櫛の山公園の桜の花 (くしのやまこうえんの桜の花)、日向仏舎利塔 (ぶっしゃりとう) (櫛の山の三角点 (標高 95.9 m )、日向仏舎利塔を建設された石元妙眼 (俗名はツル子)が住職だった日知屋の日本山妙法寺の桜の花、ソメイヨシノ、ツツジの花、日向市周辺の山並 (な)み、日向仏舎利塔からの展望、大御神社 (おおみじんじゃ)、日知屋城跡 (ひちやじょうあと)、伊勢ヶ浜)  (宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山、伊勢ヶ浜)








<標高、位置>  櫛ノ山 (くしのやま)は
標高 95.9 m
 北緯32度24分49秒  東経131度38分39秒

<標高、位置>  大御神社 (おおみじんじゃ)は
標高 数 m
 北緯32度24分40秒  東経131度38分58秒

<標高、位置>  日知屋城跡 (ひちやじょうあと)は
標高 約30 m
 北緯32度24分40秒  東経131度39分03秒

<標高、位置>  伊勢ケ浜 (いせがはま)は
標高 約0 m
 北緯32度24分47秒  東経131度39分05秒


 山頂に仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
仏舎利 (ぶっしゃり)とはお釈迦(しゃか)さまの遺骨のことです。 日向仏舎利塔がある櫛ノ山 (くしのやま)は日向市の中心部を流れる塩見川の左岸 (下流を見て左です。)にあります。 櫛の山公園になっていて、200本の桜の木 (ソメイヨシノ)があります。 櫛の山に登る車道、駐車場、仏舎利塔の前の広場、仏舎利塔のまわりなどに桜が咲きます。 春は桜の花が美しい所です。 日向仏舎利塔は1970年 (昭和45年)に完成しました。 高さ 30 m、直径 28 mで、正面に転法輪像、左側面に誕生像、右側面に涅槃像 (ねはんぞう)、背面に合掌 (がっしょう)像の釈迦像があります。 仏舎利塔の前の広場に標高 95.9 m の三角点があります。
 日向仏舎利塔は日知屋の日本山妙法寺 (櫛ノ山の登り口近くの大きな石塔 (南無妙法蓮華経と彫 (ほ)ってあります。)があるところのすぐ奥にあります。)の住職 石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)は平和を祈願 (きがん)して信徒らと共に、鍬 (くわ)、ツルハシなどで山を切り開きました。 ハンマーで鉄骨を曲げ、コンクリートを練 (ね)って高さ 30 m、直径 28 m の仏舎利塔を造りました。 石元さんは美郷町 南郷区の出身です。 代用教員をしていましたが、出家し、日本山妙法寺の開祖である熊本県出身の藤井日達 上人の導きで、昭和36年に仏舎利塔の建設を始めました。 作業は手作業も多かったそうです。 尼 (あま)さんも作業服を着て先頭に立って働きました。 資金難などにもあいながらも着工から9年後の昭和45年に完成しました。 石元さんは2011年11月に86歳で亡くなりました。
「日向仏舎利塔」の説明板から、
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔

 「大御神社 (おおみじんじゃ)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 伊勢ケ浜 1番地 にあります。
 「日向のお伊勢さま 大御神社 (おおみじんじゃ) 御由緒ならびに沿革」の説明板から、
 大御神社は、皇祖 天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳 (つまび)らかではないが当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば往古皇大御神 日向の国 高千穂に皇孫ニニギノミコトを天降し給 (たま)うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の盤石にてこれより絶景の大海原 (おおうなばら)を眺望され、皇祖 天照大御神をお祭りして平安を祈念 (きねん)されたと伝えられ、後世 此 (こ)の御殿の霊石の在りし所に一宇 (いちう、1つの建物)を建て皇大御神を勧請し村中の鎮守を崇敬し奉 (たてまつ)ると言う。
 また神武天皇 御東征の切、大鯨を退治された御鉾 (ほこ)を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時 伊勢ケ浜 (脇の浜)から港に入られ、皇大御神を奉斎する御殿 (現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山 (くしのやま)と東に隆起する米の山 (久米の山)は神武天皇の先鋒 (せんぽう、軍の先頭のことです。)の天櫛津大久米命の名に因 (ちな)むものであると言う。 その後 当社は日知屋城主 伊東 氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主 (豊臣秀吉の九州征伐の後はここ日知屋は延岡の領地になりました。)、幕領代官 等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼 (よ)んで崇敬し且 (かつ)親しんできたのである。
最近ことに御神徳を慕 (した)って県内外の参拝者が激増している。
 大御神社の社名は天照皇大御神の大御をいただいて社名としたと伝えられている。
 現在の御社殿の改築は昭和13年に完成し資材は、高千穂地方の神社の境内木が使われている。
礼祭日 11月15日、11月16日

 「日知屋城跡 (ひちやじょうあと)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字伊勢道 にあります。 市指定文化財 史跡 日知屋城跡です。
 日知屋城は北、東、南を海に囲 (かこ)まれている小高い半島 (標高 約30 m)にある山城です。 築城者は不明ですが、おそらく土持かもしれません。 築城年代は不明です。 別名は船岡城です。 6ヵ所の曲輪 (くるわ、平らな所。)、土塁 (どるい、土を盛り上げて築いた、小さな砦 (とりで)。)、堀切、空堀、石垣、石段などが残っています。 日知屋城主は土持、伊東、福本、氏本、薬師寺、井尻、高橋などです。 元和元年 (1615年)の1国1城令で日知屋城は廃城。
 長禄元年 (1457年)に財部(高鍋)土持景綱が伊東祐尭 (すけたか)に立ち向かいましたが、小浪川の戦い (高鍋町の宮田川の上流と思われます。)で滅亡し、日知屋、塩見、門川、新名、野別府、山陰、田代、神門、新納院高城は伊東の領地になりました。 そのときに日知屋城は財部土持から伊東祐尭の城となりました。 文明13年 (1556年)に第5代の伊東祐国の弟 伊東祐邑が日知屋城内で暗殺されました。 辞世の句は「露はおき萩はまたぬる朝 (あした)かな」です。 刺客を送ったのは伊東祐邑の母方の野村でした。 本家の伊東尹祐(ただすけ)は怒って文明18年 (1561年)に野村の11人に切腹を命じました(野村の乱)。 このように、日知屋城での伊東佑邑の暗殺は伊東勢の乱れを招き弱体化の原因の1つになりました。 伊東佑邑が暗殺された後は福本新十郎、氏本駿河守などが城主となりました。 島津との戦いでは城番の福永や日知屋衆が入郷 (「入郷」とは美郷町、日向市 東郷町 (時には椎葉村、諸塚村も含む。)の総称です。)地域の将と共に出陣していました。 伊東義祐の豊後落ち (ぶんごおち、天正5年 (1577年))の後は日知屋城は大友と島津の戦いの前線となり、大友の将 (海賊衆) 薬師寺兵庫守が城主でした。 天正6年 (1578年)の耳川の戦いの後に島津の領地になりました。 島津の家臣 井尻伊賀守が城主となりました。 豊臣秀吉の九州征伐 (せいばつ)の後は松尾城主の高橋元種の領地になりましたが、元和元年 (1615年)の1国1城令で日知屋城は廃城になりました。
 日知屋城跡にある墓地には伊東祐国と佑邑 兄弟の慰霊碑があります。 新しいもの (昭和59年 (1984年)建立)は500回遠忌に建てられました。

 「伊勢ケ浜公園」は宮崎県 日向市 大字日知屋 伊勢ケ浜 にあります。


写真A: 日向市にある大御神社 (おおみじんじゃ)の鳥居 (とりい)です。 左に日知屋城跡 (ひちやじょうあと)の大きな石碑 (せきひ)があります。 日知屋城跡は左の山にあります。 左手前には伊勢ヶ浜があります。 南を見たものです。
「大御神社 (おおみじんじゃ)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 伊勢ケ浜 1番地 にあります。
「日知屋城跡 (ひちやじょうあと)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字伊勢道 にあります。
「伊勢ケ浜公園」は宮崎県 日向市 大字日知屋 伊勢ケ浜 にあります。



写真B: 右の車道を奥に進んで「櫛の山公園 (くしのやまこうえん)の桜の花」がある所に行きます。 南を見たものです。



写真C: 看板 (かんばん)に「日向のお伊勢さま 大御神社 (おおみじんじゃ)」と書いてあります。



写真D: そばの伊勢ヶ浜に野草の「オドリコソウの花」が咲いていました。



写真E: 伊勢ヶ浜の近くに野草の「ムラサキケマンの花」が咲いていました。



写真F: 日向仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある櫛の山公園 (くしのやまこうえん)に登る車道です。 登るときに左側にソメイヨシノ (桜)の花が咲いていました。



写真G: 桜の花を見上げたものです。



写真H: 登山道に桜の花びらが散っています。



写真I: 「キブシの木の花」が咲いていました。 登山道です。



写真J: 登山道のそばです。 桜の花が咲いています。 櫛ノ山の麓 (ふもと)近くに大きな石塔があります。 坂道の車道のそばにある大きな石塔です。 「昭和37年、日向道場」、「南無妙法蓮華経」と彫 (ほ)ってあります。 日向仏舎利塔を建設された石元妙眼 (俗名はツル子)が住職だった日知屋の日本山妙法寺はこの石塔のすぐそばにあります。



写真K: 日向仏舎利塔を建設された石元妙眼 (俗名はツル子)が住職だった日知屋の日本山妙法寺に行く参道のソメイヨシノ (桜)の花です。



写真L: 桜の木が多くあります。 櫛の山 (くしのやま)に登る車道です。



写真M: 桜の花のそばを登っていきます。



写真N: ソメイヨシノの花です。



写真O: 櫛の山 (くしのやま)に登る道の桜の花です。



写真P: 登ってきた車道を振 (ふ)り返ったものです。 路面に桜の花びらが落ちていました。



写真Q: ミラーもあります。



写真R: 老人施設の看板 (かんばん)が見えてきました。



写真S: 桜の花と電線です。



写真T: 「介護付有料老人ホームひむかの郷」の看板 (かんばん)があります。



写真U: 櫛の山 (くしのやま)に登る車道です。



写真V: 車道に多くの桜の花が見えます。



写真W: もうすぐ櫛の山公園の駐車場に着 (つ)きます。



写真X: 櫛の山公園の駐車場の車も見えて来ました。 駐車場のまわりに満開のソメイヨシノ (桜)の花が咲いています。



写真Y: 車道の上方を見上げたものです。



写真Z: 駐車場からも奥に白い仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)が見えます。 桜も満開です。



写真AA: 桜と駐車場に散っている桜の花びらです。 櫛の山公園です。



写真AB: 駐車場のそばの桜の花です。



写真AC: 満開のソメイヨシノの花です。



写真AD: 地面の花びらも美しい。



写真AE: 駐車場と桜の花です。 櫛の山公園。



写真AF: 桜の他 (ほか)に大きな木もあります。



写真AG: 櫛の山公園の駐車場です。



写真AH: 櫛の山公園の駐車場とトイレです。 桜の花が満開です。



写真AI: 駐車場のまわりに桜の花が咲いています。



写真AJ: 右端は飲料水の自動販売機です。



写真AK: 櫛の山 (くしのやま)にある日向仏舎利塔 (ひゅうがぶっしゃりとう)、階段、看板 (かんばん)、公衆電話、飲料水の自動販売機、駐車場、桜の花などが見えます。



写真AL: 駐車場から見た日向仏舎利塔とソメイヨシノ (桜)の花です。



写真AM: 桜の花と仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)です。



写真AN: 櫛の山公園の駐車場に落ちている桜の花です。



写真AO: 地面に落ちているソメイヨシノの花びらです。



写真AP: 桜の花、黒い枝、空です。



写真AQ: 奥の一段低い広場、ベンチにも花びらが落ちていました。



写真AR: 地面の花びらです。 美しいと思います。



写真AS: 一段低い広場の桜の花びらです。 一面に散っています。



写真AT: 一段低い広場の桜の木です。



写真AU: 桜の葉も見えます。



写真AV: 黒い枝と桜の花です。



写真AW: 階段と桜の花です。



写真AX: この階段を登って仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)のある広場に行きます。 櫛の山公園です。



写真AY: 階段の上から駐車場の方を振 (ふ)り返ったものです。



写真AZ: 仏舎利塔のある広場のまわりの桜の花です。



写真BA: ソメイヨシノ (桜)の木です。



写真BB: ソメイヨシノの花です。



写真BC: 空を背景とした桜の花です。



写真BD: 右の低木の所に三角点 (さんかくてん)があります。 ベンチも見えます。



写真BE: 左の低木のところに三角点があります。 仏舎利塔まで広場の中央に舗装 (ほそう)した歩道があります。 南南東を見たものです。



写真BF: 中央に藤棚 (ふじだな)があります。 桜の花も広場のまわりに見えます。



写真BG: 白い看板 (かんばん)のそばの木は植樹されたものでしょう。



写真BH: 右奥に駐車場の白い車が見えます。



写真BI: 上の広場から駐車場を見たものです。 桜の花が満開です。



写真BJ: 右下に花崗岩製 (かこうがんせい)の「三角点 (標高 95.9 m )」が見えます。



写真BK: 宮崎県 日向市にある櫛の山 (くしのやま)の三角点 (標高 95.9 m )です。



写真BL: 櫛の山の三角点です。 そばに「基本測量 たいせつにしましょう三角点 国土地理院」と書いてある木製の標柱もあります。



写真BM: 「基本測量 たいせつにしましょう三角点 国土地理院」と書いてある木製の標柱です。



写真BN: 三角点の上面に「十」の印 (しるし)があります。



写真BO: 櫛の山の三角点の側面も見えます。



写真BP: 「三」の文字が右上にあります。 櫛の山の三角点は三等三角点と思われます。



写真BQ: 櫛の山の三角点の側面です。 上面の角 (かど)が欠 (か)けています。



写真BR: 櫛の山の三角点の下部の様子 (ようす)が分かります。



写真BS: 上の広場から見た日向仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)です。 桜の花が見事 (みごと)です。



写真BT: 櫛 (くし)の山の桜の花です。



写真BU: 広場にある右の低木の中に三角点と岩があります。 駐車場の方を振 (ふ)り返ったものです。 北を見たものです。



写真BV: 日向仏舎利塔の前の広場の桜の花です。



写真BW: 広場の桜の花も満開です。



写真BX: 日向仏舎利塔の階段の下にフェニックスの木、左と右に桜の花も見えます。



写真BY: 「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。 櫛の山は公園になっていて、上に白い日向仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)があります。 この白い仏舎利塔は国道10号など遠くからでもよく目立ちます。



写真BZ: 広場の奥の少し高い所に白い仏舎利塔があります。 手前の広場に舗装 (ほそう)された歩道があります。 南を見たものです。



写真CA: 仏舎利塔の右手にも桜の花があります。



写真CB: 右端の藤棚 (ふじだな)のところに桜の花見の人たちが見えます。



写真CC: 藤棚 (ふじだな)と広場です。



写真CD: 右端の奥は駐車場です。



写真CE: 三角点がある低木の茂 (しげ)みが見えます。 桜の花、駐車場の車も見えます。 北を見たものです。



写真CF: 左は仏舎利塔がある高い所です。 仏舎利塔の右 (西)の桜の花も満開です。 下に2羽のカラスがいます。



写真CG: 櫛の山の桜の花と日向仏舎利塔です。 階段、フェニックスの木もあります。



写真CH: 南東を見たものです。 桜の花が地面に散っています。 フェニックスの木が2本見えます。 右上は白い仏舎利塔です。



写真CI: 桜の花とフェニックスの木です。



写真CJ: 桜の木の上部です。



写真CK: 日向仏舎利塔の階段の下に「日向仏舎利塔」の説明板があります。
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔
と書かれています。



写真CL: 「日向仏舎利塔」の説明板です。
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔
と書かれています。



写真CM: 「日向仏舎利塔」の説明板。
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔
と書かれています。



写真CN: 桜の花びらが散った所に3羽のカラスがいます。 枯 (か)れた桜の木の根元から枝が出て桜の花が咲いています。



写真CO: 見上 (あ)げた桜の花と仏舎利塔です。



写真CP: 桜の枝と日向仏舎利塔です。



写真CQ: 桜の花を通して見た日向仏舎利塔です。 南東を見たものです。



写真CR: 日向仏舎利塔を西から見たものです。 寝た仏様の像があります。



写真CS: 日向仏舎利塔のそばに赤いツツジの花が咲いていました。



写真CT: 北東を見たものです。 白い仏舎利塔と赤いツツジの花です。



写真CU: 仏舎利塔のそばの桜の花です。 葉も見えます。 仏舎利塔のそばのまわりにも桜の花が咲いていました。



写真CV: 仏舎利塔のすぐ近くの桜の花です。



写真CW: 野草の「キランソウの花」が咲いていました。 仏舎利塔のすぐそばです。



写真CX: 桜の花、桜の枝と白い日向仏舎利塔です。



写真CY: 仏舎利塔の立った仏様の像があります。



写真CZ: 日向仏舎利塔のまわりの桜の木です。 地面に桜の花が散っています。 南西を見たものです。 右上に仏舎利塔があります。



写真DA: 右に仏舎利塔があります。 左は桜の木です。



写真DB: 仏舎利塔のそばの木です。



写真DC: 仏舎利塔のそばの桜の木を見上 (あ)げたものです。



写真DD: 桜の枝です。



写真DE: 左上に日向仏舎利塔、そのまわりにツツジの花、その外に桜の花を楽しめます。



写真DF: 左のツツジの木と右の桜の木です。 仏舎利塔のまわりです。



写真DG: 仏舎利塔のまわりをもうすぐ一回りします。 奥に階段の手すりが見えます。 左の赤いツツジの花と右上の桜の花です。



写真DH: 階段の中段から見上 (あ)げた日向仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)です。 座 (すわ)った仏様の像があります。 その下に供 (そな)え物があります。 南を見たものです。



写真DI: 仏舎利塔の階段です。



写真DJ: 仏舎利塔の座 (す)った仏像、花の供 (そな)え物も見えます。



写真DK: 階段の最上部に花と線香 (せんこう)の灰皿などもあります。 日向仏舎利塔。



写真DL: 最上部の階段です。



写真DM: 南東を見たものです。



写真DN: 東を見たものです。 赤いツツジの花と桜の花も見えます。 右端は仏舎利塔です。



写真DO: 仏舎利塔のそばの桜の花です。



写真DP: 日向仏舎利塔の階段の中段から北を見たものです。 遠くの山並 (な)み、藤棚 (ふじだな)、フェニックスの木、桜の花なども見えます。



写真DQ: 北西の山々も美しく見えます。 日向仏舎利塔の階段の中段から見たもの。



写真DR: 日向仏舎利塔の階段と桜の花、遠くの山並み (やまなみ)です。 西を見たものです。 手前は階段です。



写真DS: 南西を見たものです。 仏舎利塔のまわりの舗装 (ほそう)した円形の道、桜の花、遠くの山々も見えます。



写真DT: 仏舎利塔の最上部の階段、供 (そな)え物も見えます。



写真DU: 最上部の階段と供え物 (そなえもの)、座 (すわ)った仏像などもあります。



写真DV: 日向仏舎利塔の上部です。 上に塔があります。 南を見たものです。



写真DW: 東を見たものです。 親子連 (づ)れが参拝しに来ています。



写真DX: 仏舎利塔の階段と桜の花です。 北東を見たものです。



写真DY: 広場の手前側に水飲み場のコンクリートが見えます。 階段の中段から北を見たものです。



写真DZ: 北西を見たものです。



写真EA: 西を見たものです。



写真EB: ベンチもあります。



写真EC: 仏舎利塔の下部がよく分かります。



写真ED: 南東を見たものです。 日向仏舎利塔です。



写真EE: 美しい仏舎利塔です。



写真EF: 階段の最上部から見たものです。 桜の花も見えます。



写真EG: 階段の最上部から見た桜の花です。



写真EH: 階段の最上部から北を見たものです。 遠くの山々が美しく見えます。



写真EI: 階段の最上部から北西を見たものです。 山々が美しい。 下に藤棚 (ふじだな)も見えます。 日向仏舎利塔からの眺望 (ちょうぼう)です。



写真EJ: 日向仏舎利塔の階段の最上部から西を見た景色です。 4重の山並 (な)みが見えます。



写真EK: 日向仏舎利塔の階段の最上部から見たものです。



写真EL: 5重の山並 (な)みが見えます。 西を見たものです。 日向仏舎利塔から。



写真EM: 日向仏舎利塔から見た景色はなかなか素晴 (すば)らしい。



写真EN: 左下は日向仏舎利塔の手すりです。



写真EO: 下は日向仏舎利塔の手すりです。



写真EP: 日向仏舎利塔の正面の仏像です。 後ろに「昭和45年」と彫 (ほ)ってあります。



写真EQ: 日向仏舎利塔の正面の仏像です。



写真ER: 日向仏舎利塔の正面の仏像。



写真ES: 日向仏舎利塔の正面の仏像です。



写真ET: 日向仏舎利塔の階段の最上部から見下 (お)ろしたものです。 中央に手すりがあります。



写真EU: 階段のところです。



写真EV: 北を見たものです。



写真EW: ソメイヨシノ (桜)の花です。



写真EX: 階段から見た桜の花、水飲み場のコンクリート、フェニックスの木などです。



写真EY: 階段から見た日向仏舎利塔の前の広場です。 北を見たものです。



写真EZ: フェニックスの木の左に日向仏舎利塔の説明板が白く見えます。



写真FA: 仏舎利塔のまわりのこの円形の通路にも桜の花びらが落ちていました。



写真FB: 見上 (あ)げた桜の花です。



写真FC: 仏舎利塔の階段の下部です。 階段にも桜の花びらが落ちていました。



写真FD: 見上 (あ)げたものです。



写真FE: 桜の木の上部です。



写真FF: 手前の低木の茂 (しげ)みに「三角点 (標高 95.9 m )」と岩があります。 奥は駐車場です。 桜の花も見えます。



写真FG: 櫛 (くし)の山公園の桜の花です。



写真FH: 日向仏舎利塔がある「櫛の山公園」の桜の花です。



写真FI: 桜の花の上部です。



写真FJ: 美しい満開のソメイヨシノ (桜)の花です。 櫛の山公園。



写真FK: 櫛の山公園の桜の花です。



写真FL: 櫛の山公園にある日向仏舎利塔と桜の花です。



写真FM: 仏舎利塔の参拝者の親子連 (づ)れが階段を下 (くだ)っています。



写真FN: 仏舎利塔の上部です。



写真FO: 桜の花、フェニックスの木、仏舎利塔なども見えます。



写真FP: 日向仏舎利塔前の広場の桜の花です。



写真FQ: 近くから見た桜の花です。



写真FR: 近くから見た桜の花。



写真FS: 櫛の山公園の駐車場に「日向市ゆう遊マップ」の絵地図、写真などの看板 (かんばん)があります。 その左に公衆電話、飲料水の自動販売機があります。



写真FT: 「コカ・コーラ」を飲みました。 そばに桜の花びらが見えます。



写真FU: 櫛 (くし)の山公園の駐車場に戻 (もど)って来ました。



写真FV: 桜の木の幹 (みき)の割 (わ)りと下の方に桜の花が咲いていました。



写真FW: 櫛の山公園 (くしのやまこうえん)の駐車場です。 右の車が今、坂道を登ってきました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)