琴弾きの松 (ことひきのまつ)、宝酒造株式会社 高鍋工場 (高鍋町指定史跡 琴弾きの松碑 (ひ)、平安時代に日向国の国司であった源重之が和歌を詠 (よ)んだ所、歌碑 (かひ)は高鍋藩の綾部長英、安田義門 (絵師・歌人)、松岡博章らが発起 (ほっき)し、第7代藩主の秋月種茂 (清観公)に願い出て建立しました。 勤王論の高山彦九郎の和歌、社日神社、高鍋町の水田地帯、尾鈴連山、国道10号、ベスト電器、エディオン、ローソン、すき家、ソフトバンク、カローラ店)  (宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦)







<標高、位置>  「琴弾きの松 (ことひきのまつ)」の歌碑 (かひ)は
標高 数 m
 北緯32度07分16秒  東経131度31分41秒

<標高、位置>  国道10号から「琴弾きの松」に行く道の交差点は
標高 数 m
 北緯32度07分05秒  東経131度31分36秒

<標高、位置>  宝酒造株式会社 高鍋工場は
標高 数 m
 北緯32度07分06秒  東経131度31分44秒


 「琴弾きの松 (ことひきのまつ)の歌碑 (かひ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
この地点は、海岸から約700 m 内陸に入った所です。 現在は3本の若い松の木が敷地内にあります。 明治15年頃 (ごろ)に枯 (か)れた初代の松は直径が約1 m ありました。 和歌の作者 源重之は1000年に死亡しました。 36歌仙に入っています。 1792年 (寛政4年)に各地を旅した勤王論の高山彦九郎がここに来て、緑りにも 色そふ春や 琴ひきの 松風さへし 音そゆたけき という和歌を詠 (よ)んでいます。
「琴弾きの松碑 (ことひきのまつひ)」の説明板から、
高鍋町指定史跡 指定年月日 昭和52年3月26日
 平安時代に日向国の国司であった源重之が、この地にあった大きな老松をみて 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 と (和歌を)詠 (よ)み、その景勝をたたえたと伝えられています。
 歌碑 (かひ)は、天明元年 (1781年)5月に、高鍋藩の綾部長英、安田義門 (絵師・歌人)、松岡博章らが発起 (ほっき)し、第7代藩主の秋月種茂 (清観公)に願い出て建てたものです。
 歌碑の文字は、阪庭信義が書き、裏面には、佐倉藩 (今の千葉県)の儒学者 渋井孝徳の碑文 (ひぶん)が刻 (きざ)まれています。
 老松は、明治の中ごろ枯 (か)れ、今日では、数代目の松が植えつがれています。
 この琴弾きの松及 (およ)び琴弾きの松碑は、地元の蚊口地区のみなさんにより設立された保存会が保護管理にあたっております。
 琴弾き松碑のところに勤王論の高山彦九郎が訪(おとず)れています。
 「高山彦九朗(高山彦九郎)」は琴弾きの松碑(宮崎県児湯郡高鍋町大字蚊口浦)、児原稲荷神社(宮崎県児湯郡西米良村)、鹿野田神社(宮崎県西都市鹿野田)や観音山(宮崎県児湯郡新富町)、高千穂峡(宮崎県西臼杵郡高千穂町)も同じ頃、訪(おとず)れています。 高山彦九朗は群馬県太田市に生まれ、18歳の時に遺書を残して家を出、北海道、四国以外の全国を遊説(ゆうぜい)して勤王論を説(と)きました。 公家とも交流があったので、幕府の松平定信らから警戒されました。 1791年(寛政3年)から九州各地を旅し、薩摩藩に頼ろうとしましたが、退(しりぞ)けられしばらく豊後国日田(大分県)で捕縛されました。 その後も幕府の監視を受け、1793年(寛政5年)に筑後国久留米(福岡県)の友達であった森嘉膳の家で割腹自殺しました(46歳)。 第二次世界大戦前は修身の教科書に高山彦九朗のことが書かれていました。

 「社日神社」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦にある琴弾きの松碑の敷地内にあります。
社日とは土の神を祭って、春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫のお礼参りをすることです。

 「宝酒造株式会社 高鍋工場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 5323-13 にあります。
宝酒造株式会社の本社は京都府 京都市 伏見区 竹中町 609番地にあります。 酒類、調味料、酒精、その他の食品添加物の製造と販売などを行っています。


写真A: 高鍋町を通っている国道10号です。 北西を見たものです。 電気量販店のベスト電器、コンビニ店のローソン、牛丼 (ぎゅうどん)のすき家などがあります。



写真B: 手前は国道10号です。 西を見たものです。 電気量販店のベスト電器とゲーム・CD・VIDEO店のゲオです。



写真C: 南西を見たものです。 左はラーメン店です。



写真D: 南を見たものです。 「SoftBank」と書いてあります。 携帯電話の店があります。 その奥に自動車のカローラ店があります。 車道は国道10号です。



写真E: 南東を見たものです。 電気量販店の「EDION エディオン」の看板 (かんばん)と左端にエディオンの電気店が見えます。



写真F: 電気量販店の「EDION エディオン」です。 その手前の車道を左 (北東)に進むと「琴弾きの松 (ことひきのまつ)」があります。 手前はコンビニ店のローソンの駐車場です。 東を見たものです。



写真G: 北東を見たものです。 左はコンビニ店のローソン、右は電気店のエディオンです。



写真H: 北を見たものです。 コンビニ店のローソンがあります。



写真I: 北西を見たものです。 奥に牛丼 (ぎゅうどん)の「すき家」が見えます。



写真J: 電気量販店の「EDION エディオン」です。 その手前の車道を左 (北東)に進むと「琴弾きの松 (ことひきのまつ)」があります。



写真K: 電気量販店のエディオンとコンビニ店のローソンの間の道を北東に進むとまもなく「琴弾きの松 (ことひきのまつ)」があります。 北東を見たものです。



写真L: この道を進みます。 右は電気店のエディオンです。 左に農業用ビニールハウスがあります。 北東を見たものです。



写真M: 中央の、電柱を支 (ささ)える支柱の奥の木がある所に「琴弾きの松 (ことひきのまつ)」があります。 北東を見たものです。



写真N: 東を見たものです。 宝酒造株式会社 高鍋工場の大きな円筒形のタンク、工場の建物が並 (なら)んでいます。 手前は水田になっています。 小さな赤い鳥居 (とりい)は立ち小便をしないようにするおまじないでしょう。
「宝酒造株式会社 高鍋工場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 5323-13 にあります。
宝酒造株式会社の本社は京都府 京都市 伏見区 竹中町 609番地にあります。 酒類、調味料、酒精、その他の食品添加物の製造と販売などを行っています。



写真O: 道の左に琴弾きの松 (ことひきのまつ)にあるイチョウの木などが見えます。 北東を見たものです。



写真P: 道の左の立木がある所に「琴弾きの松の石碑 (せきひ)」があります。 手前は水田が広がっています。



写真Q: 左端にNTTの高い電波塔 (アンテナ)が見えます。 その右奥に尾鈴連山が見えます。 水田地帯です。 北を見たものです。



写真R: 北西を見たものです。 農業用ビニールハウス、国道10号沿 (ぞ)いのパチンコ店、NTTの高い電波塔も見えます。 手前は水田地帯です。



写真S: 西を見たものです。 電気量販店のベスト電器、農業用ビニールハウス、水田、近くの山も見えます。



写真T: 南西を見たものです。 左は電気量販店のエディオン、右奥は電気量販店のベスト電器です。 手前は水田です。



写真U: 左は宝酒造株式会社 高鍋工場です。 右は電気量販店のエディオンです。 若い稲が手前に育っています。 南を見たものです。



写真V: 南東を見たものです。 宝酒造の銀色の大きな円筒形のタンクが多く見えます。 宝酒造の工場の建物も見えます。



写真W: 東を見たものです。 宝酒造の工場の建物が多くあります。 手前は水田です。



写真X: 北東を見たものです。 奥に琴弾きの松があります。



写真Y: 左に赤と白のNTT電波塔 (アンテナ)、その右に尾鈴連山が見えます。 高いワシントン椰子 (やし)もあります。 民家も多く見えます。 手前は水田地帯です。



写真Z: 北東を見たものです。 道の両側は水田です。



写真AA: 手前に十字路があります。 中央左の木がある所に「琴弾きの松の石碑 (せきひ)」があります。 北東を見たものです。



写真AB: 中央の柵 (さく)がある所が「琴弾きの松 (ことひきのまつ)」がある所です。



写真AC: 「琴弾きの松」の敷地のまわりの柵 (さく)が見えます。 北を見たものです。
「琴弾きの松 (ことひきのまつ)の歌碑 (かひ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
この地点は、海岸から約700 m 内陸に入った所です。 現在は3本の若い松の木が敷地内にあります。



写真AD: 「水稲生育診断 病害虫発生予察 調査圃 (ほ) 管理者: 営振協児湯支部作物部会 作成者: NOSAIみやざき北部センター、田植日 生育・病害虫発生調査」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真AE: 左の木がある所が「琴弾きの松」の石碑 (せきひ)がある所です。



写真AF: 北を見たものです。



写真AG: 北西を見たもの。 水田地帯です。



写真AH: 西を見たものです。 左に電気量販店のベスト電器が見えます。



写真AI: 左に宝酒造の工場が見えます。
「宝酒造株式会社 高鍋工場」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 5323-13 にあります。
宝酒造株式会社の本社は京都府 京都市 伏見区 竹中町 609番地にあります。 酒類、調味料、酒精、その他の食品添加物の製造と販売などを行っています。



写真AJ: 左に民家が多く見えます。 右は宝酒造です。 南東を見たものです。



写真AK: 東を見たものです。 水田の奥に高鍋町の民家が多くあります。



写真AL: 水田地帯です。 北東を見たものです。



写真AM: 左が琴弾きの松のある所です。



写真AN: 琴弾きの松碑 (ひ)の看板 (かんばん)、その左に「琴弾の松碑 (ひ)」が見えています。 北を見たものです。



写真AO: 手前の大きな木は銀杏 (いちょう)です。 右の石碑 (せきひ)が「琴弾きの松碑」です。 左の大きな石碑は農業関係の石碑 (せきひ)です。 奥に水田地帯、農業用ビニールハウス、マンション、民家などがあります。 北を見たものです。



写真AP: 北西を見たもの。 右に石碑 (せきひ)、イチョウの木が見えます。 左は水田地帯です。 境界に柵 (さく)があります。



写真AQ: 「琴弾きの松碑 (ことひきのまつひ)」の説明板があります。
高鍋町指定史跡 指定年月日 昭和52年3月26日
 平安時代に日向国の国司であった源重之が、この地にあった大きな老松をみて 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 と詠 (よ)み、その景勝をたたえたと伝えられています。
 歌碑 (かひ)は、天明元年 (1781年)5月に、高鍋藩の綾部長英、安田義門 (絵師・歌人)、松岡博章らが発起 (ほっき)し、第7代藩主の秋月種茂 (清観公)に願い出て建てたものです。
 歌碑の文字は、阪庭信義が書き、裏面には、佐倉藩 (今の千葉県)の儒学者 渋井孝徳の碑文 (ひぶん)が刻 (きざ)まれています。
 老松は、明治の中ごろ枯 (か)れ、今日では、数代目の松が植えつがれています。
 この琴弾きの松及 (およ)び琴弾きの松碑は、地元の蚊口地区のみなさんにより設立された保存会が保護管理にあたっております。
平成16年3月 高鍋町教育委員会
と書かれています。



写真AR: 「琴弾きの松碑 (ことひきのまつひ)」の説明板です。
高鍋町指定史跡 指定年月日 昭和52年3月26日
 平安時代に日向国の国司であった源重之が、この地にあった大きな老松をみて 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 と詠 (よ)み、その景勝をたたえたと伝えられています。
 歌碑 (かひ)は、天明元年 (1781年)5月に、高鍋藩の綾部長英、安田義門 (絵師・歌人)、松岡博章らが発起 (ほっき)し、第7代藩主の秋月種茂 (清観公)に願い出て建てたものです。
 歌碑の文字は、阪庭信義が書き、裏面には、佐倉藩 (今の千葉県)の儒学者 渋井孝徳の碑文 (ひぶん)が刻 (きざ)まれています。
 老松は、明治の中ごろ枯 (か)れ、今日では、数代目の松が植えつがれています。
 この琴弾きの松及 (およ)び琴弾きの松碑は、地元の蚊口地区のみなさんにより設立された保存会が保護管理にあたっております。
平成16年3月 高鍋町教育委員会
と書かれています。



写真AS: 「琴弾きの松碑 (ことひきのまつひ)」の説明板。
高鍋町指定史跡 指定年月日 昭和52年3月26日
 平安時代に日向国の国司であった源重之が、この地にあった大きな老松をみて 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 と詠 (よ)み、その景勝をたたえたと伝えられています。
 歌碑 (かひ)は、天明元年 (1781年)5月に、高鍋藩の綾部長英、安田義門 (絵師・歌人)、松岡博章らが発起 (ほっき)し、第7代藩主の秋月種茂 (清観公)に願い出て建てたものです。
 歌碑の文字は、阪庭信義が書き、裏面には、佐倉藩 (今の千葉県)の儒学者 渋井孝徳の碑文 (ひぶん)が刻 (きざ)まれています。
 老松は、明治の中ごろ枯 (か)れ、今日では、数代目の松が植えつがれています。
 この琴弾きの松及 (およ)び琴弾きの松碑は、地元の蚊口地区のみなさんにより設立された保存会が保護管理にあたっております。
平成16年3月 高鍋町教育委員会
と書かれています。



写真AT: 中央左に「琴弾きの松碑 (ひ)」と数代目の小さな松の木が見えます。



写真AU: 道路から見た琴弾きの松碑の敷地です。 敷地内には「社日神社」があります。 社日神社と書いてある石造物が右奥にあります。



写真AV: 敷地内に大きな木が2本あります。 左手前の大きな木はイチョウです。 その右奥の大きな木はケヤキかもしれません。 左の大き目の石碑 (せきひ)は農業関係の石碑です。 北西を見たもの。



写真AW: 西を見たものです。 農業関係の石碑 (せきひ)があります。



写真AX: 来た道を振り返ったものです。



写真AY: 道の向かい側 (南東)にも木があります。



写真AZ: 「アジサイの花」が咲いていました。



写真BA: 北東を見たものです。 奥にマンションがあります。



写真BB: 左は説明板です。



写真BC: 古い木の切り株 (かぶ)が敷地内にあります。



写真BD: 宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦にある「琴弾きの松碑」と数代目の小さな松の木です。 「琴弾きの松碑 (ひ)」の裏です。 裏面には、佐倉藩 (今の千葉県)の儒学者 渋井孝徳の碑文 (ひぶん)が刻 (きざ)まれています。
 現在は3本の若い松の木が敷地内にあります。



写真BE: そば (南東)に別の石碑 (せきひ)があります。 若木もあります。



写真BF: 「琴弾きの松碑」と数代目の松です。 まわりに石を並べて囲 (かこ)ってあります。
「琴弾きの松 (ことひきのまつ)の歌碑 (かひ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
この地点は、海岸から約700 m 内陸に入った所です。



写真BG: 「琴弾きの松碑」の表 (おもて)です。
歌碑 (かひ)は、天明元年 (1781年)5月に、高鍋藩の綾部長英、安田義門 (絵師・歌人)、松岡博章らが発起 (ほっき)し、第7代藩主の秋月種茂 (清観公)に願い出て建てたものです。
歌碑の文字は、阪庭信義が書きました。
 和歌の作者 源重之は1000年に死亡しました。 36歌仙に入っています。 1792年 (寛政4年)に各地を旅した勤王論の高山彦九郎がここに来て、緑りにも 色そふ春や 琴ひきの 松風さへし 音そゆたけき という和歌を詠 (よ)んでいます。



写真BH: 「琴弾きの松碑」の表。
歌碑 (かひ)は、天明元年 (1781年)5月に、高鍋藩の綾部長英、安田義門 (絵師・歌人)、松岡博章らが発起 (ほっき)し、第7代藩主の秋月種茂 (清観公)に願い出て建てたものです。
歌碑の文字は、阪庭信義が書きました。
 琴弾き松碑のところに勤王論の高山彦九郎が訪(おとず)れています。 1792年 (寛政4年)に各地を旅した勤王論の高山彦九郎がここに来て、緑りにも 色そふ春や 琴ひきの 松風さへし 音そゆたけき という和歌を詠 (よ)んでいます。
 「高山彦九朗(高山彦九郎)」は琴弾きの松碑(宮崎県児湯郡高鍋町大字蚊口浦)、児原稲荷神社(宮崎県児湯郡西米良村)、鹿野田神社(宮崎県西都市鹿野田)や観音山(宮崎県児湯郡新富町)、高千穂峡(宮崎県西臼杵郡高千穂町)も同じ頃、訪(おとず)れています。 高山彦九朗は群馬県太田市に生まれ、18歳の時に遺書を残して家を出、北海道、四国以外の全国を遊説(ゆうぜい)して勤王論を説(と)きました。 公家とも交流があったので、幕府の松平定信らから警戒されました。 1791年(寛政3年)から九州各地を旅し、薩摩藩に頼ろうとしましたが、退(しりぞ)けられしばらく豊後国日田(大分県)で捕縛されました。 その後も幕府の監視を受け、1793年(寛政5年)に筑後国久留米(福岡県)の友達であった森嘉膳の家で割腹自殺しました(46歳)。 第二次世界大戦前は修身の教科書に高山彦九朗のことが書かれていました。



写真BI: 「琴弾きの松碑 (ひ)」の裏。 裏面には、佐倉藩 (今の千葉県)の儒学者 渋井孝徳の碑文 (ひぶん)が刻 (きざ)まれています。



写真BJ: 「琴弾きの松 (ことひきのまつ)の歌碑 (かひ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
この地点は、海岸から約700 m 内陸に入った所です。



写真BK: 若松の上部です。



写真BL: 若松の下部です。



写真BM: 「高鍋町指定史跡 琴弾きの松碑 指定年月日 昭和52年3月26日 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱があります。 後ろは琴弾きの松碑です。



写真BN: 「高鍋町指定史跡 琴弾きの松碑 指定年月日 昭和52年3月26日 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱です。



写真BO: 「高鍋町指定史跡 琴弾きの松碑 指定年月日 昭和52年3月26日 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱。



写真BP: 「高鍋町指定史跡 琴弾きの松碑 指定年月日 昭和52年3月26日 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱があります。



写真BQ: 「高鍋町指定史跡 琴弾きの松碑 指定年月日 昭和52年3月26日 志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松 高鍋町教育委員会」と書いてある標柱です。



写真BR: 敷地内に「記念碑」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 農業関係の石碑です。 南西を見たものです。



写真BS: 農業関係の石碑 (せきひ)です。



写真BT: 同じ敷地にある農業関係の石碑です。



写真BU: 石碑の下部です。



写真BV: 農業関係の石碑です。



写真BW: 「碑文 昭和59年 蚊口水利組合」と書いてあります。



写真BX: 「記念碑 衆議院議員」と彫 (ほ)ってあります。



写真BY: ここにも古い切り株 (かぶ)があります。



写真BZ: 別の切り株 (かぶ)です。



写真CA: 南東を見たものです。 左に琴弾きの松碑、右に農業関係の石碑が見えます。 右の大きな木はイチョウです。 左の大きな木は枝ぶりからケヤキと思われます。



写真CB: 大きな木が2本あります。 右はイチョウ、左は枝ぶりからケヤキでしょう。



写真CC: ケヤキの木の上部です。 右はイチョウの木です。



写真CD: 中央に「社日神社」と彫 (ほ)ってある石造物があります。 その右に見えるのは琴弾きの松碑です。 東を見たものです。



写真CE: 中央に1本、左端に1本の若い松の木があります。 この2本と琴弾きの松碑のそばの1本で、計3本の松の木がこの敷地内にあります。 奥は水田です。 北東を見たものです。



写真CF: まだ小さな松の木も見えます。 北を見たものです。



写真CG: 北西を見たもの。



写真CH: 西を見たものです。



写真CI: 南西を見たものです。 電気量販店のベスト電器も見えます。



写真CJ: 南を見たものです。 左に宝酒造の工場も見えます。 右端はベスト電器です。



写真CK: 左はイチョウの木、その右に農業関係の石碑 (せきひ)があります。



写真CL: 敷地内に松以外の若木もあります。



写真CM: 手前は若い松の木です。 南西を見たものです。



写真CN: 松の木です。 南東を見たものです。



写真CO: 「社日神社、昭和2年3月」と彫 (ほ)ってある石造物があります。
「社日神社」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦にある琴弾きの松碑の敷地内にあります。
社日とは土の神を祭って、春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫のお礼参りをすることです。



写真CP: 石造物の下部です。



写真CQ: 「社日神社、昭和2年3月」と彫 (ほ)ってある石造物です。
「社日神社」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦にある琴弾きの松碑の敷地内にあります。
社日とは土の神を祭って、春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫のお礼参りをすることです。



写真CR: 「社日神社、昭和2年3月」と彫 (ほ)ってある石造物のそばに手水鉢 (ちょうずばち)があります。 北東を見たものです。



写真CS: 竹に御幣 (ごへい)をはさんであったものです。 石造物のそばです。



写真CT: 右にツツジの木があります。



写真CU: ツツジの木です。



写真CV: 銀杏 (いちょう)のそばにある大きな木です。 これは枝ぶりからケヤキと思われます。



写真CW: イチョウの木と農業関係の石碑 (せきひ)です。



写真CX: 右からイチョウの木、琴弾きの松碑です。
「琴弾きの松 (ことひきのまつ)の歌碑 (かひ)」は宮崎県 児湯郡 高鍋町 大字蚊口浦 にあります。
この地点は、海岸から約700 m 内陸に入った所です。



写真CY: イチョウの葉です。



写真CZ: 野草の「赤カタバミの花」です。



写真DA: 野草の「カタバミの花」です。



写真DB: イチョウの木の根元から小さなイチョウの枝と葉が出ていました。



写真DC: そばの道から見た琴弾きの松碑のある敷地です。 現在は3本の若い松の木が敷地内にあります。



写真DD: 水田地帯です。



写真DE: 育っている稲です。



写真DF: NTTの電波塔 (アンテナ)、マンション、民家、近くの山などが見えます。 右は尾鈴連山です。



写真DG: 国道10号沿 (ぞ)いの電気量販店のベスト電器が見えます。



写真DH: 田んぼのそばの用水路にパイプから勢いよく水が出ています。



写真DI: 田んぼと用水路です。 奥に琴弾きの松碑のある所が見えます。 北東を見たものです。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)