魚乃里 ぎょれん丸、宮崎港、宮崎フェリーターミナル、宮崎県水産会館、JF、カーフェリー 「みやざきエキスプレス」、岸壁に船のロープをつなぐ金属製のボラード (ニチレイ、日鉄住金高炉セメント株式会社 宮崎セメントサービスステーション、太平洋セメント株式会社 宮崎サービスステーション、徳山セメント 宮崎サービスステーション、宮崎海洋高等学校の実習船 進洋丸、タグボート)  (宮崎県 宮崎市 港)







<標高、位置>  宮崎県 水産会館 (JF)は
標高 数 m
 北緯31度54分22秒  東経131度27分24秒

<標高、位置>  ぎょれん丸は
標高 数 m
 北緯31度54分19秒  東経131度27分25秒

<標高、位置>  宮崎港 フェリー発着所は
標高 数 m
 北緯31度54分39秒  東経131度27分27秒

<標高、位置>  宮崎港 南防波堤の根元は
標高 数 m
 北緯31度54分46秒  東経131度28分08秒

<標高、位置>  宮崎港 内防波堤は
標高 数 m
 北緯31度55分22秒  東経131度28分20秒

<標高、位置>  宮崎港の漁港は
標高 数 m
 北緯31度53分56秒  東経131度27分18秒

<標高、位置>  宮崎港水門は
標高 数 m
 北緯31度53分50秒  東経131度27分23秒


 「宮崎県 水産会館」は宮崎県 宮崎市 港2丁目 6番地 にあります。
宮崎県水産会館は1階は宮崎県漁業協同組合連合会、2階は宮崎県信用漁業協同組合連合会、3階は宮崎県漁業保険組合、宮崎県漁業共済組合、共水連、全水共宮崎、宮崎県漁業信用基金協会、4階は宮崎県農政水産部魚政課、栽培協会、かん水協会、指導協会、研修室1・2、図書資料室、調理実習室、5階には大研修室があります。

 「魚乃里 ぎょれん丸」は宮崎県 宮崎市 港2丁目 6番地 にあります。
魚乃里 ぎょれん丸はJF宮崎漁連直営店です。 1階は海産物の物産品店です。 イチゴなども販売しています。 2階は海鮮料理店です。 宮崎港を眺 (なが)めながら新鮮な魚料理を楽しめます。 魚でうどんの麺 (めん)を作った「魚うどん」も名物です。

 「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。
宮崎港フェリーターミナルは宮崎カーフェリー株式会社が経営しています。 宮崎市 港 3丁目14番地 にある本社と神戸市の関西支店、鹿児島市の鹿児島支店があります。

 「みやざきエキスプレス」はカーフェリーです。 総トン数は11931 トン、航海速力は25 ノット、全長は170 m 、全幅は27 m 、最大出力は19800 ps x 2基、就航年月日は平成8年12月2日です。

 「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 南北に約2 km の長さがあります。 南部には宮崎港の漁港、北部には宮崎港フェリーターミナルなどがあります。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。

  「宮崎港水門ゲート」の金属製の説明板から、
「宮崎港水門ゲート、1987年5月、管理者 宮崎県、型式 ステンレス製桁構造ローラゲート、純径間x扉高 18.0 m x 9.8 m、設置数 1門、扉体重量 115.0 ton、施工 扉体工 株式会社 田原製作所、本体工 株式会社 志多組。」
宮崎港水門ゲートは大淀川の河口近くの北岸にあり、宮崎港と大淀川の間にあります。


写真A: 建物に「魚乃里 ぎょれん丸 JF」と書いてあります。 南東を見たものです。
「魚乃里 ぎょれん丸」は宮崎県 宮崎市 港2丁目 6番地 にあります。
魚乃里 ぎょれん丸はJF宮崎漁連直営店です。 1階は海産物の物産品店です。 イチゴなども販売しています。 2階は海鮮料理店です。 宮崎港を眺 (なが)めながら新鮮な魚料理を楽しめます。 魚でうどんの麺 (めん)を作った「魚うどん」も名物です。



写真B: 野生の「スイカズラの花」が咲いていました。



写真C: 北を見たものです。 奥に徳山セメントの円筒形の大きなタンクが見えます。



写真D: 南西を見たものです。 「ニチレイ」と建物に書いてあります。
ニチレイ株式会社は加工食品事業、水産・畜産事業、低温物流事業、医薬品・機能性素材事業などを行っています。 日本で初めて冷凍食品を作った企業で、冷凍食品事業と低温物流事業では国内最大手です。



写真E: 南を見たものです。 左は宮崎県水産会館です。 右にニチレイの建物も見えます。



写真F: 南東を見たものです。 宮崎県水産会館です。



写真G: 「魚乃里 ぎょれん丸 駐車場100台完備→」、「宮崎県水産会館 渚 (なぎさ、食堂です。)」の看板 (かんばん)があります。 奥は宮崎県水産会館です。 南東を見たものです。



写真H: 建物に「JF」と書いてあります。
「宮崎県 水産会館」は宮崎県 宮崎市 港2丁目 6番地 にあります。
宮崎県水産会館は1階は宮崎県漁業協同組合連合会、2階は宮崎県信用漁業協同組合連合会、3階は宮崎県漁業保険組合、宮崎県漁業共済組合、共水連、全水共宮崎、宮崎県漁業信用基金協会、4階は宮崎県農政水産部魚政課、栽培協会、かん水協会、指導協会、研修室1・2、図書資料室、調理実習室、5階には大研修室があります。



写真I: 「宮崎県水産会館」と書いてあります。 南を見たものです。



写真J: 南東を見たものです。
「宮崎県 水産会館」は宮崎県 宮崎市 港2丁目 6番地 にあります。
宮崎県水産会館は1階は宮崎県漁業協同組合連合会、2階は宮崎県信用漁業協同組合連合会、3階は宮崎県漁業保険組合、宮崎県漁業共済組合、共水連、全水共宮崎、宮崎県漁業信用基金協会、4階は宮崎県農政水産部魚政課、栽培協会、かん水協会、指導協会、研修室1・2、図書資料室、調理実習室、5階には大研修室があります。



写真K: 宮崎県水産会館の下部です。 ソテツの木があります。



写真L: 東を見たものです。 右は宮崎県水産会館です。 奥は宮崎港です。



写真M: 左に黒松が生 (は)えています。 奥は宮崎港です。 右は宮崎県水産会館。 東を見たものです。



写真N: 国旗などの掲揚 (けいよう)ポールです。 宮崎県水産会館です。



写真O: 西を見たものです。 昔からの防潮林の黒松が見えます。 奥は旭通 (あさひどおり)です。



写真P: 左端は宮崎県水産会館です。



写真Q: 南西を見たものです。 宮崎県水産会館の建物です。



写真R: 南西を見たものです。 左奥に「ぎょれん丸 魚乃里」が見えます。 右は宮崎県水産会館です。



写真S: 左にトレーラー トラックの荷台が見えます。



写真T: 北を見たものです。 手前にタグボート (港内外で他船を曳 (ひ)いて移動させたり押したりして出入港を助ける小型船のことです。)が岸壁 (がんぺき)に繋 (つな)がれています。



写真U: 北西を見たものです。 左から徳山セメント、太平洋セメント、日鉄住金高炉セメントの円筒形の大きなタンクが見えます。 宮崎港です。



写真V: 西を見たものです。 右から徳山セメントの円筒形の大きなタンク、宮崎県水産会館、ニチレイの建物です。



写真W: 西南西を見たものです。 右から宮崎県水産会館、ニチレイ、ぎょれん丸の2階建ての建物が見えます。 ぎょれん丸は2階が海鮮料理店になっています。 手前にトレーラー トラックの荷台が並 (なら)んでいます。
ニチレイ株式会社は加工食品事業、水産・畜産事業、低温物流事業、医薬品・機能性素材事業などを行っています。 日本で初めて冷凍食品を作った企業で、冷凍食品事業と低温物流事業では国内最大手です。



写真X: 南西を見たものです。 右手にぎょれん丸、その右奥にニチレイの建物があります。 左遠くに花切山 (はなきりやま、標高 669.2 m )が見えています。



写真Y: 南を見たものです。 左に宮崎港の水面が見えます。 中央右寄りに大淀川と宮崎港の間の「宮崎港水門」が見えます。 その手前右に宮崎港の漁港があります。 右奥に花切山 (はなきりやま、標高 669.2 m )が見えます。
「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 南北に約2 km の長さがあります。 南部には宮崎港の漁港、北部には宮崎港フェリーターミナルなどがあります。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。

  「宮崎港水門ゲート」の金属製の説明板から、
「宮崎港水門ゲート、1987年5月、管理者 宮崎県、型式 ステンレス製桁構造ローラゲート、純径間x扉高 18.0 m x 9.8 m、設置数 1門、扉体重量 115.0 ton、施工 扉体工 株式会社 田原製作所、本体工 株式会社 志多組。」
宮崎港水門ゲートは大淀川の河口近くの北岸にあり、宮崎港と大淀川の間にあります。



写真Z: 東南東を見たものです。 宮崎県立 宮崎海洋高等学校の実習船「進洋丸」が停泊 (ていはく)しています。 宮崎港の入江 (いりえ)の対岸も見えます。
「宮崎県立 宮崎海洋高等学校」は宮崎県 宮崎市 日の出町 1番地 にあります。
宮崎県立 宮崎海洋高等学校は1900年 (明治33年)4月1日に実業補習学校として設立されました。 水産科が独立したのは1950年 (昭和25年) 水産高等学校になってからです。 このとき日南市から宮崎市に移りました。 平成6年 (1994年)に宮崎海洋高等学校になりました。 男女共学の全日制課程です。 海洋科学科があります。 校訓は真理を探求し常に正道を闊歩 (かっぽ)せよ。 人権を尊重し平和と自由を愛せよ。 責任を重 (おも)んじ実行力のある人となれ。 実習船は「進洋丸」です。



写真AA: 実習船「進洋丸」に「太陽と緑の国 みやざき」、「MZI−700」と書いてあります。 煙突 (えんとつ)も見えます。 東を見たものです。



写真AB: 実習船「進洋丸」に「7JAO」と書いてあります。 進洋丸の上部に長いアンテナ線があります。 救命ボートも見えます。



写真AC: 北を見たものです。 タグボートの左奥に宮崎港フェリーターミナルに停泊 (ていはく)しているカーフェリー 「みやざきエキスプレス」が見えます。



写真AD: 北西を見たものです。 徳山セメント、太平洋セメント、日鉄住金高炉セメントの円筒形の大きなタンクが見えます。



写真AE: 東を見たものです。 左はタグボート、右は宮崎海洋高等学校の実習船「進洋丸」です。



写真AF: 東北東を見たものです。 右はタグボートです。 対岸のいくつかの円筒形の石油タンクも見えます。 手前に船のロープをつなぐ金属製のボラードがあります。 宮崎港です。



写真AG: 北を見たものです。 宮崎港フェリーターミナルのカーフェリー 「みやざきエキスプレス」が見えます。 宮崎港は南北に長い形になっています。
「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 南北に約2 km の長さがあります。 南部には宮崎港の漁港、北部には宮崎港フェリーターミナルなどがあります。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。



写真AH: 左から太平洋セメント、日鉄住金高炉セメントの大きな円筒形のタンクが見えます。 手前にはトレーラー トラックの荷台が並 (なら)んでいます。 外灯もあります。 右にカーフェリー 「みやざきエキスプレス」も見えます。 北西を見たもの。



写真AI: 西を見たものです。 左端は宮崎県水産会館、徳山セメントのタンク、右端は太平洋セメントの円筒形の大きなタンクです。 手前に外灯もあります。



写真AJ: 南西を見たものです。 左にニチレイの建物、その右に宮崎県水産会館があります。



写真AK: トラックが並 (なら)んでいます。



写真AL: 南を見たものです。



写真AM: 南東を見たものです。 宮崎海洋高等学校の実習船 「進洋丸」が見えます。



写真AN: 「あぶない!! この先は岸壁 (がんぺき)です。 転落事故が多いので 特に夜間の運転には十分注意をして下さい。 宮崎港管理者 (宮崎県中部港湾事務所)」
と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真AO: タグボートが宮崎港の中で走り始めました。 奥に対岸の円筒形の大きな石油タンクが多く見えます。 東を見たものです。



写真AP: 宮崎港です。 南を見たものです。



写真AQ: 南東を見たものです。 岸壁 (がんぺき)で魚釣りをしていらっしゃいました。 宮崎港です。



写真AR: 東を見たものです。 対岸の円筒形の石油タンクがいくつか見えます。



写真AS: 北を見たものです。 左端はカーフェリー 「みやざきエキスプレス」です。 右端の円弧 (えんこ)は釣り竿 (ざお)です。



写真AT: 北西を見たものです。 左に宮崎港フェリーターミナルの建物があります。 カーフェリー 「みやざきエキスプレス」が岸壁 (がんぺき)に停泊 (ていはく)しています。 ワシントン椰子 (やし)が並 (なら)んでいます。 岸壁の側面に船が接岸するときの物 (設備)がいくつか見えます。
「みやざきエキスプレス」はカーフェリーです。 総トン数は11931 トン、航海速力は25 ノット、全長は170 m 、全幅は27 m 、最大出力は19800 ps x 2基、就航年月日は平成8年12月2日です。



写真AU: これも船が岸壁に接岸するときの設備と思われます。 西を見たものです。



写真AV: 西を見たものです。 高いワシントン椰子 (やし)が並 (なら)んでいます。



写真AW: 南西を見たものです。 右から日鉄住金高炉セメント、太平洋セメント、徳山セメントの大きな円筒形のタンクが見えます。



写真AX: トレーラー トラックの運転席の部分です。 貨物車の部分は取り外 (はず)してあり、ここにはありません。 北西を見たものです。



写真AY: 北を見たものです。 カーフェリー 「みやざきエキスプレス」の後部が見えます。 煙突 (えんとつ)もあります。 外灯が並 (なら)んでいます。



写真AZ: ビロウ樹の木が並 (なら)んでいます。 北西を見たものです。 宮崎港です。



写真BA: 壁 (かべ)に「宮崎港フェリーターミナル」と書いてあります。 北西を見たものです。
「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。
宮崎港フェリーターミナルは宮崎カーフェリー株式会社が経営しています。 宮崎市 港 3丁目14番地 にある本社と神戸市の関西支店、鹿児島市の鹿児島支店があります。



写真BB: 宮崎港に停泊 (ていはく)しているカーフェリー 「みやざきエキスプレス」です。 乗客が乗り降 (お)りする通路が左に見えます。 岸壁 (がんぺき)の金属製のボラードにつないであるロープもあります。 外灯も並んでいます。 北東を見たものです。
「みやざきエキスプレス」はカーフェリーです。 総トン数は11931 トン、航海速力は25 ノット、全長は170 m 、全幅は27 m 、最大出力は19800 ps x 2基、就航年月日は平成8年12月2日です。



写真BC: 宮崎港フェリーターミナルの中です。 北を見たものです。
「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。
宮崎港フェリーターミナルは宮崎カーフェリー株式会社が経営しています。 宮崎市 港 3丁目14番地 にある本社と神戸市の関西支店、鹿児島市の鹿児島支店があります。



写真BD: 宮崎港フェリーターミナルの中です。 乗船するときの出入り口が見えます。 木のベンチがあります。 テレビ、丸い壁掛け時計も見えます。 北東を見たものです。



写真BE: 飲料水の自動販売機もあります。 東を見たものです。



写真BF: まだシャッターが閉 (と)じている「おみやげ品店」が宮崎港フェリーターミナルにあります。



写真BG: 2階への階段、トイレです。



写真BH: 宮崎港フェリーターミナルの乗船券を販売する所です。 「宮崎←→神戸」と書いてあります。 北を見たものです。
「宮崎港フェリーターミナル」は宮崎県 宮崎市 港 3丁目14番地 にあります。
宮崎港フェリーターミナルは宮崎カーフェリー株式会社が経営しています。 宮崎市 港 3丁目14番地 にある本社と神戸市の関西支店、鹿児島市の鹿児島支店があります。



写真BI: 南を見たものです。 左に宮崎港フェリーターミナル、右に高いワシントン椰子 (やし)が見えます。



写真BJ: 南東を見たものです。 左端はカーフェリー、右は宮崎港フェリーターミナルです。 外灯、高いワシントン椰子 (やし)が見えます。



写真BK: 東を見たものです。 高いワシントン椰子 (やし)、その下方にビロウ樹、カーフェリー 「みやざきエキスプレス」が見えます。
「みやざきエキスプレス」はカーフェリーです。 総トン数は11931 トン、航海速力は25 ノット、全長は170 m 、全幅は27 m 、最大出力は19800 ps x 2基、就航年月日は平成8年12月2日です。



写真BL: 北東を見たものです。 カーフェリーの先頭部、乗客が乗り降 (お)りする通路、アンテナも見えます。
左端に帆船 (はんせん)の「みらいへ」が見えます。



写真BM: 北を見たものです。 中央遠くに帆船 「みらいへ」が見えています。



写真BN: 帆船 (はんせん) 「みらいへ」の帆 (ほ)が見えています。 その右に海上保安庁の測量船 「明洋」の上部も見えます。 外灯もあります。



写真BO: 北を見たものです。 携帯電話の基地局アンテナ、左に貨物、遠くにワシントン椰子 (やし)も見えます。



写真BP: 西を見たものです。 右に貨物、外灯、高いワシントン椰子 (やし)もあります。



写真BQ: 高いワシントン椰子 (やし)の並木 (なみき)です。



写真BR: 南を見たものです。 左端は宮崎港フェリーターミナルです。



写真BS: 東を見たものです。 左手前にトレーラーの運転台の部分が並 (なら)んでいます。
「みやざきエキスプレス」はカーフェリーです。 総トン数は11931 トン、航海速力は25 ノット、全長は170 m 、全幅は27 m 、最大出力は19800 ps x 2基、就航年月日は平成8年12月2日です。



写真BT: 「みやざきエキスプレス」と船体に書いてあります。 先頭部に国旗がはためいています。 カーフェリーに自動車を乗り降 (お)りさせる装置が見えます。 手前にトレーラーの運転台の部分が並 (なら)んでいます。



写真BU: 野草の「ニワゼキショウの白い花」が咲いていました。 この白色のニワゼキショウの花はときどき見られます。 普通は紫色の花のものが多く咲いています。



写真BV: 南を見たものです。 カーフェリー 「みやざきエキスプレス」の先頭部分の様子 (ようす)が分かります。 乗客が乗り降 (お)りする通路も右に見えます。 手前に船のロープを繋 (つな)ぐ金属製のボラードがあります。
「みやざきエキスプレス」はカーフェリーです。 総トン数は11931 トン、航海速力は25 ノット、全長は170 m 、全幅は27 m 、最大出力は19800 ps x 2基、就航年月日は平成8年12月2日です。



写真BW: 右端にロープをつなぐボラードがあります。 対岸 (東)の円筒形の大きな石油タンクがいくつも見えます。 対岸にも岸壁 (がんぺき)があります。 南東を見たものです。



写真BX: 東を見たものです。 宮崎港の防波堤 (ぼうはてい)が左に見えています。 そのあたりから船が宮崎港に出入りします。 宮崎港の南端の宮崎港水門からも小型の船が出入りします。



写真BY: 北北東を見たものです。 右に宮崎港の防波堤 (ぼうはてい)があります。 左端に海上保安庁の測量船 「明洋」とその奥に帆船 (はんせん) 「みらいへ」が停泊 (ていはく)しています。 宮崎港の北端近くです。



写真BZ: 海上保安庁の測量船 「明洋」とその奥に帆船 (はんせん) 「みらいへ」が停泊 (ていはく)しています。
「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 南北に約2 km の長さがあります。 南部には宮崎港の漁港、北部には宮崎港フェリーターミナルなどがあります。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。



写真CA: イベントでミニテニスが宮崎港で行われていました。 北西を見たものです。



写真CB: 西を見たものです。 イベントで消防車なども宮崎港に来ていました。



写真CC: 南西を見たものです。 左端はカーフェリー 「みやざきエキスプレス」です。



写真CD: 南を見たものです。 手前のロープをつなぐボラードとカーフェリーの「みやざきエキスプレス」です。



写真CE: 宮崎港フェリーターミナルの近くに戻 (もど)って来ました。 左に宮崎港フェリーターミナルが見えます。 南を見たものです。 右はビロウ樹の並木 (なみき)です。



写真CF: 南を見たものです。 高いワシントン椰子 (やし)があります。 各社のセメントの大きな円筒形タンクも見えます。



写真CG: 「津波避難 宮崎県水産会館まで 350 m  避難場所 宮崎県水産会館、宮崎市」と書いてある標識があります。 宮崎港。 南を見たものです。



写真CH: 「日鉄住金高炉セメント株式会社、宮崎セメントサービスステーション」と書いてあります。 奥に大きな円筒形のタンクがあります。 西を見たものです。



写真CI: 日鉄住金高炉セメントの円筒形の大きなタンクです。



写真CJ: 「太平洋セメント株式会社 宮崎サービスステーション」と門に書いてあります。 左にココス椰子 (やし)があります。 西を見たものです。



写真CK: 太平洋セメントの大きな円筒形のタンクです。 左端は徳山セメントの円筒形タンクです。 南西を見たものです。



写真CL: 徳山セメントの大きな円筒形タンクです。



写真CM: 東を見たものです。 トレーラーの荷台部分が多くあります。



写真CN: 「徳山セメント宮崎サービスステーション」と書いてあります。



写真CO: 徳山セメントの大きな円筒形のタンクです。



写真CP: 徳山セメントのタンクなどです。 北西を見たものです。



写真CQ: 「港2丁目14」と書いてあります。



写真CR: 宮崎県水産会館のところに戻 (もど)って来ました。 南西を見たものです。



写真CS: 建物に「魚乃里 ぎょれん丸 JF」と書いてあります。 南東を見たものです。
「魚乃里 ぎょれん丸」は宮崎県 宮崎市 港2丁目 6番地 にあります。
魚乃里 ぎょれん丸はJF宮崎漁連直営店です。 1階は海産物の物産品店です。 イチゴなども販売しています。 2階は海鮮料理店です。 宮崎港を眺 (なが)めながら新鮮な魚料理を楽しめます。 魚でうどんの麺 (めん)を作った「魚うどん」も名物です。



写真CT: 「ぎょれん丸」の中です。 魚乃里 ぎょれん丸はJF宮崎漁連直営店です。



写真CU: ぎょれん丸とは海鮮料理店です。



写真CV: ぎょれん丸のテーブルです。



写真CW: ぎょれん丸の料理などです。



写真CX: ぎょれん丸の「伊勢海老 (イセエビ)料理」です。



写真CY: 後ろ (東)に宮崎港が見えています。
「魚乃里 ぎょれん丸」は宮崎県 宮崎市 港2丁目 6番地 にあります。
魚乃里 ぎょれん丸はJF宮崎漁連直営店です。 1階は海産物の物産品店です。 イチゴなども販売しています。 2階は海鮮料理店です。 宮崎港を眺 (なが)めながら新鮮な魚料理を楽しめます。 魚でうどんの麺 (めん)を作った「魚うどん」も名物です。



写真CZ: ぎょれん丸の2階の食堂です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)