんじゃ)です。



写真EJ: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の参道です。 ガードレール、左に掲示板 (けいじばん)があります。



写真EK: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の境内 (けいだい)です。 北を見たものです。
「愛宕神社 (あたごじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1405 番地にあります。



写真EL: 二の鳥居(とりい)、三の鳥居、社殿が見えます。 左は社務所と黒谷公民館 (手前)です。 2階建てになっています。 右に坂道もあります。



写真EM: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の境内 (けいだい)に黒谷公民館があります。 ここは山の中腹です。



写真EN: 右は境内 (けいだい)です。



写真EO:  黒谷公民館の上部と山です。



写真EP: 「黒谷公民館」と書いてあります。



写真EQ: 木の枝に御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付けてあります。



写真ER: 二の鳥居(とりい)、三の鳥居、石段、社殿、石灯籠 (いしどうろう)、坂道が見えます。 鳥居にしめ縄 (なわ)があります。
高鍋・愛宕神社では7月下旬に愛宕神社夏祭りが開かれ、県指定無形民俗文化財の日向高鍋神楽 (かぐら)や子供神楽が奉納されます。 高鍋神楽は女性の舞人も演じます。 この神楽は奈良時代から伝わっているとも言われます。 夏祭りは愛宕神社の周辺で行われます。 子供神輿 (みこし)も出ます。 六社連合大神事は児湯郡内の旧郷6社が毎年持ち回りで開く神事です。 六社とは高鍋町の愛宕神社、八城神社、木城町の比木神社、川南町の平田神社、白髭神社、新富町の八幡神社です。 各所の神楽などが奉納されます。



写真ES: 右に境内 (けいだい)にある高い木があります。 北を見たものです。



写真ET: 社務所です。 建物は黒谷公民館とつながっています。



写真EU: お札 (ふだ)などを販売するところです。 しめ縄と御幣 (ごへい)があります。



写真EV: 三の鳥居 (とりい)と拝殿です。 高鍋町にある愛宕神社 (あたごじんじゃ)。



写真EW: 三の鳥居 (とりい)の下部です。



写真EX: 三の鳥居 (とりい)に「昭和3年3月」と彫 (ほ)ってあります。



写真EY: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の手水舎 (ちょうずや)です。 奥に二の鳥居 (とりい)が見えます。



写真EZ: 社務所と黒谷公民館がある建物です。 階段があります。 左端は手水舎 (ちょうずや)です。



写真FA: 手水舎 (ちょうずや)の近くです。



写真FB: 階段のそばに石造物があります。 手前は手水舎 (ちょうずや)の手ぬぐいです。



写真FC: 高鍋町にある愛宕神社 (あたごじんじゃ)の拝殿と石灯籠 (いしどうろう)です。
高鍋・愛宕神社では7月下旬に愛宕神社夏祭りが開かれ、県指定無形民俗文化財の日向高鍋神楽 (かぐら)や子供神楽が奉納されます。 高鍋神楽は女性の舞人も演じます。 この神楽は奈良時代から伝わっているとも言われます。 夏祭りは愛宕神社の周辺で行われます。 子供神輿 (みこし)も出ます。 六社連合大神事は児湯郡内の旧郷6社が毎年持ち回りで開く神事です。 六社とは高鍋町の愛宕神社、八城神社、木城町の比木神社、川南町の平田神社、白髭神社、新富町の八幡神社です。 各所の神楽などが奉納されます。



写真FD: 「愛宕神社 (あたごじんじゃ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 1405 番地にあります。



写真FE: 「愛宕神社」と書いてあります。 社紋 (しゃもん)もあります。 鈴と紐 (ひも)もあります。



写真FF: 鈴のヒモです。



写真FG: しめ縄と御幣 (ごへい)もあります。



写真FH: 社殿の中です。



写真FI: 社殿の中です。 長椅子 (ながいす)もあります。



写真FJ: 社殿の中。



写真FK: 境内 (けいだい)にある木です。



写真FL: 木の下部です。



写真FM: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の本殿です。 千木 (ちぎ)は外切りで、円筒形の鰹木 (かつおぎ)が屋根の上にあります。



写真FN: 本殿の下部です。



写真FO: 右は本殿、左は拝殿です。



写真FP: 倉庫が本殿の裏にあります。



写真FQ: 薪 (まき)があります。



写真FR: 小さな建物があります。 右上は本殿です。



写真FS: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の本殿です。



写真FT: 本殿の下部です。



写真FU: 右に細い石段があります。 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の境内 (けいだい)です。 南を見たものです。



写真FV: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の境内 (けいだい)です。 石灯籠 (いしどうろう)、三の鳥居 (とりい)、二の鳥居、右端に手水舎 (ちょうずや)があります。 南東を見たものです。



写真FW: 高い木もあります。 銀杏 (いちょう)の木かもしれません。



写真FX: 左は拝殿です。 東を見たものです。



写真FY: 拝殿と左の本殿です。



写真FZ: 愛宕神社 (あたごじんじゃ)の拝殿と石灯籠 (いしどうろう)です。



写真GA:  高い木 (イチョウの木かもしれません。)のそばに石碑 (せきひ)があります。



写真GB:  「大鳥居建設記念」の石碑 (せきひ)です。 一の鳥居 (とりい)の建設のことと思われます。
総事業費 貳 (2)百万円也 平成11年7月24日 愛宕神社
と彫 (ほ)ってあります。



写真GC: 右は拝殿です。



写真GD: 愛宕神社から見た高鍋町の景色 (けしき)です。 南東を見たものです。



写真GE:  愛宕神社から見たものです。



写真GF:  東を見たものです。 愛宕神社からの風景です。



写真GG: 愛宕神社は高台 (山の中腹。)にあります。



写真GH:  左端は高鍋町役場です。



写真GI: 北東を見たものです。 愛宕神社から高鍋町役場も見えます。
「高鍋町役場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字上江 8437 番地にあります。
1889年5月1日に高鍋村制施行、1901年2月7日に高鍋町施行、1938年10月1日に児湯郡 上江村と合併して高鍋町となりました。



写真GJ:  高鍋町にある愛宕神社 (あたごじんじゃ)から北を見たものです。 遠くの山も見えます。 左はそばの山です。



写真GK: 北西を見たものです。



写真GL: 内側から見た一の鳥居 (とりい)です。



写真GM: 一の鳥居 (とりい)に「平成11年7月吉日」と彫 (ほ)ってあります。



写真GN: 見上 (あ)げた愛宕神社 (あたごじんじゃ)です。



写真GO: 東から見た高鍋町にある愛宕神社 (あたごじんじゃ)です。 山の中腹にあります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)