熊野神社、学園木花台の町並み (まちなみ) (くまの神社、夫婦杉、さざれ石、学園木花台郵便局、青島変電所、加江田神社、斟鉢山 (くんぱちやま、標高 500.4 m ))  (宮崎県 宮崎市 大字熊野、学園木花台)







<標高、位置>  熊野神社 (くまのじんじゃ)は
標高 約20 m
 北緯31度50分01秒  東経131度25分10秒

<標高、位置>  学園木花台郵便局は
標高 約20 m
 北緯31度49分54秒  東経131度25分11秒

<標高、位置>  青島変電所は
標高 約20 m
 北緯31度49分48秒  東経131度25分11秒

<標高、位置>  加江田神社 (かえだじんじゃ)は
標高 約20 m
 北緯31度49分35秒  東経131度25分11秒

<標高、位置>  木花神社 (きばなじんじゃ)は
標高 約40 m
 北緯31度49分40秒  東経131度25分57秒

<標高、位置>  宮崎県総合運動公園は
標高 数 m
 北緯31度49分38秒  東経131度26分46秒

<標高、位置>  木花駅 (きばなえき)は
標高 数 m
 北緯31度49分52秒  東経131度26分13秒

<標高、位置>  学園木花台小学校は
標高 約20 m
 北緯31度49分33秒  東経131度25分26秒

<標高、位置>  宮崎大学は
標高 約30 m
 北緯31度49分52秒  東経131度24分52秒

<標高、位置>  斟鉢山 (くんぱちやま)は
標高 500.4 m
 北緯: 31.474891 度  東経: 131.244720 度


 「熊野神社 (くまのじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 字堂地 6976・6981合併番地にあります。
 熊野神社は白鳳 (はくほう)2年 (672年、大和朝廷の時代です。)3月に創建されました。 旧 村社です。 本殿 (流造)は3.4坪で、拝殿 (流造)は12坪です。
「熊野神社」の説明板から、
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。
境内 (けいだい)に夫婦杉とさざれ石があります。
 「夫婦杉」の説明板から、
古来、当神社に伝わる伝承によると、恋仲の若い2人が、お互いに手をつなぎ、1回目は男性が外側を、2回目は女性が外側を、そして3回目は再び男性が外側を右回りに巡 (めぐ)ると、その恋が成就 (じょうじゅ)するという。
 「さざれ石」の説明板から、
 国歌「君が代」に詠 (うた)われているように、小さく細かな石の群 (むれ)が、大きく固 (かた)まって巌 (いわお)となる様を云 (い)う。 小さな存在が心を合わせ協力し合って、大きな成果を成 (な)すことを意味する。 皇室の弥栄(やえい)、国の安寧発展、家内安全等を祈念し、託 (たく)するものである。

 「学園木花台郵便局」は宮崎県 宮崎市 学園木花台西 1-2-1 にあります。
学園木花台郵便局は郵便窓口、貯金窓口、ATM、保険窓口があります。 10台の駐車場があります。

 「宮崎学園都市」は宮崎大学を主要な施設として、住宅都市 (学園木花台)、工業団地、福祉施設などを包含 (ほうがん)する都市です。 宮崎県 宮崎市 木花地区と宮崎市 清武町 木原にまたがっています。 宮崎大学の移転は1988年に終わりました。 宮崎学園都市は1993年2月に完成しました。

 「加江田神社 (かえだじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 学園木花台 桜 1丁目29番4 にあります。
戦前の旧神社制度で加江田神社は郷社でした。 鎌倉時代以降 日向国を領した伊東家 (江戸期飫肥藩主)も旧 清武郷内5社 (加江田神社 (学園木花台 桜)、熊野神社 (大字熊野)、中野神社 (清武町 木原)、恒久神社 (大字恒久)、加護神社 (大字郡司分 字国富(くどみ)))の筆頭格としてたびたび参詣 (さんけい)しました。 伊勢神楽が伝わっています。 本殿 (神明造)は5.8坪、拝殿 (流造)は20.4坪です。 江戸時代初期の外所大地震 (とんところだいじしん)までは、現在地の南東 約 1 km の加江田橋の近く (加江田川の南岸。)に加江田神社はありました。 津波の被害で現在地に移 (うつ)りました。
パンフレットから、
祭神は天照大御神 (あまてらすおおみかみ)・伊弉諾命 (いざなぎのみこと)・伊弉美命 (いざなみのみこと)です。 大祭日は春季大祭 3月3日、夏祭・神幸祭 旧6月第2卯 (う)の日、秋季大祭 11月23日。 本殿は神明造で寛政11年 (1799年)造営されました。 (飫肥藩主 伊東家寄進)。 沿革は旧 郷社、もと加江田 (海江田)村 中原 (なかばる、現大字加江田の小字。 天照大御神の御誕生の霊跡で、今もなお元伊勢と別称され、当社の旧 鎮座地である。 寛文 (1662年)の外所大地震 (とんところだいじしん)で村ごと海に没 (ぼつ)しました。 里人がかろうじてご神体のみを泥海より奉じ (掘り出し。)、寛文12年 (1672年)に現在地に加江田神社を遷した。 今に残る狛犬 (こまいぬ)は、ほぼ同時期の作です。)にあり加江田伊勢神宮と称 (しょう)した。 飫肥藩主 伊東 氏が社領若干 (じゃっかん)を寄 (よ)せ、祭祀料として、現米2石 (こく)2斗 (と)を奉献しました。 例祭日は陰暦2月亥の日で、この日社人が牛をひきいて耕作の形を擬 (ぎ)し、松葉を以 (も)って苗 (なえ)となし、挿秧 (そうおう、田植えをすること。)の状を行いました。 (神道大辞典 (昭和12年発刊・昭和61年復刻)より。)

 「木花神社 (きばなじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 字木花 にあります。

 「国立大学法人 宮崎大学」は宮崎県 宮崎市 学園木花台西 1丁目1番地 にあります。

 「JR 木花駅」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 にあります。

 「学園木花台小学校」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 10956 にあります。

 「宮崎県総合運動公園」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 1443-12 にあります。

 「斟鉢山 (くんぱちやま)」は加江田川をはさんで西にある双石山(ぼろいしやま)と共に、鵜戸山地(うどさんち)の北のはずれにあります。 南の方に花切山(はなきりやま)、主峰の岩壺山(いわつぼやま)と続く連峰の北端でもあります。 また、斟鉢山は双石山の東3.3 km、花切山(はなきりやま)のほぼ北北東2.5  km、椿山の東北東4.2 km に位置しています。 名前の「斟」の字は普段使わなく難解ですが、、音読みが「シン」で訓読みが「くム」、「おしはカル」です。 汲(く)む、おしはかる、はかりとる、おもいやる、の意味があります。 斟杯は酒を酌む、飲むの意味です。 この くむ がなまって くん になったものと思われます。 「鉢」の字は 盆栽などを植える 植木鉢 の鉢です。 はち が ぱち になったと思われます。 斟鉢は「水や酒を汲(く)む鉢(はち)」の意味と思われます。 斟鉢山は斟八山、古くは久牟鉢山とも書かれることもあります。 山頂の東方向近くの別の峰付近にある くんぱち神社(標高 約440 m) は斟八神社となっています。


写真A: コンビニ店のファミリーマートがあります。 このあたりは宮崎市 学園木花台桜です。 北西を見たものです。



写真B: このあたりは学園木花台桜です。 西を見たものです。



写真C: 南を見たものです。 遠くに斟鉢山 (くんぱちやま、標高 500.4 m )が見えます。 手前に農業用ビニールハウスがあります。



写真D: 南東を見たものです。



写真E: 東を見たものです。 奥にJR日南線、国道220号、学園木花台小学校、木花神社、木花駅、宮崎県総合運動公園などがあります。 このあたりは学園木花台桜です。 その奥に学園木花台南、右は加江田があります。



写真F: 学園木花台桜です。 「風来軒」と書いてあります。 北を見たものです。



写真G: コンビニ店のファミリーマートです。



写真H: 北を見たものです。 奥の森が「加江田神社 (かえだじんじゃ)」の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。 学園木花台桜です。 熊野神社 (くまのじんじゃ)はこの道を先 (北)に進みます。



写真I: 左が加江田神社です。 北を見たものです。



写真J: これは加江田神社 (かえだじんじゃ)です。 西を見たものです。
「加江田神社 (かえだじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 学園木花台 桜 1丁目29番4 にあります。



写真K: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 遠く (南)に斟鉢山 (くんぱちやま、標高 500.4 m )が見えます。



写真L: 北を見たものです。 左端は加江田神社です。 その奥 (北)に宮崎市消防団 木花分団第6部車庫があります。 この道を先に進みます。



写真M: 「早咲きの桜の花」と思われます。 道路のそばに咲いていました。



写真N: 道端 (みちばた)の農産物の無人直販店です。 大根、八朔 (はっさく)、菜の花などが見えます。



写真O: バス停「木花巡回バス 桜1 運行委員会」があります。 コミュニティ バスと思われます。 車道、歩道、民家、街路樹、電柱があります。 北を見たものです。



写真P: バス停「木花巡回バス 桜1 運行委員会」にある運行地図です。



写真Q: バス停「木花巡回バス 桜1 運行委員会」の時刻表です。



写真R: 「学園木花台桜1丁目30」と書いてあります。



写真S: 北を見たものです。 歯科があります。 マンションもあります。 学園木花台です。



写真T: 東を見たものです。 奥に森があります。 左端は歯科です。 民家があります。



写真U: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 加江田神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えます。 民家が多くあります。 南を見たものです。



写真V: 東を見たものです。 マンションがいくつもあります。



写真W: まだ道端 (みちばた)に畑も残っています。 野菜が育っています。



写真X: 木の「アセビの蕾 (つぼみ)」がありました。



写真Y: 「パンジーの花」が咲いていました。



写真Z: 「パンジーの花」です。



写真AA: 「スイセンの花」がありました。



写真AB: 枝を水平に整 (ととの)えた「紅梅の花」と思われます。 西を見たものです。



写真AC: 右にコンビニ店のセブンイレブンが見えます。 左に「鉄板焼肉 まんてん」と書いてある看板 (かんばん)があります。 北を見たものです。



写真AD: 南東を見たものです。 コンビニ店のセブンイレブンです。



写真AE: 北を見たものです。 マンション、道路標識も見えます。



写真AF: レストランのジョイフルが見えます。 コインランドリーのWASHハウスもあります。 右にパチンコ店があります。 道路標識が見えます。 北を見たものです。
「宮崎学園都市」は宮崎大学を主要な施設として、住宅都市 (学園木花台)、工業団地、福祉施設などを包含 (ほうがん)する都市です。 宮崎県 宮崎市 木花地区と宮崎市 清武町 木原にまたがっています。 宮崎大学の移転は1988年に終わりました。 宮崎学園都市は1993年2月に完成しました。



写真AG: 北西を見たものです。 マーケットのマックスバリュが見えます。 右にコインランドリーのWASHハウスがあります。 高い送電線鉄塔、マンションも見えます。



写真AH: パチンコ店に「TRESOR (トレソール) pachinko and slot」と書いてあります。 「1円パチンコ、5円スロット、20円スロット」と書いてある看板 (かんばん)もあります。 東を見たものです。



写真AI: 左奥に学園木花台郵便局があります。 左端はレストランのジョイフルです。 右にマンションがあります。 ここは十字路です。 「←大学病院」、「←宮崎大学」と書いてある標識があります。 北を見たものです。
「宮崎学園都市」は宮崎大学を主要な施設として、住宅都市 (学園木花台)、工業団地、福祉施設などを包含 (ほうがん)する都市です。 宮崎県 宮崎市 木花地区と宮崎市 清武町 木原にまたがっています。 宮崎大学の移転は1988年に終わりました。 宮崎学園都市は1993年2月に完成しました。



写真AJ: 壁 (かべ)に「学園木花台郵便局」と書いてあります。 丸い2階建ての建物です。 入り口に階段があります。 「ゆうパック」と書いてある幟 (のぼり)があります。 北を見たものです。
「学園木花台郵便局」は宮崎県 宮崎市 学園木花台西 1-2-1 にあります。
学園木花台郵便局は郵便窓口、貯金窓口、ATM、保険窓口があります。 10台の駐車場があります。



写真AK: 先 (北)に進むと熊野神社 (くまのじんじゃ)があります。 左は学園木花台郵便局で右はマンションです。



写真AL: 学園木花台郵便局です。



写真AM: 西を見たものです。 先に進むと宮崎大学病院、宮崎大学があります。 ここは十字路になっています。



写真AN: 西を見たものです。 左端はレストランのジョイフルです。 その奥にコインランドリーのWASHハウスがあります。 丸いベンチも見えます。



写真AO: 南を見たものです。右はレストランのジョイフルです。 来た道を振 (ふ)り返ったものです。



写真AP: パチンコ店のTRESORです。 南東を見たものです。



写真AQ: パチンコ店のTRESORの上部です。



写真AR: 東を見たものです。 街路樹があります。 左はマンションです。
「宮崎学園都市」は宮崎大学を主要な施設として、住宅都市 (学園木花台)、工業団地、福祉施設などを包含 (ほうがん)する都市です。 宮崎県 宮崎市 木花地区と宮崎市 清武町 木原にまたがっています。 宮崎大学の移転は1988年に終わりました。 宮崎学園都市は1993年2月に完成しました。



写真AS: 弁当店の「ほっかほっか亭」です。 「ポーク 鶏天 (とりてん)」と書いてあります。 北西を見たものです。



写真AT: 東を見たものです。 給水塔、マンション、駐車場があります。



写真AU: 橋に「熊野川」と書いてあります。 熊野川は清武川の支流です。 北を見たものです。



写真AV: 西を見たものです。 高い送電線鉄塔が2本見えます。 熊野川 (清武川の支流です。)の上流側、畑もあります。 左の赤い建物はガソリンスタンドと思われます。



写真AW: 東を見たものです。 熊野川の下流側が見えます。 民家やマンションもいくつか見えます。



写真AX: 北を見たものです。 熊野神社 (くまのじんじゃ)の鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えてきました。



写真AY: バス停「木花巡回バス 熊野神社 運行委員会」があります。 コミュニティ バスと思われます。 ここは三叉路 (さんさろ)になっています。 左の道を進んで熊野神社に行きます。 北を見たものです。



写真AZ: ここは三叉路 (さんさろ)です。 左に入って熊野神社に行きます。 熊野神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えます。 北を見たものです。



写真BA: 西を見たものです。 この道を進んで熊野神社に行きます。



写真BB: 「ご参拝 諸祈願は産土 (うぶすな)の 熊野神社 →入口すぐそこ」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真BC: 「ご参拝 諸祈願は産土 (うぶすな)の 熊野神社 →入口すぐそこ」と書いてある看板 (かんばん)です。 西を見たものです。



写真BD: 北を見たものです。 熊野神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えます。 民家があります。



写真BE: 熊野神社の赤い鳥居 (とりい)が見えます。 看板 (かんばん)もあります。 北を見たものです。



写真BF: 「ヤツデの実」がありました。



写真BG: 左は熊野神社の駐車場です。 北を見たものです。



写真BH: 熊野神社の駐車場、看板 (かんばん)、赤い鳥居 (とりい)、鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えます。
「熊野神社 (くまのじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 字堂地 6976・6981合併番地にあります。



写真BI: 右は駐車場です。



写真BJ: 野草の「ホトケノザの花」が咲いていました。



写真BK: 熊野神社 (くまのじんじゃ)の赤い鳥居 (とりい、一の鳥居)と奥に二の鳥居が見えます。 入り口に石段があります。 看板 (かんばん)、幟 (のぼり)、高い木もあります。
「熊野神社 (くまのじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 字堂地 6976・6981合併番地にあります。
熊野神社は白鳳 (はくほう)2年 (672年、大和朝廷の時代です。)3月に創建されました。 旧 村社です。 本殿 (流造)は3.4坪で、拝殿 (流造)は12坪です。



写真BL: 熊野神社に高い杉の木が何本もあります。 左手前は駐車場です。



写真BM: 西を見たものです。 左は駐車場です。 奥に民家が見えます。



写真BN: 熊野神社の駐車場です。



写真BO: 「平成2年4月 熊野神社駐車場 社務所」と書いてあります。



写真BP: 一の鳥居 (とりい)に「熊野神社」と書いてあります。



写真BQ: 鳥居 (とりい)の上部です。



写真BR: 高い杉の木があります。



写真BS: 東を見たものです。 畑もあります。



写真BT: まわりに柵 (さく)があります。



写真BU: 鳥居 (とりい)の前に「熊野神社」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 右に掲示板 (けいじばん)があります。



写真BV: 左に「熊野神社」と書いてある幟 (のぼり)があります。



写真BW: 西を見たものです。 民家があります。



写真BX: 西を見たものです。



写真BY: 掲示板 (けいじばん)に「建国記念祭 2月11日 (土) 午前9時 熊野神社」と書いてあります。



写真BZ: 赤い鳥居 (とりい)に「平成14年12月吉日、奉納」と書いてあります。 鳥居の額 (がく)に「熊野神社」と書いてあります。 右に「熊野神社」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。



写真CA: 一の鳥居 (とりい)の下部です。



写真CB: 入り口の石段です。



写真CC: 「祝 七五三詣 (まい)り」と書いてある幟 (のぼり)があります。



写真CD: 「奉納 熊野神社」と書いてある幟 (のぼり)があります。 「祝 七五三詣 (まい)り」と書いてある幟 (のぼり)も見えます。 西を見たものです。



写真CE: 幟 (のぼり)の下部です。



写真CF: 「緑の保全地区」、「地区名 熊野神社、面積 2529 平方メートル、樹種 スギ、イヌマキ等、指定番号 I−3、指定年月日 平成16年4月1日、宮崎市」と書いてあります。



写真CG: 「記念碑 (ひ)」と彫 (ほ)ってあります。 改築記念碑です。



写真CH: 「熊野神社」の説明板があります。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CI: 「熊野神社」の説明板です。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CJ: 「熊野神社」の説明板。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CK: 「熊野神社」の説明板です。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CL: 「熊野神社」の説明板。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CM: 「熊野神社」の説明板です。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CN: 「熊野神社」の説明板。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CO: 「熊野神社」の説明板です。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CP: 「熊野神社」の説明板。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CQ: 「熊野神社」の説明板です。
宮崎市 大字熊野6976・6981合併番地 (字堂地)
御祭神
イザナギノミコト 天神の命 (めい)を受けて、イザナミミコト (女神)と共に初めて我国土を経営し諸神を生んで山海草木を分掌 (ぶんしょう、分担して受け持つこと。)した男神、阿波岐原 (あわきがはら)で禊 (みそぎ)祓 (はら)いをし天照大神スサノオノミコトを生んだ神、男女の結婚を始めた神。
熊野久須毘の命 (クマノクスビノミコト) 天照大神の御子。
猿田彦の命 (ミコト) 天照大神の御孫ニニギノミコトがこの国に降臨の際お出迎えをし、命 (ミコト)をご案内した神、中世になってこの神を庚申 (こうしん)の日に祀 (まつ)り今日に及 (およ)んでいる。 農業神。
御由緒 (ゆいしょ)
社伝によれば、弘文天皇の白鳳 (はくほう)2年3月 (約1300年以前)紀伊の国 (和歌山県)熊野神社のご神霊を勧請 (かんじょう、神仏の分霊を請じ迎えてまつること。)して、熊野御盥 (みたらい、水や湯を入れて顔や手足を洗う器 (うつわ)の総称。)が迫 (さこ)に奉祀し、山王大権現 (ごんげん)と称 (しょう)した。 それから熊野の地名が起こったという。 藩政時代は旧 清武郷5社宮の1つとして、藩主は世々 (よよ)社禄 (しゃろく)を奉じ尊崇すること厚く、大祭日には必ず藩主が参拝したと伝えられている。 明治維新に熊野神社と改称し、明治25年6月西の原から現在地にご遷座 (せんざ、神仏の座を他所へうつすこと。)。 同39年に神饌幣帛料供進神社 (しんせんへいはくきょうしんじんじゃ)は指定された。
例祭日
春祭り (春彼岸の中日。 稲作並びに五穀豊穣の祈願祭)。 夏祭り (7月下旬、加江田神社と同日。 ご神幸祭)。 秋祭り (勤労感謝の日。 五穀豊穣感謝祭)。 星祭り (12月かのえさるの日の前夜、豊作にぎせいになった生物の慰霊祭)。
と書かれています。



写真CR: 「奉寄進」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。 石灯籠 (いしどうろう)も見えます。 左に第2の石段があります。 北を見たものです。



写真CS: 「安産祈願」の幟 (のぼり)があります。



写真CT: 「熊野神社改築寄付社御芳名」の石碑 (せきひ)があります。



写真CU: 「熊野神社改築委員会 建立 (こんりゅう、立てること。)昭和56年5月5日」と台座に彫 (ほ)ってあります。



写真CV: 末社があります。 仏像と思われるものもあります。 西を見たものです。



写真CW: 末社です。



写真CX: 熊野神社の境内 (けいだい)です。



写真CY: 第2の石段です。 二の鳥居 (とりい)の下部も見えます。



写真CZ: 二の鳥居 (とりい)に「大正3年10月17日」、「奉寄進」と彫 (ほ)ってあります。 拝殿が見えます。 北を見たものです。
熊野神社は白鳳 (はくほう)2年 (672年、大和朝廷の時代です。)3月に創建されました。 旧 村社です。 本殿 (流造)は3.4坪で、拝殿 (流造)は12坪です。



写真DA: 手前は二の鳥居 (とりい)です。 しめ縄もあります。



写真DB: 二の鳥居 (とりい)の下部です。



写真DC: 「初宮詣 (まいり)」と書いてある幟 (のぼり)があります。 石灯籠 (いしどうろう)も見えます。



写真DD: 左奥に御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付けてあります。



写真DE: 南を見たものです。 一の鳥居 (とりい)が見えます。 手前は二の鳥居です。



写真DF: 御神籤 (おみくじ)と木製の絵馬 (えま)を付ける場所です。



写真DG: 「夫婦杉」
古来、当神社に伝わる伝承によると、恋仲の若い2人が、お互いに手をつなぎ、1回目は男性が外側を、2回目は女性が外側を、そして3回目は再び男性が外側を右回りに巡 (めぐ)ると、その恋が成就 (じょうじゅ)するという。
と書いてあります。



写真DH: 「さざれ石」
 国歌「君が代」に詠 (うた)われているように、小さく細かな石の群 (むれ)が、大きく固 (かた)まって巌 (いわお)となる様を云 (い)う。 小さな存在が心を合わせ協力し合って、大きな成果を成 (な)すことを意味する。 皇室の弥栄(やえい)、国の安寧発展、家内安全等を祈念し、託 (たく)するものである。
と書いてあります。



写真DI: 熊野神社の、中央奥がさざれ石で左右2本の杉が夫婦杉です。 東を見たものです。
手前に仏像、大黒天の像などがあります。



写真DJ: 夫婦杉とさざれ石です。



写真DK: 夫婦杉の中部です。



写真DL: 夫婦杉の中部。



写真DM: 熊野神社の夫婦杉の上部です。



写真DN: 熊野神社にある「さざれ石」です。



写真DO: 手前に仏像、大黒天の像などがあります。



写真DP:  夫婦杉です。



写真DQ: 少し離 (はな)れて見た夫婦杉です。



写真DR: 夫婦杉の中部です。 高い杉の木です。



写真DS: 見上 (あ)げた夫婦杉です。 熊野神社です。



写真DT: 夫婦杉の上部です。



写真DU: 南を見たものです。 白い柵 (さく)があります。



写真DV: 南東を見たものです。 畑も見えます。



写真DW: 手前に大きな植物があります。 東を見たものです。



写真DX: 北を見たものです。 大きな植物が生 (は)えています。



写真DY: 左手前は手水舎 (ちょうずや)です。 奥に拝殿が見えます。 北を見たものです。



写真DZ: 北西を見たものです。 左奥に社務所があります。 熊野神社です。



写真EA: 西を見たものです。



写真EB: 南西を見たものです。 赤い一の鳥居 (とりい)が見えます。



写真EC: 南を見たものです。



写真ED: 説明板があります。



写真EE: 大きな植物があります。



写真EF: 手水舎 (ちょうずや)です。 東を見たものです。



写真EG: 手水鉢 (ちょうずばち)です。 竹製の水が出る所、柄杓 (ひしゃく)があります。



写真EH: しめ縄 (なわ)があります。



写真EI: 「神社参拝の作法」を書いてあります。 電球もあります。



写真EJ: 北を見たものです。 拝殿の側面も見えます。



写真EK: 熊野神社の拝殿です。 前に狛犬 (こまいぬ)、国旗掲揚 (けいよう)のポールもあります。



写真EL: 拝殿の下部です。



写真EM: 左は社務所です。



写真EN: 社務所です。 左は二の鳥居 (とりい)と石灯籠 (いしどうろう)です。 西を見たものです。



写真EO: 熊野神社の社務所です。



写真EP: 左は二の鳥居 (とりい)です。



写真EQ: 左上は手水舎 (ちょうずや)です。



写真ER: 南を見たものです。



写真ES: 狛犬 (こまいぬ)です。 台座に「奉納」と彫 (ほ)ってあります。



写真ET: 北東を見たものです。



写真EU: 国旗を掲 (かか)げてあります。



写真EV: 拝殿の屋根です。



写真EW: 横木の端 (はし)に象の彫り物 (ほりもの)があります。 横木や屋根に彫刻 (ちょうこく)があります。



写真EX: 拝殿です。 しめ縄もあります。



写真EY: もう1つの狛犬 (こまいぬ)です。



写真EZ: 社務所にしめ縄があります。



写真FA: 社務所です。



写真FB: 拝殿の左に掲示板 (けいじばん)があります。



写真FC: 掲示板 (けいじばん)です。



写真FD: 鈴と鈴紐 (ひも)が見えます。



写真FE: 鈴紐 (ひも)の下部です。



写真FF: 拝殿の上部です。



写真FG: 拝殿の中です。



写真FH: 拝殿の中。 右にお神輿 (みこし)が見えます。



写真FI: 拝殿の中です。 太鼓 (たいこ)があります。



写真FJ: 鈴紐 (ひも)の下部です。



写真FK: 南を見たものです。 右は社務所、左端は手水舎 (ちょうずや)です。



写真FL: 左端は拝殿です。 南東を見たものです。



写真FM: 境内 (けいだい)です。



写真FN: 木の上部です。



写真FO: 東を見たものです。



写真FP: 拝殿の側面です。



写真FQ: 拝殿の側面。 左端は本殿です。



写真FR: 拝殿と本殿の屋根が見えます。



写真FS: 拝殿の上部です。



写真FT: 拝殿の側面です。



写真FU: 左は熊野神社の本殿です。



写真FV: 本殿の下部です。 柵 (さく)があります。



写真FW: 熊野神社の本殿の下部です。



写真FX: 北を見たものです。 右端は本殿です。



写真FY: 東を見たものです。 3つ目の鳥居 (とりい)が見えます。 右端は本殿です。



写真FZ: 手前は本殿の上部です。 右は拝殿です。
「熊野神社 (くまのじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 字堂地 6976・6981合併番地にあります。



写真GA: 手前の本殿の側面と拝殿の側面です。 南を見たものです。



写真GB: 本殿です。 南東を見たものです。



写真GC: 本殿の下部です。



写真GD: 本殿の屋根は、外切りの千木 (ちぎ)と円筒形の5本の鰹木 (かつおぎ)があります。 熊野神社です。
熊野神社は白鳳 (はくほう)2年 (672年、大和朝廷の時代です。)3月に創建されました。 旧 村社です。 本殿 (流造)は3.4坪で、拝殿 (流造)は12坪です。



写真GE: 本殿の屋根は、外切りの千木 (ちぎ)と円筒形の5本の鰹木 (かつおぎ)があります。 熊野神社。



写真GF: 本殿と左の拝殿です。 南西を見たものです。



写真GG: 南を見たものです。



写真GH: 東を見たものです。 3つ目の鳥居 (とりい)があります。 ここからも神社に出入りできます。



写真GI:  3つ目の鳥居 (とりい)の下部です。



写真GJ: 南を見たものです。 左は畑です。 右は熊野神社です。



写真GK: 南東を見たものです。 畑、マンション、民家などがあります。 熊野神社のそばです。



写真GL: 東を見たものです。 高いマンションも見えます。



写真GM: 北東を見たものです。 民家、アパートも見えます。 熊野神社のそばです。



写真GN: 北を見たものです。 左端は3つ目の鳥居 (とりい)です。



写真GO: 3つ目の鳥居の下部です。



写真GP: 西を見たものです。 本殿が見えます。 左端は3つ目の鳥居 (とりい)です。



写真GQ: 3つ目の鳥居 (とりい)に「熊野神社」と書いてあります。 しめ縄もあります。



写真GR: 神社の境界の壁 (かべ)に植物が成長しています。 西を見たものです。



写真GS: 植物がびっしり付いています。



写真GT: 南を見たものです。 右は熊野神社です。



写真GU: 北を見たものです。 左は熊野神社。



写真GV: 北西を見たもの。 一の鳥居 (とりい)が見えます。
「熊野神社 (くまのじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 大字熊野 字堂地 6976・6981合併番地にあります。



写真GW: 西を見たものです。



写真GX: 高い杉の木が多くあります。



写真GY: 来た道を戻 (もど)ります。 南を見たものです。 高いマンションがいくつも見えます。



写真GZ: 学園木花台郵便局です。



写真HA: 「〒 JP NETWORK 郵便局 学園木花台郵便局 P→」と書いてある看板 (かんばん)があります。 「保険の相談なら 郵便局へ」と書いてある幟 (のぼり)があります。
「学園木花台郵便局」は宮崎県 宮崎市 学園木花台西 1-2-1 にあります。
学園木花台郵便局は郵便窓口、貯金窓口、ATM、保険窓口があります。 10台の駐車場があります。



写真HB: 赤い郵便ポストも見えます。



写真HC: この近くの「地図板」があります。



写真HD: 現在地付近の「地図板」です。



写真HE: 現在地の近くの地図です。



写真HF: 南を見たものです。 遠くに斟鉢山 (くんぱちやま、標高 500.4 m )が見えます。 左にコンビニ店のセブンイレブンがあります。



写真HG: 斟鉢山 (くんぱちやま、標高 500.4 m )が見えます。 手前は青島変電所です。 南を見たものです。



写真HH: 南西を見たものです。 青島変電所が見えます。 送電線鉄塔もあります。



写真HI: 南を見たものです。 左はコンビニ店のセブンイレブンで右は青島変電所です。



写真HJ: 南東を見たものです。 マンションがあります。 手前はコンビニ店のセブンイレブンです。



写真HK: 南西を見たものです。 水平に伸 (の)びた枝の紅梅の花が咲いていました。



写真HL: 「エンドウの花」です。



写真HM: 南を見たものです。 加江田神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えてきました。



写真HN: 南西を見たものです。 加江田神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。



写真HO: 「青島 運動公園 椿山森林公園 加江田渓谷 (けいこく)、国道220号、県道339号線」と書いてある道路標識があります。



写真HP: コンビニ店のファミリーマートです。 南西を見たものです。



写真HQ: 南を見たものです。



写真HR: 学園木花台です。



写真HS: 交差点に「学園木花台南」と書いてあります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)